第八話 種撒けば双葉が芽を出す
官庁通りの外れにある噴水公園の大噴水を挟んだ正面入り口の反対側には、異国の建築様式を随所に取り入れた瀟洒な佇まいの図書館が建てられていた。
知識の集積場であるその場所には、丸みを帯びた背の書籍が隙間なく詰められた書架が四方の壁にいくつも配されており、訪問者を歓迎するように大きくその腕を広げていた。
古書の持つ特有の香りと蔵書に影響を与えないよう計算された窓から差し込む光が独特の雰囲気を醸し出し、緩やかに時が流れる。
館内に幾つか設けられた閲覧室では、知識人や富裕層のみならず庶民の姿も数多く見られた。
それもそのはず、近隣地域ではあまり類を見ないことではあるが、この街の図書館の運営資金の大部分は市民からの寄付金が占めているのである。であるならば、存分に活用するのが道理と言えよう。
静かでありながらもどこか雑然とした不思議な雰囲気の漂う室内に、見慣れた姿を探しにラズが足を踏み入れる。
ぐるりと視線を巡らせると、すぐに傍らに数冊の本を積み上げて随分と熱心に読書をする相棒が視界に入った。
何故だか、紙面に集中するファルの前の席で事務作業をしている職員がいるが、恐らくはただの偶然であろう。
余計なことをしでかさないように見張られているのではないはずだと、微妙に現実逃避をしながらゆっくり近づく。
近づく少年に気がついた職員が広げた書類ごと席をひとつずれるも、その正面に座る幼馴染みが気がついた様子はなし。
積まれた本の一番上にある一冊を手に取り書籍の題名を確認すると、物言いたげな表情で相棒に視線を向ける。
「お塩で違いの出る悪霊退治」
革張りの表紙で装丁を施された書籍には、その装いに相応しい重厚な書体で全体の雰囲気にそぐわない題名が記載されていた。
一瞬、見間違いかと思い目を擦って見直してみるが、重厚な外見に相応しい題名が浮かび上がることはない。
ひとまず手にある本は見なかったことにして土台になっていた他の書籍に目をやると、そこには「おうちで作る黒色火薬」や「猿にもできる蒸気機関分解その1」等が積み上げられていた。
作者名を見るに、どうやら同一の人物の手によるものらしい。
誰がこんな物を読むんだと問いたくなる題名ではあるが、目の前にいる自分の幼馴染みが好んで読んでいると言う現実がある以上、八つ当たりをすることもできない。
書き手と読み手の感性が問われそうなその本達は、役場の役人達が目にしたならば、勘弁してくれと泣きついてくるか、本を抱えて全速力で走り出すこと間違いないであろう取り合わせである。
「なぁファル、ひとつ聞いて良いか?」
言い様のない疲労感を滲ませた相棒の呼び掛けに、文字を追っていた少年が顔を上げる。
何故か、席を譲ってくれた職員の視線も向けられるが、そちらは無視をする。
ついでに付け加えると、ファルが現在読んでいる本は「もぐらと始める掘削術」と言う題名の積まれている書籍と同じ作家の物であったがそちらも気づかなかったこととする。
「今度は一体何を壊すつもりだ?」
親友の心の底からの問いかけに一度首を傾げるが、その手にある本を見て納得したように頷いた。
「そっちの本は気分転換用だよ」
「何をどうしたらこの組み合わせで気分転換になるのか、おれには全然理解できないんだけどな」
椅子を引きながら、様々な言葉を飲み込むがごとく大きく嘆息する。
ラズが向かいの椅子に座ると、大丈夫と判断したのであろう職員が荷物を纏めて本来の持ち場へ戻って行った。
言うまでもなく、少年に見張り役の職員との面識は全くない。にもかかわらず、このごく自然な一連の引き継ぎはなんと表現すべきか。
知らない内に顔が広まっていた事実に、思わず目眩を感じて眉間を押さえた。
「お前、後で説教な」
「何でさ。ぼく何も悪いことしてないだろ」
自覚に欠ける幼馴染みの抗議にやかましいと返すと、それでと話題を転換する。
「お前はこんな所で何してるんだ?」
「見ての通り、調べものだよ。街の造りや歴史とか、昔話とかね。まあ、これと言った手掛かりはまだないけど」
こちらが本題の資料だ、と隣の椅子に置いていた数冊の書籍を机の上に積み直した。
「街の歴史って、この前役所の人に説明しただろ」
「そうなんだけどね。ただ、前回は結構駆け足の説明だっただろ。あれだけじゃ全然手掛かりが足りなくてさ」
特に最初の先祖が住み着くより前にこの地に居たはずの住民の資料が足りない、とぼやく少年にラズが首を捻る。
「最初のご先祖の前の住民って、どういう事だ」
「そのままの意味だよ。この街は遺跡を利用して造られたって、この前伯爵のお屋敷で言っただろ。で、その街を造ったのがその人達なんだよ」
正確に言うと遺跡の上に今の街が乗っている感じかな、と手元にあった紙に簡単な周辺地図を描き、自分達の街の名前を書き込むと、それをぐるりと円で囲う。
