58話 30万の攻防戦 (8)


久蛾はズタボロになった自分の左手を痛む充血した目で呆然と見ていた。



幾何学な静寂サイレント・アナグラムを使いすぎた。

これ以上、力点ポイントを使いすぎると自身の防御に振る分がなくなっちまう。

かと言って殴り合いの喧嘩なら相手の方が有利……か。


久蛾は大きく深呼吸をして膝を伸ばす。

足腰が揺らいで太腿を抑えながらようやく立ち上がった。


「………試す価値はある…か」


久蛾の小さい独り言は離れたベルルには聞こえなかった。


「クックック立ってるのがやっとって感じだなぁ?クガァッ!あんな大口叩いておいて結局、テメェも口先だけのゴミだって事だなぁ!?」


ベルルは頭の痛みと弱っている久蛾の顔を見ながら少しハイになっていた。


アドレナリンの分泌が過剰になり身体の影響が力点ポイントの増幅という形で顕著に現れ始めた。


ベルルはまるで放点をするかという勢いで力点ポイントを発生させる。


「薄汚え病院の一室で壊れた両足眺めながら一生、後悔しやがれ!」


ベルルは一瞬で久蛾のそばまで行くと迷いなく彼の右腕を掴みにかかる。


久蛾は右腕を素早く引いて上体を仰反るがベルルは足に集点をして久蛾の膝を蹴りつける。


ピキッという内部からの鈍い音が聞こえ久蛾の動きが一瞬、静止する。


その時にベルルは少し前に出た左腕を掴む。

掴んだ瞬間に久蛾の左腕は五つに増える。


久蛾はすぐに放点をして左腕に力点ポイントを集めた。

それが命取りになる事を知らずに左腕に力点ポイントを集めてしまったが故に他の肉体への力点ポイントの防御が薄くなっていた。


そこをベルルは見逃さなかった。


ベルルは強く久蛾の左腕を掴んで離れなくすると久蛾の腹部を何度も何度も殴りつけた。


「おらっ!おらっ!死ねや!」


久蛾の肋骨にはヒビが入り口から血が噴き出る。

久蛾は腹部に力点ポイントを向けるかどうか迷ったが仮に腹部に向けた時、実質自分の左腕は無くなる事を意味していた。



「これで最後な」


ベルルは拳に集点をすると肩の上まで振りかぶる。


「お前は殺さない。この世には死ぬ事よりも嫌な事なんてたくさんあんだよ。俺らに逆らうって事はどういうことかこの国の奴に教えなきゃなんねえ。テメェは一生この俺が遊んでやるよ!!」


「口先だけの初心者ルーキーがこの俺に上から物言ってんじゃねえぞ」


久蛾は血だらけの口をニヤリと上げるとベルルを見下すようにそう言ったのだ。


「バカがっ!」


ベルルは思いっきり久蛾の腹部を殴りつける。

しかし久蛾の身体には何のダメージもなかった。


ベルルの拳を久蛾は残った右手で抑えていたのだ。


「クックックアホなのかテメェは!?俺に触ったらテメェはもうおしまいなんだよ!」


ベルルが増幅する魔の手タッチ&リリースを使おうとするが何故か久蛾の右手が増えない。


久蛾の重点した右足がベルルの脇腹を蹴り上げる。


その衝撃と痛みでベルルは久蛾の手を離し左側の壁に激突する。


脆かった壁にヒビが入りベルルの頭に壁のかけらと砂が落ちる。


久蛾は皮が剥がれ血だらけの左手を自身の服を脱ぎ捨て縛りつける。

そしてまるでこの空間にはそぐわない異形な存在である自身の五本の左腕を警戒しつつ久蛾は倒れこんでいるベルルを見下した。


「………早く立てよもう終わりか?」


ベルルは壁を手で押さえつつゆっくりと立ち上がる。


「殺してやるよ」

 

ベルルは五本の指を大きく広げて襲いかかる。

しかし久蛾は避けようともせずにその指を自分から触りにいく。


「テメェ指は捨てたか?」


「どうだろうな?」


しかしまたもや久蛾の指は増えなかった。

そこでベルルは自分の異変に気づく。

先程まで力点ポイントを使い続けていたので気づかなかったが明らかに手に発生させた力点ポイントの量が減っていたのだ。


そしてそれに比例して久蛾の手の力点ポイント量が増えているのだ。


ベルルはすかさず増やした久蛾の左腕を元に戻す。


しかし放点した久蛾の左腕はほとんど外傷なくダメージを抑える。


ベルルは顎に滴る自分の汗を手で拭うとこの久蛾という男の言い得ない恐怖を肌で実感していた。


手を破壊されて肋骨が折れるまで殴られているのに目の前にいる二十歳になっているかどうか分からないこの男は俺を見下ろして不敵に笑みを浮かべている。


い、一体、何年、何十年と自分の死と隣り合わせに生きてきたんだ?

