第015話 女神と定春

 

 天井も壁もなく、全てが真っ白の世界。


 広大なその空間に、ポツンとひとつの机がある。机の上にはキーボードと、何にも支えられずに宙に浮くモニターがあった。そのモニターに映し出される言語は、地球のモノでない。


 ひとりの男がモニターを見ながら、キーボードで何かを打ち込んでいく。


 何時間も、何十時間も。


 男はキーボードを叩く指と眼球以外ほとんど動かさず、ただひたすらに何かプログラムのようなものを打ち込み続けていた。



「さーだーはーるーー!!」


 真っ白な空間に穴が開き、そこから二十歳くらいの金髪美女が現れた。


「ねぇ、定春。ちょっと聞いてる?」


 美女の呼びかけに一切反応せず、定春と呼ばれた男はなおも手を止めない。


「私の話を、聞きなさい!!」


 強引にキーボードを取り上げ、定春の手を止めさせた。


「……あぁ、女神様。来てたんだ」


「来てたんだ、じゃないわよ! ちゃんと私の話を聞きなさい」


 この金髪美女がこの空間の主。そして地球上にダンジョンを出現させた存在だった。彼女は地球人が認識しやすいよう、自らを神と名乗っている。



「それで、何か不具合でもありました?」


「黒のダンジョンが攻略されちゃったの! ちょっと早すぎない!?」


「へぇ、そうなんですね。でもアレは初心者用の設定ですし、初日でクリアされても問題ないですよ」


「だ、だけどさぁ」


「今はまだ第4等級ダンジョンを実装途中ですが、この世界の人間が第2等級をクリアするにはまだまだ時間がかかるでしょう」


 定春は女神によってこの場所へ連れて来られた元人間だ。それもファーラムワールドオンラインの基幹システムを構築したプログラマーだった。


 そんな彼は今、女神の下で現実世界にFWOの世界にあったダンジョンやモンスターの設定を反映させる作業をたったひとりで実行している。実は世界中に出現したダンジョンはほとんどがただの構造物であり、その内部にモンスターは存在しない。


 自称女神ができるのは構造物やアイテムの創出、そして創造生物を設定した通りに動かすことだった。創造生物とはダンジョンに出現するモンスターのことだが、彼女はそれに動きを設定して強さを調整するのが苦手だった。


 そのため女神は定春をこの場に招き、モンスターの強さ調整などダンジョン運営の手伝いをさせている。



「第4等級ダンジョンへのモンスター実装状況はどれくらい?」


「60%程度ですね」


「それ、あと3日くらいで終わりそう?」


「終わるわけないでしょう! 第4等級がどんだけでかくて数も多いか、あんた分かってないんすか!?」


 定春に怒鳴られ、女神がビクッと身体を強張らせた。


「お、怒らないでよぉ。だってついさっき、第2等級ダンジョンがクリアされちゃったんだもん。だからすこーし、定春に急いでもらいたいなって」


「…………は? も、もう第2等級が踏破されたって言うんですか!?」


「そうみたい。ちなみに最初にクリアしたのは日本人だよ」


「おぉー。それは元日本人として、ちょっと嬉しいっすね」


 彼は女神から疲れない不老不死の肉体を貰い、既に人間を辞めていた。


「じゃあ、その日本人は第3等級に行くんすね?」


「そうだと思うよ」


「あそこのトロフィー設定、女神様がやらせろって言うんでお任せしましたけど……。なに実装したんです? 人型っぽいのが配置されてますね。自律人形とか作れたんすか? もしそんな便利な能力あるなら、アシスタント数人欲しいんすけど」


 女神は生きた人間を拉致してきて意思を奪い、トロフィーにしようとしている。それをこの時の定春はまだ知らなかった。


「第3等級ってFWOだと戦闘を補助してくれるNPCのペットがもらえるんでしょ? 私、それをヒントに自分で考えたの! 偉くない!? ねぇ、褒めても良いよ」


「はいはい、凄い凄い」


「もーちょっと真剣に褒めなさい。まぁいいわ。とりあえず第3等級は最後まで問題ないんだけど、まだ第4等級の実装ができてないのはダメね。どうしても無理そう?」


「無理だっつってんだろ」


「じゃあ、仕方ないからぁ。ここで負けイベント入れちゃおうか。それで時間稼ぎしようよ」


「おっ。例のアレ、実装しても良いんですか?」


「だって女神の私が創り変えてる世界を、人間に追いつかれちゃうなんて許せないんだもん」


 事前に何か月もかけて準備してきたものが、僅か2日で破綻しようとしている時点で負けなんじゃないかと定春は思った。しかし口には出さなかった。


 モンスター実装の合間を縫って造り上げたオリジナルの中ボス。現時点の人類ではどう足掻いても勝てない強さに設定したそのモンスターを、負けイベントとして実装しても良いと言ってもらえたからだ。


「ありがとうございます! では、泉のダンジョンの中ボスとして追加実装します」


「ところでそれ、本当に負けないんでしょうね?」


「第5等級ダンジョンでゲットできる武器とか持ってない限り絶対に勝てません。これはFWOで最強のソロプレイヤーの動きを完全トレースして創り上げました。装備の強さが同じなら、チート級のキャラコンを使いこなす彼には誰も勝てません。彼だけが俺の考案したマニピュレータシステムを完璧に使いこなしてくれました」


「じゃあ、その最強の彼ってのが来ちゃったらどうすんのよ」


「大丈夫です。そのために現実世界に出現したダンジョンは、成人してないと入れないようにしてくださいって条件つけたじゃないですか」


 定春は人間であることを辞めたが、子どもが無為に命を失うのは避けたいと考えた。そこで女神を説得し、成人のみダンジョンに入れるようにした。



「あぁ、そういうこと。最強の彼、まだ子どもなんだね」


 ちなみに女神は日本の平安時代の資料を読んで、ダンジョンへの入場制限を設定している。成人とは15歳以上のことだと彼女は思い込んでいたのだ。


 この勘違いにより16歳だった『最強の彼』は普通にダンジョンに入り、モンスター相手に無双している。



「まずないと思いますが、負けイベントを突破してくるようなフィジカル最強の廃ゲーマーがいた時のために保留してたボスキャラの設定もやっときますね。女神様がそのボディに入りたいんでしょ?」


「そう! せっかくトロフィー準備したんだから、それを守るのは私がやってみたい」


「負けイベント級の設定にはしませんよ。元のままでも十分強いんで。あとは女神様のキャラコンで頑張ってくださいね」


「まっかせなさーい!」

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