60.光射す向こう

 日本は壊滅していた。

 導師率いる〈教団〉の力によって、全国の要所で致死性の毒ガスが散布されたのだ。


 国会の会議中にもそれは起こった。

 警視庁内部でもそれは起こった。

 自衛隊内部でもそれは起こった。

 三軒となりの植木屋でもそれは起こった。


 ほぼ同時に、示し合わせたかのような凶行だった。

 ありとあらゆる場所に〈教団〉の魔の手は潜んでいた。

 かれらは開祖である導師を崇め、万歳といって果てていった。

 今日もどこかの街では生き残った者たちが信徒との戦いを繰り広げているに違いなかった。そういう意味でも、かれらの住む世界はもうとっくに終わりを告げていたのだ。


 だが、二宮たちの日常は確かにそこにあった。

 なんの変哲もない、いつもと変わらぬ日常。コンキスタドールの地下スタジオへ赴けば、そこでは相変わらずナベさんが「煩悩ぼんのう、開放!」とやっているし、高橋は高橋で完成することもないビデオ映画の構想をひたすら練り続けている。例の年金暮らしの老人は、最近みかけなくなった。


「死んだんじゃないのかね」とは、珍しく姿を現した喫茶店のマスター、彼の弁だった。

 そうかもしれない――というか、俺たちもすでに死んでるようなものじゃないのか。そんな風に思っていたが、それを口にすることははばかられる。口にしてしまったが最後、存在がかき消えてしまうんじゃないかって、そんな予感めいたものが一同にはあった。


 こんなときでも煙草たばこは相変わらず旨かった。

 やっぱりピースよりハイライトかな……そんなことを二宮がつぶやいている。

 高橋は、ヤニやこぼしたコーヒーの染みでなかば茶色く変色した原稿用紙を何度も見直している。


 文字なんて言うものが大嫌いだった高橋は、いつしかその文字そのものを操ることに集中していた。書くこと、書き表すことで彼の世界は広がっていった。

 それまではビデオカメラのレンズを覗かねばあり得なかった世界が今はここにある。被写体となる俳優を用意せずとも自らの手で生み出せばいい。文字だ。文字は万物に宿ったグノーシスなのだ。そう思った。

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