26話 "薬と泥沼" (2)


酒場ノクターンまでの照らされた街灯を横目にスシカは出来るだけゆっくりと歩いた。


三歩進むたびに立ち止まってまたため息を吐きながら前に進む。


そしてムシノスローンの看板が見えた。

スシカは立ち止まって深呼吸を繰り返した。

さっきまで聞こえていた酔っぱらいの声は遠くになり聞こえるのは虫の声。


スシカはノクターンの重い扉をこじ開ける。

中はスシカの予想に反してほとんど誰もいなかった。


店主と受付をしていたアゲハ。

それに久蛾と22区で逸れてしまった蚊神がいた。

そして自分の夫が座っていた。


スシカはカガミの手に巻かれた包帯と痛々しい顔の傷を見てあの時の強盗に襲われた事を知った。


「あ、カガミさん傷大丈夫ですか?」


スシカは本題に入らないように自分から話題を振った。


「ん?まあ平気」


蚊神はもうすでに偽る事をやめてスシカに本性を出していた。


「あの……返済日は明日のはずじゃあ」


「それがね奥さん。あんたの薬中の旦那がやらかしてね」


店主のフライはコップ磨きながら目線だけでカウンターの端っこを見た。

スシカも目線を追うとカウンターに寄りかかっていた久蛾が退いた。


「……え?これは」


カウンターの端の所がバラバラに破壊されていたのだ。


「薬中の旦那が酔っ払って壊したんだよ」


フライはコップを綺麗に戸棚にしまった。


「とりあえず修理費として50万──払って欲しかったんだけどあんた来るの遅いからムシノスローンさんに代わりに払ってもらったよ」


フライはバラバラになった木の破片を持って振る。


「まあうちも商売だからあんたの今までの借金にプラスで50万増えることになるけどしょうがないよね?」


久蛾が今度はテーブルに寄りかかりながら言った。


「え、どうゆうこと?なにそれ。じゃあどうなるの?」


「つまり借金の合計が80万。利息は7日で5割のシチゴだから明日40万払え」


スシカの脚に力が入らない。

胸に泥が流れていくかのように重くのしかかる。


「何を?意味わかんない」


スシカの旦那は律儀に座りながらも天井を見上げてぶつぶつ何か言っている。


アゲハは椅子に座りながら皿に置いてある唐揚げを食べていた。


蚊神もアゲハと同じ席に座って唐揚げを食べながら酒をストローで飲んでいた。


「この唐揚げの皮がおいしい」


アゲハがフォークで唐揚げを刺す。


「両腕が痛いから唐揚げを持ち上げられねえよ」


蚊神もフォークで唐揚げを刺そうとしたが手がプルプルしてうまく持ち上げられなかった。


スシカはそんな自分とはかけ離れた非現実さをこの男女がしている事に脳が追いつかなかった。


なんなの?これ何が起きてるの?


「あー話は終わりね。明日40万って事で」


久蛾はカウンターに座ってフライに麦酒エールを注文していた。


スシカの胸が泥のように溶けていくのを感じる喪失だった。何も抗えない絶望の淵に立っているようだった。


まるで泥沼に全て浸かりきった時に初めて自分が沈んでいる事に気づくように。


「ちょ…ふざけないでよ」


声に出すと怒りが芽生えてくる。


「ふざけんな!!意味わかんない事、言ってんじゃないわよ!うちの旦那が壊したんならそいつやるわよそいつの臓器でも何でも勝手に売ればいいでしょ?」


スシカは地団駄を踏む。


「ふざけんな!ふざけんな!訴えてやる!領主に言うから!」


バンッ!


