46.打ち上げの儀式

 熱いシャワーを浴びながら、美影は全身を丹念に洗浄してゆく。

 宇宙では清潔が保たれることが第一であるため、陰毛のたぐいはすでにC・Fの手によってすべて剃毛ていもうされていた。


 幼子のそれと化した己の下腹部に指を沿わせながら、少女は抗菌石鹸で全身をくまなく洗う。これこそが、宇宙へ出るにあたっての禊ぎの儀式なのだ。


 シャワー室に入る前には、やはりC・Fの手で入念な腸内洗浄が施された。

 衛星軌道上に到達するまでは丸二日を要する。その間の便意をなくすための、重要な処置だった。


 全てはマニュアル通りに進行している。

 シャワーでの洗浄が終わった後は、C・Fの手で全身の水分をぬぐい取られた。

 こんなことは自分でできると思うのだが、これも恒例の儀式のようなものらしい。


 どこか滑稽で、どこか呪術めいた一連のシークエンス。

 現実に、こうした形で宇宙への旅立ちとは形作られてゆくものなのですと、C・Fは静かに語りかけるのだった。


 再び導師の声が聞こえてくる。脳内に視えてくる。

 師曰く、すなわちこれが私の啓示である。地上で割り当てられた時を満たしたときには、私は闇の衣を脱ぎ捨てるであろう。すると、並ぶもののない私の衣が私の上に輝くだろう。また、霊の驚愕から生じたすべての雲のなかで、私が身に着けた他の衣も私の上に輝くだろう。私の衣が大気を引き裂くだろう。私の衣は輝き、あらゆる雲を引き裂いて天に昇り、ついに光の根源に至るだろう……。



 果たして衣とは、この真新しい与圧服のことなのだろうか。

 C・Fの手助けを借りながら、美影は分厚いそれに身を包む。

 生身では生存しえない高高度で、その心身を保護するためのものだ。

 各部の気密をチェックし、首のリングにヘルメットをはめ込むと、見かけ上は立派な飛行士の卵が出来上がった。


 衣食住、どれか一つが欠けても神の国たる天上へはたどり着けない。

 宇宙とはまさしくそこに至るための巨大な障壁なのかもしれない。

 その障壁を越えるための舟……。

 アダマスの器なるそれを静止衛星軌道上に降臨させる、そのための儀式に出発するのだ。


 往還機は、既にマスドライバーに設置されていた。

 かつては大型のブースターと燃料タンクを抱えて衛星軌道上まで上がっていたというのだから、それはそれで恐ろしいものだったに違いない。


 実際、打ち上げ時に爆散した事故はNASAで一回起きているし、大気圏に再突入する帰還シークエンスでも事故によって死者が出ている。宇宙開発は常に死と隣り合わせなのだ。万能の往還技術などあるはずはない。


 だからこそ――今自分がやろうとしているのは、少しでも安全に衛星軌道譲渡を往還できるようにするための、エレベータ設置のための任務……。そう思って訓練に励んできたものだった。


 しかし、こうなった今となってはそれも怪しいものだと感じる。

 そも〈軌道地鎮祭〉なるものの実体が、全くと言っていいほどレクチャーされなかったのだ。


(……いいえ、ひょっとすると私の目に、耳にだけは届いていたのかもしれない)


 それはエクリチュールだ。

 たびたび聞こえる導師の声。それこそが〈軌道地鎮祭〉に何たるかを啓示していたのではあるまいか。〈教団〉からは逃れたつもりであったが、その実、かれらの計画のための駒として、いいように操られていたのだ。


(でも、ここまで来たらもうやるしかない)


 逃げ場はどこにもなかった。

 逃げ回れるうちが幸せなのかもしれないと、美影は今になって痛感している。

 あの、短かったが南裏界島でのひと時が、永遠に続けばよかったのに……と思う。


 たとえそれが仮初かりそめの現実だったとしてもだ。

 造られた現実であったとしても、気づかずにいられたのであれば、それは美影にとっての真実足りえたのだから……。


 そんなことを考えながら、搭乗口へと進んだ。

 足を天に向けて座席に潜り込む必要にあったロケット型と違い、こちらは旅客機とほぼ同じである。マスドライバーの射出方向に向かって、やや傾いでいる程度だろうか。


 堅い座席に身を落ち着けると、スタッフが数人がかりで与圧服を固定してくれる。

 これからは機械で供給される酸素を吸うことになる。

 全てが生命維持装置任せである。宇宙では、機械の方が生き物よりも上位存在なのかもしれないと思った。

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