58.大空中戦

 日本は世界から孤立している。

〈教団〉への抵抗を続けている、数少ない陣営の一つが存在しているからだった。


 そして、新世界創造の要にして、〈第二次大覚醒〉の爆心地でもある忌まわしき存在――〈天満美影〉もまた、いまだそのはるか上空に鎮座したままだった。


 認知という名の新世界が無限に広がっている。

 人々は、世界に対し宣戦布告を続ける〈教団〉への対抗策を生み出すこともままならないまま、その異様な存在を許すほかないのだった。


 そんな〈教団〉本部の遥か上空――夕闇の静寂に包まれる雲海を切り裂き、一条の光が天空を駆け抜ける。そして間髪をいれず、同じコースをもう一条の光が追いかけるように疾走した。


「敵機捕捉。火器管制パネルON」


 緊急出動した航空自衛隊所属のF―15J戦闘機二機が雲海から躍り出る。

 最高速度マッハ2.5以上を誇る、全長二〇メートル近い鋼鉄のイーグルだ。アメリカ空軍が開発したF―22ラプター登場まではながらく世界最強の地位にいた戦闘機でもある。


 そのデビューは今を去ること一九七〇年と極めて旧式だ。

 一九六〇年代のベトナム戦争時に構想され、その後開発に至った。

 実際のところ、ここまで旧世代機が生き残るとは誰が想像しただろう。ラプターが、その高コストゆえに生産中止になったいまをもってなお、F―15は世界最強の座に返り咲いているのだ……。


「信じられん大きさだな……この先にアダマスの器こと〈天満美影〉がいるのか」


 巡航速度から一気に加速しつつ、目標を射程内に収めてゆく。先行する一本の光の筋がF―15だ。それを追尾する〈教団〉の戦闘機……音速に匹敵する速度でどちらも飛行を続けている。時折、プラズマ発光のようなものが雲海にきらめくのが、両機パイロットの目には視て取れた。


 ふいに雲が途切れる。

 夕陽が、〈天満美影〉の全容を照らし出した。

 長髪を思わせる頭部の突起が風になびく。筋骨隆々たる肢体を持つそれは――


「これが〈アダマスの器〉か。肉眼で直視するのは初めてだ」

「それにしても信じられん。こんな大きさで……。そもそもこの高度をどのようにして維持しているというのか。まるで軌道エレベータのようじゃないか」


 F―15の飛行する限界高度は上空一九〇〇〇メートルにも達する。

 そのような高高度を戦闘機でもない機械が、ましてや空気抵抗も大きい人型の物体が空に浮かんでいるなどというのは、子供向けムービーの中ぐらいでしか目にしないような、信じがたい異常現象に他ならなかった。


「空自機、なおも本州上空を南下中。間もなく関東上空に入る」


〈教団〉側で事の成り行きを見守る君由の目には、諦めにも似た安らぎが浮かんでいた。



〈アダマスの器〉とは、天満美影の姿を再現した巨大な構造体だった。

 天を衝かんばかりの巨大な十字架――その中枢に女神像がある。アルカイックスマイルを口元に浮かべ、目鼻立ちのくっきりとしたその容貌は、古代インドの経典にある女神像を彷彿とさせる。


 美影がそうであったように、極彩色の長髪を風になびかせる様は、さながら南洋諸国の伝説に登場する巨大怪鳥を思わせた。


「……」


 黒い十字架、その中央部分がまばゆく発光したかと思うと、女神像の手のひらの中には渦巻く炎の蛇があった。

 続いて闇を切り裂く獣の咆哮。高エネルギーが解き放たれ、接近中のF―15J戦闘機に炎の鞭となって襲いかかった。


「目標より攻撃、来ます!」


 回避機動。

 が、一手遅かった。


 炎の蛇は破壊の化身となり、空自の機体を焼き尽くした。

 燃料タンクに引火し、鋼鉄のイーグルはあっけなく空中で炎上、四散する。


「ははははっ、これはいい。これはいいぞ!」


 高らかな哄笑こうしよう。笑っているのは導師なのか。


「いまだ目覚めることのない愚かなる民衆よ。貴様たちの力は〈光のアダマス〉にとっての贄でしかない」


 一方で、もう一機の機体が次なる攻撃態勢に移行していた。固定武装のM61バルカン砲が火を噴く。


(こうなってはもう止められはしない……)


 戦況報告を受けた君由の顔には苦渋の表情が浮かんだ。

 戦闘機からの銃撃を受けてなお、〈アダマスの器〉は無傷だった。

 むしろ認知そのものを歪めることで、その着弾を巧みにかわしてゆく。

 まるで遊びに興じる幼子の相手をしているかのようだ。近代文明の叡智の結晶である高高度戦闘機は、黒き十字架にとってはまるで子供の振り回す玩具そのものであった。


「ならばこれを喰らえ、化け物め!」


 両翼に備えられた空対空兵装AIM―9Lサイドワインダーが発射された。

 大気を切り裂き襲いかかる。


「我が愛しき娘を守れ」


 導師が口にするのはサンスクリットだ。

 先ほどと同じように十字架――その中央部分発光し、掌中に炎の蛇が渦巻く。

 これもグノーシスの応用だ。抽象的な記号のような文字をなす――もしこの光景を識者が目撃したならば、その形状から、炎が「梵字」のそれに似ていると気付いたであろう。


 だが、F―15のパイロットにそのような事まで判別する余裕はなかった。

 炎の蛇がとぐろを巻いて障壁を作る。

 サイドワインダー・ミサイルは十字架のはるか手前であっけなく爆発した。


 ゆえに、ここらが潮時かと空自機はひらりと反転する。これ以上、事を構える気はないようだった。


 ならば――と導師は思う。

 これは確かな挑発行為にほかならないではないか、と。


「追ってこい。貴様たちが我らの播種はしゆを阻むものならば、私はそれ以上に認知の種を蒔こう。それが我ら門徒ディサイプルの役割だ」――再びの哄笑が響き渡った。

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