〇七

 翌日の朝は、抜けるような青空だった。

 ただし、めっちゃ寒い。

 いわゆる放射冷却というやつで、深く息を吸い込むと肺の奥のほうがキリキリと痛んだ。

 去年買ったはずのアウトドアグローブがどこを探しても見つからないので、仕方なく母が庭いじりで愛用している軍手を拝借してきた。それをはめて、キヨシの家のまえまで自転車を押してゆく。

「あいつ、ちゃんとパンクの修理してあるんだろうな……」

 玄関ドアを引いて首だけ突っ込む。

「おういキヨシ、支度できてんのか? のんびりしてると遅刻するぞっ」

 返事はない。舌打ちして声のボリュームをあげる。

「おーい、寒くて待ってるのつらいし、おれ先に行くからなっ!」

 するとリビングのドアが開き、キヨシの母親がエプロンで手を拭きながら出てきた。

「あら、清志子なら今日はバスで行くって、とっくのまえに出ていったわよ。いやねえ、あの子ったら、ちゃんとダイちゃんに伝えてなかったのね」

「……あ、そうなんですか」

「ごめんなさいね。毎朝迎えに来てもらってるのに、本当にしょうのない子」

「いえ、自転車パンクしてたみたいだし、バスで行くっていうのならそれでいいんです」

 しきりに詫びを述べるおばさんを後に、自転車にまたがる。なんだか狐につままれたような気分だ。今までこういうことはなかった。

 うちから学校までは自転車を漕いで三十分くらい、路線バスだと停留所七つか八つぶんの距離だ。もちろん自転車よりバスのほうが速く進むけど、バス停での待ち時間などを勘案すると、トータルでかかる時間はさほど変わらないはずだ。

 なによりおれは、朝の通勤バスがキライだった。

 充満する化粧品のにおい、イヤホンから漏れる音楽、咳、体臭、カバンの角で押され、だれかに靴を踏まれる。そんな思いをしてまでバスに乗るくらいなら、多少時間はかかっても青空のもと開放的な気分でペダルを踏むほうがいい。それはキヨシもおなじらしく、おれたちは猛暑の夏も凍える冬も、二人そろって自転車での通学を押し通してきた。

「おおかた、パンクの修理が面倒になったんだろう」

 とりあえずそう納得することにして、学校までの道のりを急ぐ。いつも並走するキヨシがいないせいか、今日はその距離がやけに長く感じられた。

 学校へ着いたのはホームルーム開始の十分まえ。やっぱり、ひとりで黙々と自転車を漕いでくると到着するのが早い。キヨシにひとこと文句を言ってやろうと思ったが、教室のなかには姿が見当たらなかった。机のうえにカバンが放り出してあるから登校してるのは間違いないはずだけど……トイレかな。

「ほら、おまえらさっさと席に着けっ」

 担任教諭のガチャピンが入ってくるのと同時に、キヨシが反対側のドアからこっそり入ってきて、そのまま何ごともなかったかのように自分の座席にすわる。その横顔を盗み見て、あれ? と思った。つんと澄ましているけど、頬が上気して目が少し潤んでいる。ん? なにかあったのか……。

 ショートホームルームのあいだじゅう、キヨシのことが気になってソワソワしていた。なぜだか中里の姿がチラチラとあたまの隅に浮かんだ。打者を三振に取って、マウンド上でガッツポーズしている姿だ。

 ようやくホームルームが終わりガチャピンが教室から出て行った。

 おれは疑問を解消すべくキヨシのもとへ行こうとした。

 でもそれは無理だった。

 数人の女子たちがキャーキャー言いながら、キヨシの周りを取り囲んだからだ。


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