〇六

 教室へ戻ると、すでにキヨシの姿はなかった。

 おれと一緒でやつも帰宅部だから、基本的に終礼が済んでしまえば家に帰る。念のため売店や学生食堂にも寄ってみたけれど、やっぱりいない。

 逃したか――。

 まあいいさ、家は隣りにあるんだし、手紙を渡す機会なんていくらでもある。ただ、うちの親や彼女の両親には見つからないようにしないとな。妙な誤解をされては迷惑だ。でもこの手紙見せたら、あいつどんな顔するかな。いっちょまえに照れたりするのだろうか。あれほど感情が素直に顔にあらわれるやつも、めずらしいからな。

 下駄箱でハイカットのスニーカーに履き替える。生徒玄関を出ると、秋の深まりを感じさせる透き通った風がひんやりと頬をなでた。十一月も半ばを過ぎると、そろそろ本格的な冬のおとずれを意識せずにはいられない。黄色い落ち葉を踏みしめ、駐輪場へと向かう。――と、おれの自転車のまえでキヨシが仁王立ちしていた。

「遅ーいっ。もうなにやってんのよ!」

「あれ? おまえ……」

「この寒いなか素足で突っ立ってんの、つらいんだからね……ってかほらァ見てよこれ、鳥肌立ってるじゃない」

 キヨシは、短いスカートのすそからのぞく自分の両足をさすって口をとがらせた。おれは、ため息をついて自転車のバスケットへカバンを放り込んだ。

「まさかとは思うけど……帰りもおれの自転車に乗せてもらおうとか図々しいこと考えてるわけじゃないよな」

「当ったり前でしょ。なによその顔、このあたしに歩いて帰れっていうの?」

「いやバスで帰るとかさ、そういう選択肢はないわけ?」

「ない。バスに乗ると百八十円かかる。ダイスケの後ろならタダじゃん」

「あのなあ……」

「待たせた罰としてコンビニで肉まんおごること。いい?」

「おまえ、ふざけたことばっかり――」

 あやうく口論になりかけたが、ぐっと堪える。今は他にやるべきことがある。おれは周囲にひとがいないのを確認してから、ひとつ咳払いをした。

「ああ、キヨシくん。肉まんはおごってやれないが、代わりに良いものをあげよう」

 「?」の表情を浮かべるキヨシを盗み見ながら、おれはわざともったいぶった動作でブレザーの内ポケットから封筒を取り出した。

「さあ、受け取りたまえ」

 うやうやしく差し出す。キヨシは最初ポカンとそれを見つめていたが、みるみるうちに頬を赤くした。

「なっ、なによこれ、ラブレター? バッカじゃないの? 今どき手書きのラブレターとかマジウケるんですけど。てか毎日顔つき合わせてんのに今さらラブレターなんかもらっても……」

「落ち着けキヨシ」

 彼女の顔のまえで封筒をヒラヒラさせる。

「差出人はおれじゃない」

「――へ?」

「野球部の中里って知ってるよな? ほら、一緒に試合観に行ったことあるだろう」

「あ……うん」

「これは、やつからおまえに宛てたラブレターだ」

 キヨシの表情がスウッと冷めてゆくのが分かった。眉間にしわが寄り、声のトーンが低くなる。

「へえ……で、それをわざわざあんたが預かってきたわけだ?」

「まあ直接じゃなくて、佐伯に頼まれたんだけどな」

「……ふうん」

 なぜかキヨシが怖い顔で睨んでくる。反応が予想していたものと違い、おれは少しアタフタした。

「な、なんだよ嬉しくないのかよ」

「……べつに」

「背は高いし、けっこうイケメンだぞ。校内新聞でもその活躍が取りあげられた、うちの高校のスターだ」

「……だから?」

「あのさあ、おまえなにふてくされてんの? こんな良い話持ってきてやったのに……じゃあいいよ、そっちが乗り気じゃないってんなら、この手紙は佐伯に返す。それで、いいんだな?」

「……よくないっ」

 いきなり封筒を引ったくられた。

「あっ、こいつ――」

「これは、あたしんだ」

 キヨシはそれをカバンのなかへ押し込むと、おれにあっかんべーした。

「なんだよ、読まないのかよ」

「こんなの、ひとまえで読めるか」

「いや、おまえからの返事を佐伯に伝えなきゃならないんだけど……」

「子供じゃないんだし、返事は直接本人にするからいいっ」

 尖った声でそう言うと、キヨシはこちらに背を向けてズンズン歩き出した。

「お、おい、どこ行くんだよ。おれの後ろに乗ってくんじゃないのか?」

「気が変わった。ひとりでバスに乗って帰るっ」


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