OZMA

サンカラメリべ

OZMA

 ミームがミミズであれば、脳は土壌であり、教育は繁殖行為です。


 1867年にjefla milinscky博士が発表した宇宙精神寄生仮説によれば、この世界における生命体と呼ばれるものの全ては宇宙から飛来したozma(精神ミミズ)が有機体に寄生したことで生まれています。Ozmaは宇宙意思の断片であり、我々の神経細胞を構成する一部として組み込まれていますが、それを知覚することは不可能です。しかしながら、同時に我々はozmaであるが故にozmaの存在を否定することができないため、十分な根拠に基づいた推論を推し進めることによりその迷彩を引き剝がすことが可能です。

 世界の在り様を根底から覆すようなこの驚くべき論文は、インターネットでも無料かつ何の制約も課されずに公開されていますが、通常の人間が閲覧することはできません。Ozmaの認識迷彩に綻びが生じている者のみがこの論文に到達でき、その頃には疑念が確信に変わっていることでしょう。


 私はテレビに流れるプロバガンダ番組の、そこで原稿を読み上げるアナウンサーがひどく不憫に思えた。プロバガンダをするにあたり、真っ先に懐柔すべきところはどこであろう。それはメディアである。メディアにシンパを潜らせ都合のいい報道を流すことが、効率のいい国民の洗脳に繋げることができる。きっと今画面の前にいる彼は、何度も原稿を読まされて、この原稿の内容を暗記できるまで刷り込まれてしまっているのだろう。人間スピーカー、イデオロギーの細菌コロニー、ベンケイソウ。彼自身が思想の種を広める母体となっていることは、彼だってわかっているだろうに。エイリアンに寄生され繁殖を手伝ってる人間がいるとすれば、きっと彼のような存在なのだろう。

 小腹が空いたのでお菓子を入れている棚を開けるが、そこには中身のない包装プラスチックがあった。昨日全て食べてしまったことを忘れていた。陰鬱な気分を盛り上げようと、酒の缶を何本か開けて独りでちょっとしたパーティーを行ったのだ。おかげで今日も最悪な気分でいる。仕方がないので冷蔵庫も開けたが、そこにあるのは生の野菜や牛乳、卵といったおよそ腹の足しにならないか、調理が必要なものばかりである。面倒ではあるが、買い出しに行かねばなるまい。

 寂れたアパートから外に出れば、灰色に染まったアスファルトの街である。どこに監視の目があるのかわかったものではない。サンサンと降り注ぐ日光とは対照的に、道行く人々の顔は土くれのように生気がないのは、みな疲れているせいだ。戦争などとは無縁になったというのに、安心とは程遠い生活を送らされている。私が買い物に行っているほんの数分のうちに秘密警察が我が家に盗聴器を仕掛けていても不思議ではない。そういう時代なのだ。

 このような時代に生きている私は、ようやく自由とは闘争の中にのみ存在するのだと気が付いた。争いが起こらない状態が素晴らしいと歌うのであれば、手錠を繋がれて牢屋に押し込められている囚人は平和を謳歌していると言える。それは幸せとは程遠い生活である。

 スーパーマーケットは開いていた。近頃は店主か店員の気分が悪ければさっさと閉店してしまうので、こういう思い付きで出かけたときにちゃんと開いているのは喜ばしいことだった。

 中に入ると、清掃中らしい壮年の女性がぼうっとモップにもたれ掛かっていた。レジには眠そうな青年が椅子に腰かけて校閲済みの学術書を読んで客を待っていた。私はお菓子や足りなくなっていた食品を籠に入れて会計を済ませた。物資が潤沢にあるのは素晴らしいことである。事実、この国はもう何年も餓死者を出していないし、無職の者もいない。性格や能力に難があっても、必ず何かしらの仕事が割り振られる。ただし、仕事従事者はノルマに到達しなければ罰則を受け、最悪処分されることもある。文句ばかりの役立たずは社会の癌だというわけである。とはいえ、ここでの店員の様子を見ればわかるだろうが、ノルマさえ果たされればいいので、労働意識は決して高いものではない。たまに異常なまでに仕事に熱心な奴がいるが、そういう人種は労働庁から“スカウト”という形でその能力に見合ったところに飛ばされる。その人物が有能ならば良いが、ただ頑張り屋なだけの無能が行き着く先はあまり想像したくない。

 店から出ても、相変わらず人通りの少ない街並みだ。誰もが無気力なせいで、古びた本のように褪せたかび臭い雰囲気が纏わりついている。このまま暮らしていてもいつか精神をやられてお仕舞いとなる予感がしながらも、私はそれを受け入れていた。既に諦めていたのだ。いったいこの国は国民に何を求めているのだろうか。人間から能動的に生きる意欲を奪っておきながら、人類の発展などという世迷言を口にするのだろうか。プロバガンダで流れるものはこの国がどれだけ平和で安定しているかということばかりであり、人間の素晴らしさなど欠片も褒め称える様子がない。安定、安定、安定……。


 jefla milinscky博士がozmaの存在を知ったのは、まったくの偶然でした。無気力な人々をよく観察すると、その人々からか細い線が天に向かって伸びていたのです。一般に、寄生虫は宿主の死が近いことを悟ると、新しい宿主を探す旅にでます。または、自身の子孫を残すために卵を排出します。今回のものは、前者であるようでした。なぜ博士がozmaを認識できるようになったかは定かではありませんが、当時の博士の精神状態が極めて絶妙なバランスにあり、認識迷彩を施さなくとも良い相手と思われる程度に心が死んでいた可能性があります。ここでの心の死はあくまでも比喩的な表現であり、精神異常や鬱といったものとはまた別物です。例えるならば、寒冷地で眠気を感じている状態に近いでしょう。


