4-1 鶏鳴敢闘

日時

【四月二十六日 日曜日 十三時五十九分】

場所

【某県某市社日夕支部二階廊下】

人物

【中園司季】

 

「大丈夫なんですか?」


 警報が聞こえてから数分、施設の中は騒がしく数人の職員が駆けていくのとすれ違った。

 そんな中でも等々木さんは焦る様子をみせない。


「どうだろね。個別に通信が入っていないと言うことは、少なくとも蔵にはまだ問題はないということだろう。」


 等々木さんは耳にはめた通信機を指差す。


「そうなんですね。」

「今我々が居るのが二階、蔵はこの下の三階。侵入者が一階から入ってきたとしても、蔵に辿り着くにはしばらくかかるだろうね。」


 等々木さんの説明に少し疑問を覚えた。下に行くのに階層が上がっている。

 しかし、直ぐにここが地下だと思い出す。


「万が一戦闘に巻き込まれたりしたら中園君も嫌だろうから、少し遠回りして、人気のない方を行こう。」

「こういう事って多いんですか?」

「皆無ではないが頻繁でもない。こう言う場合重要なのは、不確定な情報で焦らない事だよ。我々に与えられた情報は侵入者があったという事だけで、それが敵対的侵入者かどうかも不明だ。」

「そうですけど。」

「この段階で焦る必要があるのは、手くらいなものだ。」

「さっきからすれ違ってたのは手の人たちなんですか?」

「多くはそうだね。荒事なら彼らに任せていればおおよそ大丈夫だろう。」


 手と言えば、詩刀祢さんも手の一員だった。

 彼女もこういう時に戦う事になるのだろうか。


「どうやら、蔵に侵入者が辿り着いたらしい。」


 通信機に連絡が入ったのだろう、等々木さんが足を止める。


「大丈夫なんですか?」

「さて、どうだろうね。」


 まるで他人事のように彼は言う。


「どちらにせよ、このまま下に降りるのは少し面倒と言った所だが。室長である以上行かないわけにもいかないか。」


 いや、むしろ面倒くさそうな雰囲気すらした。


「中園君はどうする? 子守里君の所に戻れば保護くらいはしてもらえると思うが。」


 あの人の所に戻るのは少し嫌だと思った瞬間、後ろから駆けてくる足音が聞こえた。


「止まれっ!」


 同時に若い女性の声。

 俺と等々木さんは同時に振り返る。


「中園君、新たな情報が手に入ったな。侵入者はどうやら敵対的だったらしい。」


 そこに居たのは、小銃を構えた少女だった。

 俺とそんなに歳が離れているようには見えない。

 制服を着ていてもおかしくないような彼女は、灰色の軍服のようなものに身を包んでいた。


「その服装から見るに、夕鶏ゆうけいかな。最近は大人しいと思っていたが、嵐の前だったわけだ。」


 銃を向けられているにも関わらず、等々木さんは落ち着いた口調で話す。


「喋るな。手を頭の後ろで組んで、うつ伏せになれ。」

「申し訳ないが、それはできない。しかし、わざわざ君たちを避けるような道を選んだのに出会ってしまうとは、方向音痴だね。」


 事もあろうか、等々木さんは一歩前に進む。


「止まれと言ってるっ!」


 少女は小銃を構え直した。


「そんなに震える手では当たらないだろう。」


 等々木さんの言う通り、彼女の手は震えていた。

 手だけじゃない、身体全体が近付いてくる等々木さんを怖がるように震えている。


「死にたいのかっ!」


 目は潤んで、今にも泣き出しそうだ。


「死に恐怖するような段階は数十年前に超えたよ。」


 一歩、等々木さんが歩みを進め、一歩、少女がおののくように後退あとずさる。


「来るなっ、止まれっ!」


 少女の指が引き金に掛かった。


「夕鶏もこんな子供を戦場に駆り出すとは、業が深い。」


 一方の等々木さんは少女を哀れむかのような表情さえする。


「武器を捨てて投降しなさい。そうすれば命だけは助かるだろう。」

「おっ、お前が、社なんかが、そんな顔をするなっ!」


 ダダダダダダダダダ。

 生まれて初めて聞く銃声は轟音と言う他なく、同時に出る閃光が目に焼き付く。

 混乱の中、咄嗟に身を屈め、目を閉じた。

 今にも銃弾が身体を貫くのではないかという恐怖が全身を硬直させる。