「ご先祖様達があちこち逃げ回っていたって言うのは、この前説明しただろう。その時にこの街を見つけて、誰も居なかったからそのまま住み着いたらしいよ」
「何でこんな場所に街を造って、造った街を捨てて出ていったんだ?」
相棒の当然の疑問に対し、ペン尻を顎に当てて俯く。
そのままの姿勢で暫しの間言葉を探すと、これはぼくの想像だけど、断りを置いて後を続ける。
「街の原型を造った人達も、ご先祖様達と同じく本来住んでた場所を追い出されて、あちこち旅した末にここにたどり着いた、それでここに落ち着くことに決めて街を造った。何でこんな場所に決めたか? 多分ここが不便だったからだろうね。不便って言うことは、普通は価値がないってことでしょ。逆に言えば攻めてくる相手がいない安全な場所ってことじゃないかな」
少なくともわざわざ人とお金を使ってまで攻めてくるだけの理由はないだろうと、周辺地図にいくつかの線を書き込み、それに大きなバツ印を付ける。
「じゃあ、何で折角造った街を捨てて言ったのかだけど、これも多分不便だったからだろうね」
「不便だってわかってて住み着いたのにか?」
「わかっててもだんだん我慢できなくなってきたんだろうな。こんな場所にある街だからね、もしかしたら想定したりも早く人が増えてきて食べ物が足りなくなったのかもしれない」
ご先祖様達の一部が旅に出た理由のひとつと同じだろう、と肩を竦めて続ける。
そもそもが本来は人が住むには向かない土地だけに、時が経つにつれて問題が積み重なっていったのだろう。
安心して暮らしたいが為に選んだ土地で、穏やかに暮らし人が増えていったが故に捨てざるを得なくなるとは、なんとも皮肉な話である。
「じゃぁ、何でご先祖達は一部の連中が出ていっただけで済んだんだ?」
「それは逆じゃないかな。出ていく人達がいたからこそ、残った人達が街を維持できたとぼくは思うんだ」
当時は価値のない土地と見なされていただけに外敵の心配は少なく、放置されていたとは言えど破壊されたわけではない街は十分に利用可能であるため新たな開発の必要性はあまりなかっであろう。
自分達の為に旅に出たと思えば残された人達は必死で街を守るし、旅立った人達にしても帰る場所があると思えばこそ、故郷の為に情報や物質を集めようと思ったのではないかと続ける。
「後は、ご先祖様達にとって海は邪魔なものじゃなかったって言うのも、大きいんじゃないかな」
「まあ、他に選択肢がある土地でもないしな」
農業に向く土地柄でなく、森林や鉱物等の資源に恵まれているわけでもない。そうとなれば、嫌でも海に目を向けるしかないと言うのはこの街の住人にとっては当たり前のことである。
それにしても、と口元に手をあてて小さく呟く。
「なんで最初の人達は海に出るのを嫌がったのかな? こんな場所に街を造ることができるのに」
仮に最初の住民が先祖ほど船を作るのを得意としておらず、船自体が発達していなかったとしても近海を航行するくらいは十分に可能だったはずであり、事実ネツィアの街も近海交易を経て今の姿があるだけに、疑問を抱くのは当然と言えよう。
「何か海に出られない理由があった、とか? でも、物語でもあるまいしなぁ」
俯いて何事か呟きつつ、少年が思案に沈む。
そのまま思考がずれていくのかと危惧したラズが相棒を現実に引き戻すべくそっと腕を持ち上げるが、まぁ良いかと拳が振り下ろされるより早くファルが軌道を修正する。
「最初の人達がなんでいなくなったかとか、どこに行ったのかとかは別に良いんだ。気にはなるけど、今は関係ない」
間一髪で痛みを回避できたことに気づいていない様子で顔を上げる相棒に、ラズが拳骨で現実に戻そうとした事などおくびにも出さずに相づちを打つ。
「そもそもだけどな、遺跡の上に街が乗っているって言うのはどんな風になってるんだ」
「んー、簡単に言うと水路が互い違いになるような感じで遺跡と地下水路と今の街が重なってる、かな」
干潟の上に建つネツィアの街は人工の島であり、住人達はいつの時代も汐の満ち引きに悩まされてきた。
それが故、いかにして水を逃がすかを突き詰めた結果が、今のネツィアの姿と言える。
「最初の街の頃はあまりに海に出ることがなかったから、堤防で囲われてたらしいよ。で、高潮の時には堤防が壊れないようにするために水の逃げ道として水路が張り巡らせられていた、と。ただ、船を使うにはあまり向いていなかったから、ご先祖様達は堤防を残しながら街の上にさらに街を造った訳だ」
先程簡単な周辺図を描いた紙に、追加して街の断面の想像図らしき三層の図を書き込む。
最初の住人達は高い建築技術を持っていたらしく、基礎として活用されてなお当時の姿を目にすることができる、らしい。
「なるほど。それで、その大昔の住民と今回の件の関連性は?」
「宝物がその遺跡に隠されているから」
