第五章 世界大火

49.終焉序曲

なんじらに問う。神にうては――」

「神、ほふるべし!」

「仏に逢うては――」

めるべし!」


 ある日の昼下がりだった。

 いつものように行きつけの喫茶店でコーヒーを二宮と飲んでいた高橋は、店のテレビから聞こえてきた声に、思わず口に含んでいたコーヒーを噴き出してしまった。きたねえなぁと目の前で二宮がハンカチで顔をぬぐっている。


 だが高橋はそれどころではなかった。顔色が変わるのが自分でもわかった。

 聞き覚えのある声だったからだ。

 それは――


「高橋さん、あの喋ってるの……」

「ああ、間違いない。使徒アポストロだ」


 それは冗談でも何でもなかった。

 テレビに映し出されているのは、かの富士の裾野に本部を置く〈教団〉の主である。以前から不穏なうわさが絶えなかったあの団体が、再び動き始めたという、その中継現場からだった。


 声の主はといえば――黒い衣で全身を覆い、灰白色の仮面をかぶっている。

 画面の中のそいつは高身長で、信徒と思しき群衆を前に演説を行っていた。初めて見る姿にもかかわらず、高橋にはなぜか既視感めいたものがあった。


「あれが導師……。美影くんのいう、大いなる父か」


 それは神の使徒と化した男の姿だった。背後には黒い巨大な十字架が突き立っている。何のオブジェだろうと考える。いや、そんなことはどうでもよかった。高橋たちは続きを見つめた。


 と、そのとき――

 電波の具合でも悪くなったのだろうか。テレビの受像が乱れ始める。

 電波障害かねぇと、二宮や他の客たちが首を傾げた。

 ウエイトレスのお姉ちゃんも、あれこれテレビの調整をしたり、アンテナ線の具合を見たりしているが、変化はなかった。


 これは放送電波の問題かもしれんな。テレビ局のそれが電波ジャックされたとかね、あはは。そう言って笑っている客は老人だった。

 こいつもいつもみかける客だ。

 高橋たちと同じくコーヒー一杯で何時間も粘っている。家に居場所のない者の末路であろうと思われた。年々支給額が減ってゆく国民年金を切り崩して、今日この日のコーヒー代にてているのだ……。


 やがて画面には白と黒の砂嵐が吹き荒れる。

 ただ音声だけは、ノイズを交えて聞こえてくる。二宮と高橋はかたずをのんで、そのノイズの奥に耳を澄ました。


「我ら……教は……をもって、……国への宣戦布告と……

 導師たる…………名の……元に……」


 聴き取れたのはそこまでだった。

 あとはもうそれっきりだ。テレビは完全に沈黙し、うんともすんとも言わなくなった。どの局にあわせてみても何も映りはしない。


 湧き上がってくるのは不安だった。二宮は頓珍漢なことをのたまっている。

 高橋はというと、慌てて携帯端末を起動しインターネットにつないでみる。

 と、そちらは生きていた。脆弱なのはテレビ電波だけなのか。

 しかし、ネットワーク上も混乱の最中にあるように見えた。


「ついにハルマゲドン勃発!」

「ファティマ第三の予言、的中か」

「遅れてきた恐怖の大王とは……」

「神の聖水、売ります」

「東京都心部の地下鉄駅構内で、謎のガス爆発が発生」

「富士山の向こうにある原発が爆破されたらしい」

「富士山が噴火したらしい」

「西アフリカのカンドラテッツ王国ではついにクーデターが……」

「このツイートを拡散してくれた方にもれなく一千万円プレゼント……」


 これはダメだ、と思った。

 正確な情報はどこにあるのだろう。それが知りたかった。

 いや、そもそも正確な情報とは何だ。俺が知りたいのはあの学校で独りぼっちだった天満美影という少女のことだけではないのか。そしていま先ほど見たあの光景――。美影は何故あの〈教団〉に捕らわれていたのだろうか……。高橋にとっての日常はもはや形骸化していた。


 一方の二宮はといえば、


「俺はもう一杯飲んでいくよ。きっとデマさ。こんなことはよくある事だと俺は思う。きっと、コーヒーのお代わりを待っている間にすべてに決着がついているはずさ。そう思う」


 そう言って次の企画書に手を付けるのだった。


 一人分の勘定かんじようを済ませると、高橋はふらりと店の外へ出た。

 疑似陽光が眩しい。

 遥か彼方では、黒煙が天高く昇っているようにも見えた。

 あれが爆破されたという原発の煙だというのだろうか。

 どこかから聞こえる人々のおめきが世界を埋め尽くしてゆく。警察車両が何台も表通りを駆け抜けていった。

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