4-3 鶏鳴敢闘

日時

【四月二十六日 日曜日 十四時四十分】

場所

【社日夕支部四階廊下】

人物

【中園司季】


 社の中はまるで迷路のように思えた。

 等々木さんが撃たれた場所を離れた俺たちは彼女の記憶を頼りに、全部同じように見える廊下を歩いてる。


「兄が死んだのは、私が七歳の時だったわ。」


 先導しているのは、夕鶏構成員の旭陽あさひさん。

 より正確に言うなら、新興宗教団体「あたらしい日」一級信徒の旭陽さんだ。

 利害の一致による協力関係を結んだ後の自己紹介でそれを聞いた時、正直少し身構えた。

 信徒ってだけで宗教観が薄いこの国じゃ目立つのに、新興宗教となればいい噂は聞かない。


「兄とは十歳差だったから、享年十七歳。歳の離れた私にも優しく接してくれるいい兄だったわ。」


 まして、現実として銃を持って襲撃してくるような団体なんて、どう考えても危険だ。


「両親にとっても自慢の息子だったんでしょうね。その悲しみ様は見てられない程だったわ。そんな時に声をかけてきたのが『あたらしい日』だった。兄を生き返らせる事ができると、彼らは言ったわ。」


「悲しみにつけ込まれたって話か?」

「世間一般に見ればそうね。仮に彼らがそうする手段を持たなければ、たちの悪い詐欺師に騙されたで済んだわ。」


 しかし、幸か不幸かその宗教団体は夕鶏のフロント組織だった。


「異品の存在を私たちが知らされたのは入信してから五年後。兄を生き返らせると言う事が一気に現実味を帯びた気がしたわ。」


 入信して五年なら、十二歳。

 小学六年生の頃だ。

 俺がユズとありふれた日常を送っている時には旭陽さんはこの世界に身を置いていたと言うことになる。


「そして四年前、異品を目的とした社襲撃で両親は死亡したわ。その時から、私の生きる目的は兄と両親を生き返らせる事になった。ここにそれができる異品があると知って真っ先に志願したわ。」


 彼女の話を聞くまで、俺は自分の境遇を世界で最も不幸なのではないかと思っていた。

 突然の覚醒体に幼馴染みを殺されて、自分自身もよくわからない理由で捕まって。

 悲しみが比較する事でなくなったりはしないけど、少なくとも自分だけが最悪を生きているわけじゃないとわかる。


「本当の事を言うと、あたらしい日の教義や目的なんてどうでもいいの。私はただ、遠い思い出の中にある、当たり前の家族との日常を取り戻したいだけ。」


 その気持ちは痛いほどわかった。


「俺も、幼馴染みとの日常を取り戻したい。」


 一週間前までの取るに足らない、面白味もない、物語になんかならない、大切な日常を取り戻したい。

 互いの身の上を語った事で俺たちの共犯関係は成立した。

 彼女の手には小銃、俺には精神抵抗、この二つの武器がどれ程通用するかはわからないが、社は今夕鶏の襲撃で混乱の中にある。

 きっと俺たちはやり遂げる事ができる筈だ。

 そう思った矢先、俺と旭陽さんの間を何かが通り過ぎた。

 風を感じたかと思うと、足下の廊下に深い傷が入る。


「中園司季君、なんで夕鶏と歩いているの?」


 聞いたことのある声が前方から叫ばれる。

 長い長い廊下の先に詩刀祢さんが居た。

 旭陽さんが小銃を構えようとする。同時に彼女の右手の指が小銃の半分と一緒に飛んだ。


「きゃあああああ!」


 耳を割く悲鳴。

 詩刀祢さんがやったのか?

