5-1 生死無為

日時

【四月二十六日 日曜日 十五時二分】

場所

【社日夕支部四階廊下】

人物

【旭陽】

 

 駆ける。駆ける。駆ける。駆ける。

 今にも背中にあの刃が届くような恐怖があった。

 右手の中指と人差し指は第二関節から先がない。

 血がまだ出ている。

 彼はどうなっただろう?

 一瞬だけ頭に過る。

 きっと死んだ。

 わかりきった事を考える暇はない。

 私は一刻も早く辿り着かないといけない。

 全ての犠牲が無駄にならないように。

 駆ける。駆ける。駆ける。駆ける。

 階を一階上がると、廊下はどこもかしこも死体で溢れていた。

 社と夕鶏、その両方の死体。

 主部隊を敢えて避けるようなルートを選んで良かったと安堵しつつ、自分もいつこの冷たい肉塊になるのかと、心が凍る。

 生きたい。生きて、外に出たい。

 会いたい。両親に、兄に。

 同い年になったんだと、兄を驚かせたい。

 やっと成し遂げたのだと、両親を喜ばせたい。

 涙が溢れそうになる。

 もう少しだよ。

 もう少しで着く。

 もう少しで、私の願いは叶う。

 角を曲がる。

 曲がって三つ目の部屋。

 一つ、二つ、三つ。

 扉にロックは掛かっていない。

 工作部隊が蔵のロックを無効化したんだ。

 左手で拳銃を持って、肩で扉を開く。

 撃つ、誰がいても撃つ、撃たれるよりも先に撃つ。

 もう大丈夫、一人殺したから、もう大丈夫。

 願いを叶えるためになら、私は人だって殺せる。

 決意を込めて扉を開ける。

 部屋の中には誰もいなかった。

 よかった。

 安堵が緊張をほんの少しだけ和らげた。

 目の前には電子レンジをそのまま大きくしたような箱。

 私が余裕で入れる程の大きさのそれは、部屋の殆どを埋めている。

 操作パネルにあるのは一つのボタンだけ。

 私の視線の高さに、電子レンジにはない投入口がついている。

 ご丁寧に「遺伝子」と投入口の上にゴシック体のフォントが書かれていた。

 あまりの有様に思わず笑ってしまった。

 これが、ずっと夢に見続けた異品。

 この瞬間を寝ても覚めても考えていた。

 三人を生き返らせる為の異品。

 制服の内ポケットから、厳重に閉じられた袋を取り出す。

 中には髪の毛が三本。

 兄と父と母の髪だ。

 落とさないよう、私の血が混じらないよう、慎重に髪の毛を異品の中に入れる。

 あとはボタンを押すだけ。

 どれ程この時を待ちわびたのだろう。

 ボタンを押す手が震えた。

 大丈夫、全部上手くいくから。

 異品が動き出す。

 ジーという音はまるで電子レンジのようだった。

 中の様子は見えない。

 ぼんやりと橙色の灯りがついているのだけが不透明のガラス越しにわかった。

 異品はこんなにふざけた物なのかと、高鳴る胸で思う。

 チン。

 完成した音がして、灯りが消えた。

 ガラスに映った私の顔は笑っていた。

 このガラスを開ければ、みんなに会える。

 痛みすら忘れて、右手が伸びた。

 少し堅い。

 指が二本ないから、力も入らない。

 全体重をかけてやっと開く。

 電子レンジを思わせる庫内に三人の人影が仰向けで横たわっていた。

 一目でわかる。

 母だ、父だ、兄だ。


「みんなっ!」


 懐かしい顔。

 駆けるように、転けるように、三人に抱きついた。

 温かい。

 彼らの匂いだ。懐かしい匂い。

 夢のようにこの瞬間をどれ程焦がれただろう。

 でも、今は夢じゃない。

 ここに温かさと実体を持って彼らは存在している。


「お父さん、お母さん、私やったよ、ついにやったよ。」


 涙がとめどなくこぼれる。


「お兄ちゃん、わかる? 旭陽だよ。お兄ちゃんと同い年になったんだよ。」


 これ以上の喜びを人生で知らない。

 ずっと辛い人生だった。

 なんで、こんな人生を生きないといけないのかと思ってた。

 兄が死んで、両親は壊れた。

 そう思ってた。

 間違ってなかったんだ。私の両親は間違ってなかった。

 学校でいじめられた。

 宗教だって馬鹿にされた。

 でも、間違ってなかった。

 この瞬間を全ての人類に教えてあげたい。私の人生は報われたんだって、お前達が馬鹿にした私は成し遂げたって、奇蹟は存在するんだって。


「行こう、みんな。早く逃げないと。」


 生き返ったばっかりで三人は動けないのか、揺さぶられてもびくともしない。


「君の目的は『無為むい』だったのか。奇特だね。」


 背後の声に左手で拳銃を構えて振り向く。


「撃たれても死ぬ事はないんだが、痛いので止めて貰えると助かる。」


 自分の目を疑う。耳を疑う。

 そこに立っていたのは私が確かに撃ち殺した筈の老人だった。


「ただでさえ私の全身は古傷だらけなのでね。」


 胸部に一発、腹部に三発、記憶の通りその部分の服が破けていて、乾いたおびただしい量の血が固まっている。


「そんなに驚かないでくれ。化け物の相手をする組織の人間が化け物じみているなんて道理じゃないか。」


 撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。

 片手、拳銃、近距離。

 マガジンに入った八発の内、六発が命中して、その度に傷口が生まれ、血が飛び出る。


「言っただろう。死にはしないが痛いんだ。医療班にまたどんな文句を言われるかわからないから、耳も痛いな。」


 血を流しながら、身体に穴を空けながら、老人は笑う。


「ばけもの!」


 早く起きて!

 空になった拳銃を握って、祈る。


「私なんか他の室長たちに比べればかわいいものだよ。」


 老人が近付いてくる。血を流しながら。


「『無為』なんかを使って、なにをするつもりだったんだい?」


 不気味だった。まるで死体が歩いているようで。


「子守里くんはそれを『死体ネクロ愛好家フィリアの主食』と命名したかったそうだが、流石に悪趣味が過ぎると止めて正解だった。『無為』なんていい命名だろう?」

「来るなっ! 止まれっ!」


 早く起きてよ!

 お兄ちゃん、お母さん、お父さん!


「君が死体と抱き合う癖がある事を責めはしないが、三人とは少々業が深いな。」


 なんて?


「まるで今し方死んだように温かいだろう。それが電子レンジのような形をしているというのは、異品にも洒落がわかるらしい。」


 なんて、言った?


「したい?」

「どうした、驚いた顔をして? まさか知らなかったわけではあるまい。それは投入された者の遺伝子を元にその者の死体を生成する異品。故に無為。」


 そんな筈はない。

 だって、死者を生き返らせるって。


「遺伝子さえあれば、遺体を最良の状態で入手することが可能なので、霧が重宝している。主に原形を留めなかった一般人の遺体を偽装する等の用途でね。食料だとか、その他のろくでもない使用法については今のところ検討されていない。社の良心と言えるだろう。」

「うそ。うそだ。だって、言われたもん。生き返るって、お兄ちゃんは、お父さんは、お母さんは生き返るって言われたもん。」

「生き返る? 他の生物ならまだしも、人類が?」


 心底おかしそうに、老人は笑う。


「そうか、夕鶏は教えていないのか。覚醒体がなんなのか。実に哀れだな。」

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