〇五
放課後、帰り支度をしていると、隣りのクラスの佐伯というやつが教室の入り口から手招きしてきた。
「おうい須藤、ちょっとちょっと」
佐伯は小学校へ通っていたときのクラスメイトで、よく一緒に公園でサッカーをやった仲だ。今は野球部の練習が忙しいらしく、学校でも滅多に顔を合わせることはない。おれは教科書をカバンへ詰め込みながら、のん気な声で返事をした。
「よう久しぶり、元気そうじゃん。おんなじ高校通ってんのに、ぜんぜん話す機会とかねえもんな。どうよ部活のほうは、三年も引退したし、そろそろレギュラー取れそうか?」
「そんな話はいいから、早くこっちへ来いって」
佐伯は周囲へ警戒の目を配りながら、執拗に手招きを繰り返している。あきらかに挙動不審だ。なんとなく関わり合いになりたくないような気になったが、それでも子供のころからの友人なので仕方なくカバンをかついで近づいていった。
「どうした?」
「ちょっと、こっちへ来てくれ」
いきなり腕をつかまれた。
「おい、なにすんだよ、制服の袖引っ張んなって」
「いいから、いいから――」
佐伯に連れ込まれたのは音楽室だった。黒光りするグランドピアノを中心に、譜面台とパイプ椅子が整然と並べられている。放課後はおもに合唱部が使用しているはずだが、今日は練習が休みなのかまだだれも来ていない。
吸音ボードで囲まれた部屋に来てようやく安心したのか、佐伯は肩のちからを抜いてホッと息をついた。
「すまんな、急に呼び出したりして。じつは折り入っておまえに頼みたいことがあるんだ」
「なんだよコソコソして、気持ち悪いなあ。言っとくけど金なら持ってないぞ。おれバイトしてねえから」
「そんなんじゃないって」
佐伯はブレザーのポケットから、小さな封筒を取り出した。縁にラズベリーの文様をあしらったパステルグリーンの封筒で、ハート型をした金色のシールで封がしてある。
「これ、瀬戸に渡して欲しいんだけど」
「……はあ?」
ポカンと口が開いたのが自分でも分かった。
「おま……これって、もしかしてラブレターじゃないのか?」
「もしかしなくてもラブレターだけど」
「マジかよっ」
見れば、佐伯の少し垂れ気味の、いかにも人の良さそうな目が思いつめたように潤んでいた。とても冗談を言ってるようには思えない。こいつマジなのか。マジでキヨシなんかを……。おれと目が合うと、佐伯は急にバツが悪そうな顔になりあわてて視線を逸らした。
「あ、いやなら断ってくれてもいいんだぜ。おまえもホラ、色々と思うところがあるだろうし、そんときゃ覚悟を決めておれが自分で渡すからさ」
「べつにイヤだなんて言ってないだろ。でも驚きだな、おまえがキヨシのこと好きだったなんて。ガキのころよくあいつに泣かされてたよな? ズボン下ろされたり、プロレス技かけられたり、小遣い巻きあげられたり」
「バ、バカ、勘違いすんじゃねえよ。おれじゃないって」
なにかイヤなことでも思い出したのか、佐伯は酸っぱいものでも飲み込んだような情けない顔になった。
「おれが瀬戸なんかを好きになるわけないだろう。無理やりパンツ脱がされて油性ペンで黒く塗られた記憶は、今でもトラウマになってんだから」
「なら、これは?」
「うちのクラスの中里、知ってるよな。おれとおなじ野球部でピッチャーやってる」
「もちろん知ってるよ。決勝戦、クラスのみんなと応援に行ったからな。惜しくも準優勝に終わったけど、やつは凄いピッチャーだった。うちの弱小野球部にはもったいないよ」
「弱小は余計だって」
「で、つまり……その中里ってヤツがこれを?」
「うん」
佐伯は、フッと疲れたような笑みを浮かべた。
「けっこうまえから瀬戸のことが気になってたらしい。地区大会が終わるまではなんとか頭から追い払ってたみたいだけど、今じゃもうあいつのことばかり考えて夜も眠れないと言っていた。おかげで練習にもぜんぜん身が入らなくて、毎日監督から怒鳴られている始末さ」
身長一八〇センチ超。いい感じに日焼けしたスポーツマンで、甲子園進出の期待に校内を沸かせた立役者でもある。そのせいか、今うちの高校の女子たちのあいだで噂の的になっている。
そんな旬のひとが、なんだってキヨシなんかに?
佐伯が両手で拝むマネをする。
「じゃあ悪いんだけど、それ頼むわ。あと瀬戸に渡すとき、ついでに返事も訊いといてもらえるかな?」
「……お、おう、任せとけ」
おれは、そのラブレターをブレザーの内ポケットへ仕舞い込んだ。なんだか、トランプでまんまとババを引かされたような、妙な心境だった。
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