11-1 六層無安

日時

【四月二十六日 日曜日 十六時七分】

場所

【某県某市稲荷神社】

人物

【中園司季】


 激しい振動が足元を揺らした。


「うわっ。」


 下から突き上げられるような振動にバランスを崩す。


「大丈夫かい?」


 そんな俺を等々木さんが支えてくれた。

 どう見ても俺より大丈夫じゃない人に心配されるのは少し複雑だ。


「詩刀祢の生体反応消失。」


 同時に誰かが言う。

 心臓が冷たくなるのを感じた。

 詩刀祢さんが死んだ。

 めまいがする。

 等々木さんに支えられていなかったら倒れていただろう。


「目覚め付近に新たな覚醒体出現反応!」


 別の誰かが叫ぶ。


「詩刀祢は失敗したか。」


 子守里が冷静に言った。


「脱出するぞ。ヘリを出せ。」


 声を受けて、本堂の屋根が割れ、そこから大型のヘリが出て来る。

 もうこれくらいじゃ驚かない。

 そんな事より、俺の頭の中は詩刀祢さんの事で一杯だった。


「残念だね。詩刀祢君は若いのに優秀な人材だった。」

 等々木さん。


「手が覚醒体になったんじゃ世話ないわ。」

 百目木。


「感傷は全てが終わった後にしろ。今は事態の把握だ。」

 子守里。


 ヘリが降り立ち、それに乗り込む。

 総勢十名。

 ヘリのローターが回転数を増し、ゆっくりと離陸する。

 不思議と音は静かだった。これも社の超技術とかそういうあれかもしれない。


「爆破は成功したようだ。しかし、収容装置内で詩刀祢が覚醒体になった。地下一万メートルまで収容装置が落ちた事で時間的な猶予は多少増えただろうが、こうなっては我々ではどうすることもできない。」


 事態が取り返しのつかない状況になった事だけは理解できた。

 人類の危機なんて言われても実感は全く湧かないけど、詩刀祢さんが覚醒体になってしまったという事実だけが現実味を持って届く。


「社本部に対応してもらう他ないだろうね。」

「あそこに任せると滅茶苦茶やるから嫌い。」

「事案『朝』への本部対応は既に決まっている。『浄化』で更地にしてから、目覚めだけを確保するらしい。」

「最悪な作戦ね。後処理がバカみたいに大変そう。」

「人類を守る為に人類を犠牲にしなければならないとは皮肉なものだな。」


 穏やかじゃない言葉が聞こえる。


「浄化ってなんですか?」


 まさか、そんなわけはないと思って、聞いてしまう。


「室長以上しか知る事のできない情報だが。どうせ今から見る事になるか。」


 子守里は僅かに寂しそうな目で俺を見た。


「社の持つ最高火力異品が浄化だ。形状などの詳細は我々も知らされていない。わかっているのは、それを使えばこの街は完全に消し飛ぶと言うことだよ。」

「消し、飛ぶ?」

「文字通り、あらゆるものを破壊する。あらゆる生命を殺傷する。この街をすっかり更地にした後で目覚めを回収するらしい。あと長くて一時間、早くて十五分で浄化は発動するだろう。」

「なんですか、その冗談。避難勧告とか出てないですよね?」


 声が震えていた。


「出すわけないだろう。事後の証拠隠滅が難しくなる。」


 頭がどうにかなりそうだった。


「なんで、なんで、平気な顔をしてるんですか?」


 自分の身体が自分のものでないように上手く動かない。

 頬の筋肉が引き痙る。手が震え、足は存在すらしないように思えた。


「それが社という組織だからだ。君が知らないだけで、これ以上の犠牲を我々は支払い、これまで人類を存続させてきた。」


 街が消し飛ぶ。

 商店街も学校も俺の家もあるこの街が?

 生まれ育ったこの街が。

 友達も家族もいるこの街が?

 喉の奥が痙攣して、意図せずに空気が漏れ、鼻で笑ったようになる。

 ふざけるなよ。

 なんだよ社って、なんだよ覚醒体って。

 俺の取るに足らない、面白味もない、物語になんかならない、大切な日常をぶち壊すだけじゃ飽き足らず、辛うじて俺を立たせている思い出さえぶち壊すのか。

 特に考えもなく立ち上がる。


「どうした、中園司季。」

「降ります。」


 ヘリの高度は既に地上が霞む程。この距離から飛び降りるならきっと即死だろう。

 つまり、今の俺にはノーダメージだ。


「降りてどうする? 知り合いにでも避難を促すかい? 間に合いはしないよ。」


 子守里は俺を諭すように言う。

 その通りだった。

 家まで走って何分必要で、親を説得するのに何分必要で、友達に連絡を入れて信じて貰うのに何分必要なんだ。

 絶対に足りない。

 そもそも、家族や友達だけを逃がしてどうするんだ。

 街がなくなるんだぞ。

 小中高とユズと毎日一緒に毎日歩いた道も、ユズが服を選ぶのに二時間待たされた店も、ユズみたいなマニアくらいしか通わない小さな映画館もなくなるんだ。

 そんな事させない。

 浄化自体を止めないと。

 どうすれば止められる?