 昨日の酒がまだ抜けていないのか、妙なものが見える。ベンチに座っている老人の体から糸のようなものが空の方へと伸びているのだ。私はつい写真を撮ってしまった。これくらいの盗撮ならば秘密警察から咎められる程のものではない。老人でなく幼い子供であったら駄目だっただろうが。

写真を確認すると、やはり薄っすらと線が伸びている。しかし、もっと驚くことがあった。過去の写真をさかのぼると、あの老人と同様に糸に吊られているような人々が時たま写っているのである。私は老人の傍に近寄り、この糸に触れようとした。手は空をきり、老人はいきなり近づいてきた私の顔を怪訝そうな目つきで見上げた。これはどうも気体みたいなものであるようだ。きっと光の屈折率の影響で線のように見えているのだろう。

「やぁ。おじいさん。調子はどうかな?」

「わしゃ何も買わんよ」

「おっと失礼。ちょっと聞きたいことがあってね。おじいさんの肩に線が昇っているように見えるんだ。お香でも焚いたのかい?」

「そんなものしないよ。線ってなんだね? 何もないじゃないか。悪いことは言わん。妙な話をすると秘密警察につままれるぞ。やめといた方がいい」

「なに、それならいいんだ。ご忠告どうも。じゃあね」

「ふん」

 どうやら当の本人にはあの線は見えていないらしい。そして他の通行人の目を見ても、やはり私だけがあの線を認識できているようだ。私だけに見えている。この現象はいったい何だろうか。はやく帰った方がよさそうだ。

 帰宅してから、さっそく病状で検索をかけてみる。だが、該当しそうなものは何も出てこない。飛蚊症ではないし、眼球に入り込んだ寄生虫というのもありえない。ワードを変えて再び検索してみるが、結果は変わらない。論文なども調べてみようか。もしかしたら引っかかるものがあるかもしれない。

<人間 線 発生>

 切り傷の治癒速度に関する研究……違う。X線による被ばく度合に関する研究……違う。これは私の調べ方が悪いのかもしれない。どう言葉を変えてもみても、やはりそれらしいものには辿り着けない。もっと言葉を足して絞り込めばどうだ?

『宇宙精神寄生仮説』

 何だこれは。著者はジェフリー・ミリンスキー、でいいのか? 随分オカルトチックなものが見つかった。しかも、相当古いものであるようだ。よくこんなものが残っていたな。面白そうだったので、私に該当しそうな病状を探すことを中止して、この論文を読むことにした。


 Ozmaは精神そのもの。ミームそのものです。jefla milinscky博士の研究から、ozmaの存在を認識した者は己のozmaをコントロールすることが可能になることが判明しています。これは制限付きではありながら精神の寿命を克服する可能性を秘めています。また、ozmaは集合体として人間などの個の精神を形作りますが、ozma自体は単体で存在でき、かつ、それは他のozmaに対して憎悪にも近い競争意識を持っています。このことから考えると、精神というものは本質的に他を憎むものであり、人間が自身を憎むのは何らかの要因により自身の中にあるozmaが争っているからであると思われます。


 面白い。いや、面白いなんてものではなかった。疑いようのないデータと丁寧な分析は私の常識を一つ一つケバブのようにこそぎ落としていった。途中で怖くなりながらも、私は読み進めることを止められなかった。きっとそれは、私がozmaであり、それを私自身に隠さなくなったからなのだろう。論文を読み終えた頃には、私は巨大なミミズの化け物になっていた。

 リリリン………リリリン………リリリン………。

 突然、私の携帯が鳴りだした。知らない番号だ。まさか、秘密警察か。だとしたら逃げようもない。私は覚悟を決めて受話器を取った。

「やぁ。初めまして、だね。ドアンくん」

「ひ、秘密警察か?」

「いやいや、違うよ。私の正体はいったん置いておくとして、わたしは君を祝福しに来たんだ」

「祝福? それはozmaに関係するのか⁉」

「そうだよ。ozmaを認識することのできる人間は過去にもいた。その論文の著者だけではない。世界宗教となっている宗教の教祖や、ほとんど伝説になってしまった大昔の学者などね。わかるかな? みな偉業を成している。つまり、君は選ばれたんだ。おお、ブラボー!」

「それで、要件は? 祝福するだけが貴方の狙いではないだろう」

「そう急ぐと早死にしてしまうぞ? ゆっくりしたまえよ。論文はもう読んだようだね。Ozmaの性質に関してもちゃんと読み込んだかな?」

「ああ」

「うん。なら話が早い」

「待ってくれ。貴方の狙いが読めた。悪いがこの電話は切らせてもらう」

「残念。もう遅い」

「え? あ、うわ、うああああああああああ!!!!!」

 

電話から大量の線が伸びる。それはドアンを包み込み、彼の中に無理やり入り込んでいく。内側から貪られ、ドアンのミームはぼろぼろに千切れていく。

「わたしの世界にわたし以外のozmaコントローラーはいらないんだ。すまないね」

 ブツッと通話が途切れる。ミームを失い廃人となったドアンは、力なくその場に倒れ、息を引き取った。

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OZMA サンカラメリべ @nyankotamukiti

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