10-4 含笑転落

日時

【四月二十六日 日曜日 十六時七分】

場所

【社日夕支部六階 目覚め収容装置前】

人物

【詩刀祢】


 ここに辿り着いたのは詩刀祢だけだった。

 夕鶏の侵入者が覚醒体となった事で社の中は理外の空間と変貌していた。

 未知の多数の覚醒体に加え、収容している破壊抵抗を持つ厄介な覚醒体達が脱走。

 社日夕支部の最高戦力である特務実行部隊獏をもってしても一人が六階に辿り着くだけで奇蹟と言えた。


(八難技。)


 詩刀祢は目の前の収容装置内に居るかつての仲間を見る。

 悲しそうな表情をたたえた人間大のマトリョーシカ。

 その向こうに忌むべき元凶の鶏。

 詩刀祢は大きく息を吸い、そして吐く。

 活を望むべくもない死地がそこにある。

 刹那。

 詩刀祢の脳内に彼女の短すぎる一生が巡った。

 仲間達との孤児院の日々、社となってからの任務の日々、仲間を失った日、獏となった日。

 その中に僅かに中園司季との思い出も混じる。


(できるはずもない約束をしちゃったね。ごめん。)


 全ての思い出を巡り、現実へと戻る。

 ここに至って、詩刀祢は死を恐れてはいなかった。

 一歩、収容装置に足を踏み入れる。

 マトリョーシカも鶏も動かない。

 詩刀祢は真っ直ぐに鶏の元に歩き、そこにある爆破装置を起動待機状態にする。

 そしてマトリョーシカに向かい合い、刀を抜いた。


「一切の有情に斬れる物なし。」


 信念と共に繰り出された刀はマトリョーシカを両断する。

 悲しそうなマトリョーシカの中から一回り小さな悲しそうなマトリョーシカが現れた。

 詩刀祢はそれを即座に斬る。

 その中から再び一回り小さいマトリョーシカが。

 斬る。

 マトリョーシカ。

 斬る。

 マトリョーシカ。

 三歳児程度の大きさのマトリョーシカが詩刀祢の前にあった。

 表情は相変わらず悲しそうで、詩刀祢はその表情に九難のいや、八難技の悲しみを見る。


(それでも、私たちは社でしょ!)


 祈りのような斬撃がマトリョーシカを一文字に斬り割く。

 割れたマトリョーシカはその実体を幻のように消失する。

 同時に、詩刀祢の腹部が一文字に割れた。

 ズルリと上半身が下半身から落ちる。

 揺れる視界で詩刀祢はそれを見ていた。


(自身に与えられた傷を行為者に反射する覚醒体?)

 痛みの中、詩刀祢は直感する。


「なんでも取り敢えず斬ってみるのは悪い癖だぞ。」


 子守里の言葉が詩刀祢の中で反芻された。


(本当にその通り。)


 落ちながら、詩刀祢の手は起爆装置を押す。

 周囲では爆音が響いている筈だが完全防音を誇るこの収容装置の中ではそれは響かない。

 床が崩れ、収容装置が落下をはじめる。

 遠のく意識の中、詩刀祢はそれでも笑っていた。


(今回も私たちの勝ち。作戦は成功した。)


 三秒の間に自分は死ぬだろうと確信した笑みだった。

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