53.黒い聖者
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宇宙へ出た美影を待っていたのは、黒い聖者だった。
丸二日かけて高度を上げ、ISSとドッキングしたその先に待っていたのは儀式的な挨拶でもあった。
「ようこそ、ISSへ。神の
少女の到着を待っていたANALの男性飛行士によって、自分の支度もそこそこに、とあるモジュールへと案内される。
無重力状態での移動は極めて困難だ。あちこちに身体をぶつけながら進んでゆく。
案内する彼はそれを気にも留めない。機材の心配ぐらいすればいいのに……とは思うが、ひょっとするともはや関係ない事なのかもしれなかった。
「ISSの最下層フレームにして、〈教団〉が秘匿しているモジュールです……。〈
案内役の飛行士が語る話は極めて抽象的なものだった。
そも、美影自身このような場所がISS内にあることを知らされていない。
思えば、飛行士たちが普段立ち入りや行動を許されている場所など、たかが知れているのだろう。
ゆっくりと、身体をぶつけないように気を付けながら進んでゆく。
その先にはプラントのような場所が広がっていた。薄暗くてよく見えないが、ある種の実験器具を巨大化させたような機械が無数に並んでいる実験棟のようなモジュールだった。
聞こえるのは空調のそれと、機械の動作音だけだ。他の区画と比べると明らかに静かでもある。こんな場所で何が行われているというのか。
(食料の生産施設……とも思えないな)
もちろんそうではなかった。ISSの電力を賄うための設備はもっと上層部にある。そこは美影でも立ち入りが許されている、ごく普通の場所であった。
「〈聖櫃〉なんていうからには、なにか開けてはいけない場所なのではないのでしょうか」
「そうかもしれませんね。ですが、我々は貴女さまをそこへ案内するように言われています」
誰に? おそらく導師だ。
地上との交信はすでに絶たれていた。なので何かあったとして、美影がこの場で救いを求めることは不可能である。少なくとも彼女にそれを行う手立てはなかった。望んでここまで上がってきたこととはいえ、
そんなことを想いながら進んでゆくと、やがて大きな空間に出る。
そこは施設内にしてはどこか磯臭い、そういう空気で充満していた。
何か巨大な機械で埋め尽くされた様相は、先ほどそれとはまた違って見える。
静かに稼働しているのはやはり工作機械のそれだ。ふと船外――宇宙の闇のなかへと目を凝らせば、そこにはやはり巨大な輸送用レールが走り、なにかの部品が次々と流れていっている。
ISSから吊り下げられているのは骨格だろうか。脊椎動物のそれを思わせる、しかし金属で作られたそれは、まるで……
「巨人の骨?」
「そうですね。ここは〈教団〉の製造プラントの一つでもあります」
やはり――と美影は思った。彼ら飛行士も、すべて〈教団員〉であったのだ。それほどの人員を導師は掌握しているというのか。とても一介の人間にできる事とは思えなかった。
「或いはその墓場か――」
どうやら彼でも理解しえない作業が行われているのは確かなようだ。さらに見回すと、そこはもう露骨になまでに、人体の各部を模した部品が無数に突き立つ、まごうことなき墓地のそれであった。巨人を生み出そうとして失敗下、そのなれの果てが廃棄される場所のようでもある。
(何なんだろう、こんな場所が宇宙ステーションとして機能していたなんて……)
地上ではできないであろう作業とは言え、にわかには信じられる光景ではなかった。
「さて、ここです」
行き着いた先でぐるりと部屋を見回す。
そこは広さは数十平方メートルにも渡る広大な空間だった。モジュール同士を繋げて造り出した巨大なフロア。ところどころに非常灯があり、人の出入りはあることを物語っている。行き止まりのため、ここに閉じ込められたら脱出は不可能であろう。
だが――
フロアの最深部には今までとは桁違いの闇が広がっていた。
ありとあらゆる光を逃さない、或いは呑み込むような闇……。さながら天に座すブラックホールの一部を切り取ってここへ持ち込んだかのような、そんな得体の知れぬ場所であった。
ここに渦巻くものは何なのだろう、と美影は鳥肌がたつのを感じている。
そう、闇が怖いのではない。そこに潜んでいそうな「何か」の存在を、全神経が感知していた。これ以上進むな。これ以上知ってはならない。これ以上進めばもう後戻りはできないと、己れの第六感が叫んでいる。脂汗が流れた。
どう……と濁った空気が流れる。
換気が行われたのか、磯臭さがさらに増したように感じられた。
渦巻いているのは瘴気だ。それもかなり濃密の。
くらっときた身体を支えるべく壁に手をつくと、そこには呪符と思しきお札が無数に貼り付けてあった。
「なんなのよこれは」
呆然としている少女をよそに、案内人の飛行士は妙に納得した素振りだった。そして一手一手、安全を確かめながら進んでゆく。なにかの液体が循環するような音もしている。増してゆくのは磯臭さだ。どこからか、ごぼ……という気泡を発する音も聞こえたような気がした。
「これは……なんなの……」
闇の奥にかすかに見て取れたのは、一辺が十数メートルにも及ぶ巨大な水槽だった。美影は船内服の胸ポケットから携帯ライトを取り出し、そこを照らしてみる。刹那、息をのんだ。
水槽の中にあったのは、形容のしがたい化け物だった。
まだかなりの距離があるというのに、その異形極まりない外観がよく見て取れる。
古代神殿のそれを思わせる文様が刻まれた角柱に四方を囲まれた巨大な培養槽だ。文様を走るのはシナプス光だろう。そのなかに眠るのは巨人――それも細く長い四肢を窮屈そうに絡ませて、容積ぎりぎりの状態で収まった青白い肉塊であった。
頭部と思しき場所には、白灰色をした仮面が強引にはめ込まれて顔を形作っている。それは確かに導師が嵌めていたそれと同じものだった。
「こんな化け物をANAL、いえ〈教団〉は飼っているというのですか?」
声が震える。
しかしなぜ? そもそもこの異様な眠れる巨人は何なのか。頭の中は真っ白だ。連れられるままに訪れたエリアだったが、そこはまさしく禁足地のそれであった。
「ようこそ、神子よ」
声が聞こえた、気がした。
培養槽の中の巨人がこちらに顔を向けている。
そして……。
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