こいつはきっと大和大国やまとたいこくのやつじゃねえ異世界転生者だ。


じゃないとおかしいだろ!?

理屈に合わねえ!



「あんたは前の人生でもこんな事をしてたのか?」


ベルルは思わずといった形で久蛾に尋ねた。

久蛾は右手で鼻を掻くと頷いた。


「まあこんなに派手な殺し合いはした事なかったけどな……方法が変わってもやる事は変わんねえさ」


「やる事?」


「お前も言ってただろ?この世には死ぬ事より怖い事はたくさんあるって……俺だってお前を殺さない殺したって金にならないから」


久蛾は悪魔のような笑みを浮かべてベルルを見下ろす。

ベルルは久蛾の後ろに死神がいると錯覚を起こすほどその笑みは闇そのものだった。


「俺がやるのは"恐怖"を植え付けること。お前がこれから寝る時もメシ食う時も誰かに命令する時も俺の顔がチラついて思わずうずくまりたくなるようにゆっくり……じっくりお前の心に"恐怖"を馴染ませ植え込む」


ベルルの呼吸が速くなり頭の痛みを増していく。

汗が噴き出て止まらない。


「お前から俺に喧嘩を売ったんだ。わかってんだろ?もう二度と今までと同じような人生は歩めない事ぐらい」


久蛾はゆっくりゆっくり近づいていく。

辺りは静寂で聞こえるのは久蛾の足音だけ。


「うわあああっ!!!」


ベルルは目をつぶって手を大きく広げる。

すると隣にあった廃工場がガタガタと震えてこちらに近づいてくる。


それを皮切りにいくつもの廃工場がベルルがいる工場に近づいてくる。


久蛾は少し窓の外を見て状況を確認すると放点をといた。


「心がくじけたら勝てるもんも勝てねえさ」


廃工場が互いにぶつかり合い激しい瓦礫音と砂埃が辺りを舞う。



砂埃が薄くなり辺りは瓦礫とゴミの平原となった。

ベルルは瓦礫の影に隠れて体育座りをしながらガタガタと震えていた。


な、何で俺はこんなに震えてるんだ?

足が止まらない。震えが止まらない。

過呼吸になってる……でももう何もない。


奴だっていなくなったはずだ。

こんな瓦礫の山から俺を見つけ出すことなんて……


「おい」


ベルルが隠れていた瓦礫を久蛾は破壊する。


「危ねえな幾何学な静寂サイレント・アナグラムを使わなかったら下敷きなってたぞ」


「で、でもあんた放点つかってたじゃないか?」


「お前から奪った力点ポイントで少しだけ能力使えんだよ……ほらそんな事より出てこいよ」


久蛾はわざと包帯を巻いているベルルの頭を掴み引き摺り出す。


「痛い!痛い!やめてくれ!」


ベルルは頭を抑えて座り込む。

久蛾は下を向くベルルの頭を掴み無理矢理上げさせる。


「俺と仲間の治療費と交通費、そして休んだ分の本来稼げてたであろう金と後はーー迷惑料と慰謝料と」


「ちょ、ちょっと何の話だ?」


「これからお前に請求する金の話だ……合わせて3,000万Gで勘弁してやるよ」


ベルルは辺りが暗くなり目が眩むのを感じた。


「そ、そんな金ねえよ」


ベルルは細い声で久蛾に訴えた。

目はほとんど涙目になっていた。


久蛾は満面の笑みを浮かべるとベルルの肩を叩く。


「安心しろようちは金融屋だ。金なら貸してやるよ」


「は、はははっ」


ベルルは頭を下げてうずくまる。


「7日で5割だから今日から7日後に1500万その7日後にも1500万。一生、俺に払い続けろ」


「か、勘弁してくれ」


久蛾はしゃがみ込んでベルルと視線を合わせる。


「ダメだ許さないそんな甘い世界じゃない。もしお前が一日でも遅れたりしてみろ」


久蛾の目は暗く深淵が映り込んでいた。


「地獄を見せてやる」


そう言い残すと久蛾は立ち上がり瓦礫の山を歩き始めた。

ベルルは後ろに寝転がりただ暗くなる空を眺めこれから始まる日々を思い大きく大きく咆哮した。


「うわぁぁぁぁああ!!!」



ベルルベット・ギルジーニ VS 久蛾災路


ベルルの戦意喪失により勝者 久蛾災路!!




──────────


次回、ヴェニス VS 蚊神空木──開幕!!


あと5話か6話で二章は終わる……はずです!

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