 動きがまるで見えなかった。なにをしたのかすらわからない。

 手にはサバイバルナイフ。

 あれも異品か。

 社日赤支部手特務実行部隊獏詩刀祢。

 その言葉の意味は未だによくわからない。

 一つわかるのは、詩刀祢さんは恐ろしい程強いって事だけだった。


「旭陽さん、引き返して。俺が足止めする。」


 どうにかできると思ってはいない。

 意気地なしの俺からしたら到底考えられない行動だ。

 それでも、俺は旭陽さんを庇う為にその前に立った。

 今さっき出会ったばかりの他人の為に足止めとか、これまでの非日常にあてられて主人公にでもなったつもりかよ。

 自分の行動がおかしくて仕方なかった。


「ありがとう。」


 旭陽さんが遠ざかる足音を背中で聞く。


「どういうつもり?」


 ゆっくりと詩刀祢さんは近付いてくる。


「詩刀祢さん、俺を斬らないんですか?」


 ただ一つ、勝算があるとすれば、彼女の事を俺は知っていて、俺の事を彼女は知っているという点だった。

 ここに来た手が詩刀祢さんで良かったとすら思う。

 仮に問答無用で障害を排除するような人なら、出会い頭に俺もろとも旭陽さんを殺した筈だ。


「このまま邪魔立てするなら斬るわ。」


 そう言いつつ、詩刀祢さんはナイフを抜こうとはしない。

 案の定、詩刀祢さん、いやしーさんは優しい人間なんだ。

 社に巻き込まれてしまった哀れな一般市民を心無く斬るなんてできない人だ。


「俺は退きませんよ。彼女はただもう一度家族に会いたいだけなんです。それだけできれば、あたらしい日も抜けるって言ってるんです。」


 上手くすれば、説得して味方につけることもできるかもしれない。


「異品を少し使えればそれでいいんです。」

「はぁ。」


 俺の言葉に詩刀祢さんは大きく溜息を吐いた。


「異品の個人目的での使用は許可されていない。」


 彼女の左手が鞘を掴む。


「それに、君はまだ自分がどんな世界に来てしまったのかを理解できていなかったのね。」


 一瞬だった。

 白い閃光が目の前を走る。

 反射的に目を瞑り、身体が硬直する。

 例えば、ボールが目の前に飛んで来て、咄嗟にそうしてしまうように。

 少しでも怪我を少なくする為の生理反射。

 それがボールでなく刃だった時、そんな反射はまったくの無意味だ。

 身体よりも先に頭が死を理解した。

 容赦のない刃が俺の頭を両断するイメージ。

 死がどんなものなのか、メメント・モリという言葉を知った時に色々と考えた事があった。

 意識の消失、パソコンの電源を切るように、その瞬間に自分を構成するあらゆる意識がこの世から消えてしまって、二度と点くことはない。

 眠りよりも深い、完全なる無意識。

 しかし、俺に訪れた死は、少なくとも現段階では意識は存在しているらしかった。

 そう言えば、死んだ後も数時間は意識は残っているってなにかで読んだ気がする。

 それなら、今はその猶予期間なのかもしれない。

 頭が斬られた場合だと、この思考はどこでなされているのだろう?

 魂とか心とか?