机を強く叩く音。

スシカの声が途切れる。


久蛾が椅子ごと回転させてスシカの方を向く。


「訴えれるなら訴えてみろよ。生半可な気持ちでこの商売してねえんだ──40万払えねえなら地獄を見せるぜ」


人差し指をスシカに向けながら久蛾は目を離さなかった。


「それにお客さんとんでもない事してるのに訴える事なんてできないでしょ?」


アゲハが唐揚げの皮を上手にめくりながら追い打ちをかける。


「な、なによ。とんでもない事って」


スシカの額に汗が滲む。立っていれるのもやっとだった。


「……あんたが薬を作ってることは知ってる。でもスシカさんさー自分でピースを改良して新しい薬作ろうとしてたでしょ?」


蚊神がストローで酒を飲みながら言った。

額には血管が浮き出ている。


「その新しい薬物の実験台として自分の旦那に無理矢理、投与したよね?」


「な、なんでそれを」


「椅子に縛りつけて腕から注射器でグサッとそんであんたが作った薬物は大失敗。依存性は皆無だけど一発で前頭葉がイカれて廃人の出来上がり」


蚊神は痛む腕を無理に動かして一気飲みする。


「俺は薬をやる奴は死んで欲しいと思ってる」


蚊神が立ち上がりスシカに近づく。


「な、やめて」


スシカは後ろに後ずさる。


「だけど…薬作って無理矢理やらせる奴はもっと地獄を見て死んで欲しいね」


蚊神が前足で後ろにある扉を蹴る。


「ひやっ」


「明日の40万払えねえ事を祈ってるわ」


スシカは腰が抜けて座り込んでしまったが四つん這いでどうにか扉をタックルするように開けて出て行った。


「そんでどうするんすか?そいつ」


蚊神が顎でスシカの旦那を差す。


「こいつはゴキブリで治す。脳はいかれてるがダニダのヤブ医者なら治せるだろ」


「治して得あります?」


アゲハが皮を食べながら麦酒エールを恐る恐る飲んで苦い顔をする。


「聞いた話によると結構できる薬剤師だったらしいな。でも根性なしだったて噂だ」


蚊神がカウンターに座る。


「それは最高のカモですね」蚊神が言った。


「ああ。それとイル婆に店の拡張の話しといてくれ3軒合体した超でかい薬屋できるって言ったらあの婆さん喜んで開店資金の借金払ってくれるぜ──フライ俺に麦酒エールもう1杯それになんかツマミも」


「分かりましたあの婆さん喜びますねーあ、俺も麦酒エール


「フライさん私に唐揚げとご飯あとなんか海老フライもそれにオレンジジュースも飲みたいな」


アゲハが飲みかけの麦酒エールを蚊神に渡す。


「お前らなーもう閉店してんだよ。しかも一枚噛んでやったろ逆に奢って欲しいよ」


フライは顎髭を触りながらオレンジジュースを注ごうとさっき洗ったコップを取り出す。


「カウンターを新しいのに変えるって言うからせっかくなら有効活用しようと思ってな」


蚊神はアゲハの飲みかけにストローを差して飲み始める。


「それにしてもあんたらひどい事するね」


オレンジジュースをアゲハに渡してフライは麦酒エールを注ぎながら唐揚げと海老フライを揚げる。


「んー酸っぱい!」


アゲハがオレンジジュースをちょびちょび飲む。


「まあ商売だから」


「……俺はどうしようもないゴミクズにしか暴利はしない。まともな奴ならちゃんと正規な利息にするさ」


「ほーかっこいいね。正義の味方かい?」


フライは自分にも麦酒エールを入れる。

すると蚊神と久蛾が笑い出す。


「いやゴミクズ野郎は犯罪に手を染めてるから金をいくら取っても騎士団に逃げ込まねえ。だけどまともな奴は真っ当に生きてる事が多いからやりすぎると逃げ込まれる」


久蛾は少し酔っ払ったようで頬を少し赤かった。


「まあまともな奴を犯罪者にする事もありますけどね」


「それはこっち側に労力が少ない時だけな」


フライはこの2人と全く嫌な顔ひとつしないアゲハに恐怖を感じる。


「とんでもない奴らに会ったな俺は」


フライは口に出してながらしみじみと実感するのであった。










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