56.人類昇華計画

 その日、人々は目覚めの時を迎えようとしていた。

 システムは完成した。衛星軌道上に置かれたアダマスの器により、量子的共鳴が起きたのだ。


 ウイルスに感染した人々の意識は統合され、大いなる認知へと至る。

 それを、〈第二次大覚醒〉と呼んだ。

 人類昇華計画アセンシヨン――その第一段階は間もなく完了する。

 導師は満足げに微笑むのだった。




「十字架といえば何を連想するか」――質問された稲村九霧は首を傾げた。十字架といえば、宗教的意匠、キリスト教のそれではないのか……。答えは間違っていないはずだった。


 彼女に質問をぶつけたのは白衣の青年、君由浄清きみよしじようせいだった。


「確かにそうではある。もしくは――かのイエス・キリストが磔刑(たつけい)に処せられた時の刑具という印象が強いよね。キリスト教の宗教的意匠がそこから来ているのは間違いない。でも、我が国日本でも磔刑に処するときのそれは十字架だった。人間を拘束するのにちょうどいいからだ……」

「何が言いたいのだ?」

「まぁ、こんなことを言うと敬虔けいけんなクリスチャンからは怒られそうだがね、世界共通の意匠でありシンボルだという事さ。特別な意味なんてないんだよ。そも、世界各地には様々な十字架が存在する。ケルト十字というものも存在するし、ギリシア十字もあるこれは漢字の『十』と同じような形状をしている……」

「鍵十字というのもあったしな」

「ハーケンクロイツだね。これはお寺を意味する地図記号の卍と混同されるから、色々とややこしい歴史があったとかないとか」


 そういって君由は手元の卓を操作する。

 眼前のスクリーンに映し出されたのは、天空から吊り下げられた漆黒の十字架だった。天満美影がアダマスの器と融合して生まれた〈第二次大覚醒〉の爆心地でもある……。


「巡礼者たるかれらが目指すのはあの中枢だ。あそこに美影くんがいる」


 あらためてみても異様な光景だ、と稲村は思った。

 何しろ成層圏から地上まで届くほどの十字架なのだ。ほぼ柱と言ってもいいその証拠に〈教団〉側では〈御神柱〉と命名し、その掌握をもくろんでいるという。


〈御神柱〉とはいわば人類昇華計画のかなめそのものだ。

 可詞化能力とはそこへアクセスするための手段に過ぎない。

 もし、誰かが美影を掌握したならば、集合無意識で繋がっている人類の大半は、間接的に支配されてしまうであろう……。そう、君由は述べるのだった。

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