 俺は生前そんなことをあまり信じてはいなかったが、今こうして意識があると言うことは、きっとそういうものが存在するって事なんだろう。

 ましてや、身体がまだ存在する感覚すらしている。

 戯れに目を瞑って死んだふりをしているような感じだ。

 そんなはずないと、目を開けてみると、普通に開いた。

 驚愕の表情をする詩刀祢さんが目の前に居る。


「あれ、生きてる。」


 思わず声が出た。


「なんで。」


 今度ばかりは表情を取り繕わないまま、詩刀祢さんはナイフを振る。

 その度に、確実に刃は俺を捕らえている筈なのに、俺は死んでいる筈なのに、なぜか無傷の俺がいる。


「精神抵抗だけじゃなく、破壊抵抗も得ていたのね。」


 しばらく刃を振った詩刀祢さんは諦めたように鞘にナイフを収めた。

 この状況は少なくとも精神抵抗よりはわかりやすい。

 つまり、俺は無敵になったらしい。


「えっと、どうします?」


 無敵だからといって、詩刀祢さんを倒せるとも思えない。

 この状況はお互いに手詰まりの筈だ。

 そう思った瞬間、詩刀祢さんが動いた。

 動いたと思った瞬間、俺は地面にうつ伏せに倒れていた。

 足と腕が無理な方向に曲げられようとしている痛みを感じる。


「詩刀祢さん、痛いです。」


 関節技をかけられているのだと、身体に感じる温かさと重みで理解した。


「推察通り、殺せなくても無力化は可能。破壊抵抗は致死性のものに対してだけ。」


 手に冷たいものが触れ、詩刀祢さんが離れる。


「なにするんですか。」


 両手を使って身体を起こそうとして、自由が利かない事に気付く。

 手錠だ。


「骨を折って無力化してもよかったんだけど?」

「あっ、手錠でいいです。」


 痛みを感じるって事は、思っているほど無敵ではなかったらしい。

 死なないだけだ。


「改めて聞くけど、夕鶏に協力するなんて、どういうつもり?」


 うつ伏せのままの背中に堅い感触が伝わる。

 詩刀祢さんの足だ。

 俺にそういう趣味があるならご褒美なんだろうけど、残念ながらそんなに屈折していないので、単純に痛い。


「旭陽さんから聞いたんです。社が異品を得るために覚醒体を作っているって。」

「そんな事を信じたの?」


 心底呆れたような声と共に背中にかけられる重さが増す。

 肺が強制的に潰されて、息苦しい。


「一般市民でももう少し理知的な判断ができると思っていたけど、過信だったのね。」

「異品を独占してる事は本当なんじゃ。」

「子守里室長が再三言ったと思うけど、社の目的は覚醒体の隠匿と対処。異品は副次的に得られるものに過ぎない。覚醒体に対応する為に用いられる事はあっても、異品を目的に覚醒体を作るなんて本末転倒だと考えなくてもわかる筈だけど。」


 背中に置かれた足が全体からつま先に変わる。

 表面積の小さい方が圧力は強い。物理が苦手な俺だって感覚的に覚えてる常識だ。

 肩甲骨と肉が剥がされるような、独特な痛みが背中に走る。


「でも、異品を使えば人を生き返らせる事もできるんですよね? 他にも色々便利なものだってあるはずで、そんな凄いものなら、世間に公表した方が。」

「はぁ。」


 二度目の深いため息を吐いた詩刀祢さんは足を俺の背中から離す。

 背中の痛みが消えた瞬間、今度は脇腹に重く鋭い痛みが走った。

 内臓に直接響く痛みで蹴られたのだとわかる。


「精神抵抗の代償に記憶が三秒しか持たなくなったの? 社は覚醒体を隠匿するための機関。それがどうして、異品を世間に公表するなんてとんちきな発想になるわけ?」


 この時になってようやく、詩刀祢さんが怒っている事に気付いた。

 二度、三度、新たな痛みが襲いかかる。

 痛いし熱い、死なない程度に痛めつけるってのが有効なら破壊抵抗ってのは利点じゃなくて欠点だ。


「覚醒体を一般市民に知られないようにしつつ、その脅威から守る為に社がどれ程の犠牲を払ってるかも知らないで、その場の浅はかな考えだけで私たちの邪魔をしないで。」


 俺を蹴るのに飽きたのか、詩刀祢さんは歩き出す。


「詩刀祢さん。」

「全て終わるまでそこで寝てて。」


 遠ざかる足音と比例して脇腹の痛みは激しさを増す。

 俺はストレス発散用のサンドバッグじゃない。

 幼馴染みが殺されて、記憶を消されて、思い出したかと思ったら捕まって、殺されかけて、そして今度はこれだ。

 なんだよ、この扱い。

 まるで自分は正しいみたいに振る舞って、俺は事情だってろくに説明されてないのに。

 秘密にするのがそんなに大変なら公表すればいいだろ。

 はじめから秘密にしなければ簡単な話じゃないか。

 知るわけないだろ、教えられてないんだから。


「犠牲なんて知るかよ。」


 思わず、声が出ていた。


「なにか、言った?」


 詩刀祢さんの足が止まる。


「そっちが勝手に払った犠牲なんて知らないって言ったんだ。社なんてどうでもいい。」

「そう。」


 振り返りもせず、詩刀祢さんは俺の怒りを受け流した。

 受け取られない怒りは宙を漂い、自分に返ってきて、更に強くなる。


「一般市民を守るなんて大層な事言って、ユズは調月楪は、俺の幼馴染みは犠牲になったじゃないか!」

「覚醒体が相手だから、一般市民に犠牲者が出るのは無理からぬ事よ。」


 詩刀祢さんは振り返る。


「でも、墓石に関して言えば、犠牲になった一般市民はハクゾンくんだけ。」


 背中で金属が弾ける音がした。


「よくよく考えると、ハクゾンくんには精神抵抗があるから、あとから洗脳とかできないのね。」


 両手が自由になる。

 手錠は綺麗に両断されていた。


「また夕鶏の戯れ言に惑わされても面倒だから少しだけ説明してあげるわ。覚醒体がなんなのか。」

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