51.聖なる開戦
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大いなる知の恩恵にあずかり、本来あるべき世界へと帰結すること。すなわち揺るぎのない永遠の
グノーシスは永劫不変なる神の
グノーシスは誰しもが持ち得る砕かれた神々の断片。ゆえに個我なり。
解放せよ、開放せよ。世界は、宇宙とは全能なる知によって永遠を生きる不変の
人はいかにして
平安の境地、煩悩の基礎を考究して、その種を
かれとはアダマスのことだ。
光のアダマス。
「ここに集まった諸々のいきものは、地上のものでも空中のものでも、すべて歓喜せよ。そうして心をとどめて我が説くところを聴け」
導師は高らかに宣言した。
「それ故に、すべてのいきものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故になおざりにせず、彼らを守れ――
導師の言葉は難解にして深慮なものだ。
長らく修行を重ねても全てのチャクラを解放し、
全能なる叡智を得ることは容易ではない。
だが、喜ぶがいい。個人では不可能とされる修行も、〈教団〉の信徒全員が心を一つにして精進すれば、静謐なる思慮の果てに窮極の叡智に到達することができる。
いまその時が来たのだ。
世界中の人々、ひとりひとりの中に深淵のグノーシスが与えられる。世界中の人々が神のもとに還ることができる。唱えよ。そしてこの世界から抜け出すのだ。この不完全ある地上から。解き放たれよ、開放されよ。智慧の光の導くままに、アダマスの降臨にそなえよ……。
それがハルマゲドンの到来だった。
「立ち上がるのだ、武器を取って闘え。これは
導師のそれに似た仮面をかぶった若者が街頭で演説をしている。スポットライトが彼を照らし出し、仮面に埋め込まれた芽がグロテスクに蠢くのがはっきりと視て取れた。
あれはなんだ? と問うものに若者は、「これぞ真なる認知の証しぞ」と喧伝する。彼は虹のような光芒に包まれてもいる。どこまでが真実でどこまでが虚実なのか、分からない。わからない。ワカラナイ……。
ああ、えらいことや。はよテレビつけなはれ――そう言いながらコンキスタドールのスタジオに駆け込んできたのはナベさんだった。今までどこに行っていたのという女優の問いかけには応じず、備え付けのテレビの電源を入れた。
「富士山麓で発生した毒ガスからは、未知のウイルス体が検出され……」
「偏西風に乗って拡散する恐れあり……」
「近隣住民の皆さまは慌てず警察の指示に従って避難を……」
「現地での死傷者数は……」
死者? 死者が出ているというのか。テレビの中継を食い入るように見つめていた高橋は、その画面に映り込むゾンビのような人の群れを見つけた。
対疫防護服を着た自衛隊員たちの背後で、それは動き始めていた。
かれらは夢遊病患者のように、
「どうしましょう」と言ったのは例のAV女優だった。
どないするもなにもあらへんがな、締めきって閉じこもってるよりほかにないわ、とナベさん。とりあえず皆で養生テープを窓に貼ろか。ドアもな、きちっと施錠して暴徒たちが入ってこれへんようにするんや。きっと今頃街では略奪が起きてるで……。
その通りだった。
テレビが中継する街中の様子とは、
そういえば、と高橋は思った。かつて、都内の地下鉄構内で毒ガスが散布された事件があった。あれも大きな宗教団体による犯行であった。犯行……はんこう、ハンコウ、反抗と頭の中で変換されてゆく。そうだ、これは
果たして、〈教団〉の本部地下には巨大な化学プラントのようなものが存在した。
ウイルスはそこで研究・開発されていたのだ。
以前に警察が介入した際、施設の大部分は証拠として接収されたはずだった。しかし、〈教団〉は、導師は今も活動を変わりなく続けている。
おそらく――本部施設のある富士の樹海には、地下茎にも似た空間――それを利用した通路が、網の目のように張り巡らされていたので、分散して保管されていたのであろう。そう思われるのだった。
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