5-2 生死無為

日時

【四月二十六日 日曜日 十五時七分】

場所

【社日夕支部五階】

人物

【中園司季】

 

 覚醒体がなんなのか説明してくれると言った詩刀祢さんはさっきから一言も話していない。

 半分引きずられるようにして、俺は歩かされていた。

 脇腹はまだ痛む。


「着いたわ。」


 ようやく詩刀祢さんは立ち止まって、俺を解放する。

 どことも知れない無機的な扉の前。

 その扉に詩刀祢さんは手を置く。

 認証するような光が無機的な扉に浮かんで、手を通り過ぎた後、小さな駆動音がして開いた。

 部屋にまるで不似合いな巨大な墓石が鎮座していた。

 記憶の中で、アスファルトを砕いていたあの墓石だ。

 ユズを踏み潰していたあの墓石だ。


「記憶力はいい方?」


 墓石から視線を離せない俺の横で彼女はそう言う。

 さっき、三秒以上もたないとか罵倒された気がするが、水に流そう。


「普通程度だと思います。」

「ハクゾンくんは、この墓石によって調月楪が潰されて死んだと考えている。」


 考えているもなにも、事実だ。


「でも、墓石の性質上、仮に死ぬとしても潰されて死ぬ事はないでしょ?」


 いつそんな話をした?


「墓石に接触した対象はその中に捉えられる。仮に墓石が降ってきて、それに衝突したとしてもそれは接触になる。」


 そう言えば百目木がそんな事を言っていた気がする。


「ハクゾンくんは見ていた筈。墓石がどうやって出現したのかを。もう一度思い出して。」


 なんでそんな事をしないといけないんだ。

 トラウマを抉るような事を。

 落ちてきた墓石に幼馴染みが潰される瞬間を思い出したい人間なんていない。


「墓石はどうやって出現したの?」

「落ちてきた。ユズの上に。」

「本当に? 本当に落ちてきた瞬間を見た?」

「みt……?」


 見たと断言しようとして、引っ掛かる。

 俺は本当に見たのか?

 ドスン。

 俺の声がユズに届く前に、それは重い音にかき消された。

 なにが起きたのか理解出来なかった。

 現実というにはあまりに非現実的。

 夢だったとしても脈絡がなさ過ぎる。

 さっきまでユズがいた場所に、巨大な黒色の墓石があった。

 灰色のアスファルトを砕き、地面がそこだけ陥没している。


「仮に墓石が落ちてきて、それに調月楪が潰されるような事になったら、辺り一面に血液が飛び散っていないといけない筈。」


 陥没した地面と墓石の隙間になにかが揺れていた。

 桜色の布。


「あの場所に僅かにでも血痕が存在した?」


 なかった。

 そんなものはどこにもない。

 記憶の中に赤色は存在しなかった。


「調月楪は正確には死んでいない。これが調月楪だったものよ。」


 詩刀祢さんは墓石を指す。

 言葉がするりと耳に落ちて、心の中で転げ回った。


「はあ。」


 肯定とも否定とも落胆とも絶望ともわからない声が自分の喉からこぼれる。

 思考を放棄してしまいたかった。

 これ以上俺を驚かせるなにかなど、この世に存在して欲しくはなかった。

 これが、ユズ?

 はあ。

 なにを言ってるんだ、彼女は。

 ユズがどんな人間かまるで知らないらしい。

 ユズの髪はふわふわの軽い猫っ毛なんだ。

 身体はもちもちで、不意に触れたときその柔らかさに驚くほどだ。

 顔は少し垂れ目で可愛らしくて、ほっぺたはむにむにだ。

 近くに寄ると甘い匂いがして、彼女の周りだけ常に少し明るく見えるんだ。

 こんな堅くてつるんとして柔らかさの欠片もないようなものがユズだって?

 なにもわかってない。

 これが俺の幼馴染みだって?

 これが俺の好きな人だって?

 はあ。

 冗談は止めてくれよ。

 もう充分だろ?

 もう充分な筈だ。

 俺を驚かせる為のドッキリはもう充分だ。

 俺はもう充分に驚いた。驚天動地、震天駭地、驚いた。

 これ以上はもうビタ一驚けない。

 早くこのどこまでも現実味のないふざけた現実がどうしようもない嘘だって言ってくれよ。


「信じ難いでしょうけど、覚醒体は人間が変化したものなの。」


 後ろで誰かが何かを言っている。

 関係ないね。

 ほら、見ろよ、こんなに近付いても、この墓石のどこにも柔らかさを感じない。

 ユズを感じない。


「ハクゾンくん、あの日私が止めようとしたことを覚えてる?」


 覚えてない。聞こえてない。


「いいよ。どうせ君は死なないから今回は止めない。」


 人を化け物みたいに言うなよ。

 触れる瞬間、滑らかで冷ややかな感触を想像した。実際手に伝わったのは不思議な温かさだった。

 世界が暗闇に包まれる。

 呼吸ができない。鼻がなにかに密着されていて空気が入ってこない。鼻だけじゃない、目も口も手も足も微動だにできない程綺麗に密閉されている。

 不思議と息苦しさはなかった。むしろ安心感があった。温かさがあった。

 そうだ、この感覚は知っている。

 あの日一度体験した。穏やかな死の予感。

 刹那と永遠の暗闇。

 それを割く光。

 ああ、今回もまた、この光が割って入る。

 視界の先に詩刀祢さんがナイフを構えていた。

 墓跡が真っ二つに斬られて、俺は無傷で、転がり出る。


「理解しましたよ。これはユズだ。」


 ユズに殺されるなら、それも悪くなかった。


「本当に?」


 自分で話した筈なのに、詩刀祢さんは納得しがたいという顔をしていた。


「あの闇はユズのものでした。」

「覚醒体に覚醒前の人物の性質や人格が反映されるって主張はまだ完全に証明されたわけじゃないけど、納得したならそれでいい。」


 詩刀祢さんはナイフを鞘に収める。


「これで馬鹿な事は考えないでしょ?」


 ああ、そうだ、元々はその為の説明だった。

 覚醒体の正体は人間。

 我が身に起こった事じゃなかったらテンプレート過ぎる展開だって笑い飛ばせもしたのに。


「なんでユズは覚醒体になったんですか?」

「そこら辺の説明は長いから別の誰かにしてもらって。」


 詩刀祢さんは急ぐように背中を向けた。


「誰かって。」

「私の仕事はまだ終わってないの。上の方に向かって移動すれば誰かに会えるだろうから。」


 そう言うが早いか、駆けだした。

 上に向かって移動って言われても、ここがどこかもわからない。

 少しずつ事情がわかってきたからといって、社の人間が自分勝手だって印象は全く変わらなかった。

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