47.無意識の大洋へ

 往還機シヤトルは従来のものと同様、基本的に六名が搭乗できるようになっている。


 コスト的にはかなりのものだ。

 人ひとり打ち上げるのに数億円の費用がかさむ。ましてや、この居住モジュールを抱えたままの往還機だ。胴体中央のペイロードには、次世代ISSに組み込むモジュールが搭載されている。あくまでも荷物が主。人は二の次なのだ。


 そして打ち上げ。

 轟音と共に機体が加速し、電磁パチンコの要領で前方へと打ち出される。

 マスドライバーの機構はそれでも単純な方だ。ブースターと併用して軌道船オービターを一気に押し上げるだけだ。かかるGがさほどないのは救いではある。


 今はもう、肉体さえ健康ならば誰でも宇宙へ行ける時代になっているとは言う。

 しかし、そうならないのは、結局のところかかる金銭の問題なのだ。コストを賄えるだけの富豪であれば、往還機の一機や二機、簡単にチャーターできることだろう。


 そして打ち上げられた軌道船オービターは二日ほどかけて高度を上げ、ISSへと接近することになる。


 これはロシアのソユーズ宇宙船が採っていた方式だ。

 かつてのNASAが使用していた往還機は、一気に高度を上げられたため、ISSへの直通便のような役割を果たしていたが、そのぶんかかる費用が甚大だったのが問題視されていた。いかな大国と言えども、早々見返りの少ない宇宙開発には、それほどの予算をさけなくなっていたと言える。


 その証拠に、アメリカ国の宇宙進出技術は衰退してしまった。

 このANALのような民間機構が、打ち上げのシステムを確立したことが何よりの証明だろう。もっとも――ANALは〈教団〉の隠れ蓑でしかなかったのではあるが。



 上昇してゆく往還機。

 約十分弱で大気圏を離脱する。重力の消失を感じた。


(これが無重力……!)


 思わず声を上げそうになる。子宮が縮みあがったような感覚がした。

 骨盤のあたりがむずむずして、座席から立ち上がりたくはなるが、機体は依然上昇中である。完全に周回軌道に乗るまでは、動いてはならないと教えられていた。我慢の子である。


 やがて視えてきたのは無意識の大洋であった。

 船内の空間が捻じ曲がるような感覚に襲われる。個我が溶融し、世界と合一するあの感覚……。思わず声が出た、ような気がした。


「これは……」


 意識の彼方に広がる光景。それは草原であった――。

 天満美影はそこを疾走する一頭の雄獣だ。

 なぜ草原なのか? 疑問は意味を持たない。


 無意識の大洋へと漕ぎ出したいま、往還機に乗るものの意識は統合されている。

 すなわち、全員が天満美影であり、また美影すらも誰かの意識の一部として習合されていた。ウパニシャッドにある、アートマンブラフマーの合一だろう。宇宙に出るとはそういうことなのだ。


 なので、感覚の眼を凝らして状況を視認する。


 疾駆する先には一匹の雌獣がいた。

 その姿をとらえた瞬間、美影はその首筋に噛みついていた。

 滴り落ちる血液は果たして現実のものか。

 頚椎が砕ける鈍い感覚。衝動が命じるままに性器をまさぐり、犯す。

 相手の獣をよく見ると、それは稲村でありゲシュヴィッツでありC・Fであった。肥大した魂は次々と獲物を求める。そこには高橋がいた。二宮がいた。ナベさんもいる。


 そうやって記憶の根底にある全ての魂を喰らいつくした頃、少女はようやく現実へと舞い戻った。


 夢だったのか――。

 目覚めの感覚としては決して心地の良いものではなかった。

 どこか船酔いにも似て、側頭部がずきずきと痛む。

 眼球にも疲れを感じた。長い夢を見ていたのだからそれはそうだろうと美影は思う。とはいえ、現実世界ではごく一瞬でしかなかったようであるのだが……。


「うん?」


 腰のあたりに違和感を覚えた。

 いつの間にか放尿していたらしく、下腹部にあてがってある集尿具がずっくりと濡れているのが分かった。これは、圧迫されて負荷のかかった腎臓の正常な働きとも言えた。尿道閉塞を起こして排泄ができなくなるよりは、ずっとましな生理現象なのだ……。

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