 子守里を説得したって無意味だ。

 もっと上を説得、できるわけがない。

 人類の存亡がどうって事態だ。ゆっくりしてたら浄化に殺されるんじゃなくて、全員目覚めに覚醒体にされる。

 そうだ、目覚めをなんとかしないといけない。


「俺が、目覚めを殺します。」


 自分で言って、その現実味のなさがおかしかった。

 詩刀祢さんですらできないような事を俺がするのか?


「目覚めの能力は等々木たちから説明されたと思うが?」


 子守里が冷ややかな目で俺を見る。

 それができれば誰も最初から苦労していない。それができれば誰も犠牲になんかなっていない。

 その目はそう言っていた。


「いいじゃない子守里。させてみれば。」


 助け船は思わぬ所から出た。

 百目木が相変わらずの鋭い目付きで笑っている。


「両抵抗の精神抵抗が目覚めの影響より強いなら殺せるんじゃない?」


 子守里が溜息を吐いた。


「ヘリを社上空に。」

「いいのかい、子守里君。」

「別にいいでしょ。失敗しても両抵抗が覚醒体になるだけだし。」


 子守里の代わりに百目木が答える。

 禄でもないが、その通りだ。

 失敗したならその時の俺に失うものなんて存在しなくなっている。


「覚醒体が増えるのは普通に困るよ。」


 子守里が呆れとも微笑ともとれない表情をした。


「私だって街を吹き飛ばしたいわけじゃないんだ。一縷の望みにかけるなんて社としては間違っているが、時にはいいだろう。犠牲も最小だしね。」

「ありがとうございます。」

「君に感謝をもらうことになるなんて思いもしなかった。数分後に恨まれる事になっても返してあげないよ。」

「いいですよ。二度目はないと思いますから。」

「制限時間は浄化が行われるまで。こちらから浄化を止めるような行動はしない。目覚めの消滅が確認された時のみ浄化は停止される。」


 子守里が作戦内容を確認する。


「そして、この作戦は私の独断で行う。」

「当然でしょ。私たちはなにも知らないわ。」

「中園君、君の所有が蔵であることは今も変わらない。無事に戻る事を願っているよ。」


 等々木さんは本当に、マゾヒストである事を除けば、最高に常識人だ。


「はい。行って来ます。」


 それなりに格好よく決めようかと思ったけど、ヘリの扉は思った以上に重くて開かない。


「ロックも解除せずに開くわけないでしょ。白痴なの?」


 本当に締まらない。

 いや、閉まってるのか。

 緊張からそんな下らない事を考えた俺の隣を手が通り過ぎる。正確には白の手袋。

 ガコン。という音でロックが解除された。

 改めて、扉に手をかける。


「ところで、どうやって目覚めまで辿り着くつもり?」


 力を入れ、開けようとした瞬間、再び百目木が止めた。

 そう言えばそうだ。あの迷路みたいな施設で、時間内に俺はそこまで行けるのか?


「えっと、どう行けばいいですか?」

「ここまで綺麗に無能だといっそ清々しいわね。」

「道案内する方法もなくはないが。中の状況がわからない上に、通信機が動くかも未知か。」

「等々木、あんたの異品貸しなさいよ。どれか使えそうなの持ってるでしょ。」

「雑に言われても困ってしまうんだが、そもそも中園君がどんな適応条件に合致しているかわからないから、そこからの話になる。」

「まどろっこしい。」

「むしろ、百目木の覚醒体を貸せばいいだろう。」

「私の大事なたーちゃんを貸せって言ってるの? 正気?」

「覚醒体に愛称を付けて持ち歩く方が正気を疑うが、今はいい。それがあれば彼でも迷わないだろう。人類の為だ。」

「なくしたりしたら、殺すから。」


 渋々、百目木は首にかけていたネックレスを服の下から出す。

 ネックレスの先端には小さな透明なカプセルがついていた。


「警戒階級時化、黄昏への針。それが示す通りについていけば目的の場所まで最短で行けるわ。ただし、絶対に道中で死ぬような目に遭う。まぁ両抵抗なら問題ないでしょ。」


 それを受け取る。

 カプセルの中には小さな方位磁針が浮いていた。


「針が指し示す方向に進みなさい。」


 身につけると、針は早速真下を指した。

 まぁ、死ぬな。


「それじゃ、行って来ます。」


 三度目の正直で、俺はヘリの扉を開ける。

 途端に猛烈な風が吹き込んで来た。

 下を見ると、少し霞んで神社が見える。

 足が竦む。

 死なないのと怖くないのは別らしい。


「逡巡しないで、時間の無駄。」


 声と共に後ろから押された。

 誰がやったのか、考えるまでもない。

 凄まじい音と防ぎようのない風で呼吸が苦しい。目を開ける事もできず、落ちる感覚だけが全身を包んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る