 異様に長く思える銃撃が終わっても残響が耳の奥に残っていた。

 やっと恐る恐る目を開くと、直ぐ足下に弾痕があった。

 角度的に頭に当たっていてもおかしくない。

 そう気付いて、血の気が引く。

 顔を上げると、立っている者は誰もいなかった。

 小銃を右手に持った少女は放心したように地面にへたり込み、俺は膝を抱えたまま震えていて、等々木さんはうつ伏せで床に突っ伏していた。

 その身体の下から血が流れている。


「等々木さん!」


 駆け寄ろうとして、足に力が入らず、立ち上がれない。

 這って彼の腕を掴んで揺さぶる。

 しかし、反応はなかった。

 なんだよ、これ。

 現実が現実に思えない。

 ずっとだ、ユズが墓石に潰された瞬間から俺の現実はどこかに行ってしまった。

 残響がようやく引いた耳に、押し殺したような声が届く。

 顔を上げると、少女が涙を流していた。

 その姿は最初に感じた印象よりも更に幼く見える。


「なんで、なんで、あんたが泣いてるんだよ!」


 なぜか、怒りがこみ上げてきた。

 彼女に対してだけじゃない。

 これまでの全部に対しての怒りのような気がした。

 俺の理解できないあらゆる不条理に対しての怒りだ。


「なんでっ!」


 俺の声に呼応するように彼女が叫んだ。


「撃ちたいわけじゃなかったのに!」

「撃ったのはあんただろ!」


 彼女と目が合う。

 驚いたような、悲しいような、怒っているような目だった。


「私はただ、もう一度家族に会いたかっただけなのに。」


 力なく彼女が呟く。

 後悔に溢れたような言葉だった。


「知るかよ、そんな事。俺だって、もう一度ユズに会いたいよ。」


 いつもの俺ならきっと出さなかったはずの言葉が口をつく。

 なんなんだよ、これ。

 一つの死体を挟んで、俺と彼女の間に無言の時間が過ぎる。

 他の場所で行われているのだろう戦闘の音が遠くに聞こえた。

 手が相手をしているんだろう。詩刀祢さんは無事だろうか?


「夕鶏ってなんだ、なんでここを襲ってるんだ?」

「社なのに知らないの?」


 涙の跡を頬に付けたままの彼女が怪訝な目をする。


「俺は社じゃない。色々あって捕まってるだけだ。」

「なにそれ。」

「説明するとややこしい。」


 というか、なんと説明していいかわからない。

 そもそも、彼女に説明していいかもわからない。


「つまり、敵じゃないってこと?」

「銃で撃った後によくもそんな事が言えるな。」

「それは……、ごめん。その人も。」


 彼女が視線を等々木さんに向ける。

 やっぱり全然常識的な人じゃなかったけど、いい人だった。


「人を殺してごめんって。」

「だって、でも……。ごめんなさい。」


 言葉を探すように、彼女は視線を彷徨わせて、俯いた。

 その視線の先には小銃が落ちている。

 ここはどこまでも非日常だ。


「でも、社が悪いんだよ。異品を独占するために覚醒体を作りだしてるんだから。」


 ぽつりと、弁明するように彼女が言う。

 信じがたい言葉が聞こえた気がした。


「なんだって?」

「社が異品を独り占めしないで、分配すれば私たちだってこんな事しなくて済むって。」

「そうじゃない。社が覚醒体を作ってるって言ったのか?」

「えっ、そう聞いてるよ。異品は覚醒体から取れるもので、だから社は覚醒体を作ってるって。」


 あの時の子守里の反応の理由がわかった気がした。

 途端に、矛先の存在しなかった怒りが刃を得る。


「社が、覚醒体を。」


 ユズはそんな事の為に死んだのか?

 いや、殺されたんだ。


「社が持ってる異品の中には死者を生き返らせる事ができるものがあるって。あなたも、さっき誰かに会いたいって言ってたよね? それなら、一緒に行かない?」


 少女が立ち上がった。

 俺も立ち上がる。


「俺は覚醒体に幼馴染みを殺された。」

「私は社に両親を殺された。」


 それ以上の言葉は不要だった。

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