親友の問いに対して、ファルが端的に答える。
あまりに端的すぎて要領を得ない回答に、目眩を覚えたラズが溜め息を吐きつつ再度拳を持ち上げた。
「げんこつの後で説明するのとその前に説明するの、好きな方を選べ」
「街の創立式典の時の言葉にあっただろ、楽しい事は分けあってこそ倍増するって」
振り上げられた拳が功を奏したわけではなかろうが、ペン先で机を軽く叩きながらファルが続きを付け加えた。
ただ、言葉が付け加えられたものの情報量としては以前不足したままであるので、引き続き説明を促す。
「最初の住人達が造った町をご先祖様達が見つけて住み始めた。この町があったからこそ、今があると言っても大袈裟じゃない」
つまりは最初の住人達は自分達の恩人である。であるならば、仲間と言っても過言ではないのではないか、と考えたのであろうとファルが続ける。
さらに考えを進めるならば、子供も大人も思い切り遊べるようになったと伝えることこそ恩返しになるのではないか、と。
「だから、何かを隠すとしたら遺跡を選ぶ可能性が高いと思ったんだけど」
ふと言葉を切ると口許に手をあてて黙りこむ。
暫しの間そのまま思案に沈むと、そうかと呟き床に置いていた鞄から観光客用の市内図を取り出し、いくつかの箇所に丸を勢いよく書き込んでラズに見せた。
「多分、このどれかの近くにある地下水路から、遺跡に降りることができるはずだよ」
示された地図にラズの眉根が知らずの内に寄せられるが、印を付けられた場所が街の主要部分とくれば無理ない反応であろう。
「断言するだけの根拠は?」
「もしも自分が役場の人達の立場だったとして、ぼくみたいなのを好きにさせておくか? そんな面倒なこと、ぼくは絶対に嫌だな」
自分の事ながら力強く言い切るファルに、ラズが分かっているなら少しは自重しろと半眼で訴えるも、素知らぬ顔で流されて終わった。
まったく、と溜め息を吐きつつも説得力だけはあると認めざるを得ない。
始まりが始まりであるだけに、癖の強い参加者が大多数を占めていたであろうことは想像に難くない。
子供と言うものは自由気ままと言う表現を形にしたような生き物である。その中でも折り紙つきと来れば、どんな厄介ごとを引き起こすかわかったものではない。
であるならば、主催者側としてもある程度は子供達の行動を把握しようとするはずだとのファルの推測もあながち外れではないだろうと、自分も癖の強い参加者の一人と見なされているであろう事実は棚に上げて、相棒の言葉を結論付ける。
「問題は、どうやってそこまでたどり着くかなんだよなぁ」
あたりがついても辿り着く道筋の予測がまだつかないと天井を仰ぎ見るファルに、先程まで読んでいた書籍の背表紙が見えないよう、さりげなく向きを変えた。
いくらなんでも地下を掘り進むようなことはないと信じたいが、相手が相手だけに油断は大敵である。
「ところで、まさかとは思うけどお前一人で来たわけではないよな」
「リー姉ちゃんとだよ。何でまさかが付くのかわからないけどさ」
「なるほど。それで、そのリー姉はどこに行ったんだ?」
「図書館の入り口で編集さんに見つかって、全速力で逃げていったよ」
先程とはうってかわって分かりやすい説明に、思わずラズが肩を竦めた。
隣家の末っ子が単独行動をしているのではと危惧した両親にせっつかれて様子を見に来たのであるが、どうやら正解であったらしい。
お陰で検討違いの方向に向かう前に捕獲できたと胸を撫で下ろす。
「それにしても、この前役場の人に言われただろ? できるだけ機械には近づかないでくれって」
こんな本読んでるのを見られたら、きっと役場の人たちが泣くぞ、との溜め息混じりの相棒の言葉に、ファルが気にした様子もなく軽く肩を竦めた。
「もしかしたら蒸気動力炉を分解することで入り口か近道が見つかるかもしれないだろ。そんな時の為にも、準備はしとかないとね」
もっともらしく告げる相棒にラズが息をやや白けた表情で背もたれに体重を預ける。次いで溜め息をひとつ吐くと、それでと改めて口を開いた。
「その本音は?」
「仮に関係なかったとしても、ちょっと分解して仕組みを調べてみても、お咎めなしで済むかもしれないだろ。準備しておかないともったいないじゃないか」
至極当然と言わんばかりの表情で答える相棒を見るに、残念ながら役人達の心配は的を得たものであったと思わざるを得ない。
もっとも、目の前の少年の性格をわかっていて止めていない以上、彼らの心労はある種自業自得と言えよう。
種を撒いたのが大人達であるならば後始末も任せて自分も楽しめばよいかと諦めを滲ませながら開き直った。
小さな冒険と真っ白な地図のかけら 十弥彦 @tooyahiko
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