34.聖水、その崇高なもの

「あのお嬢ちゃんは無事宇宙へ行けたんかのぅ」

「美影くんのことですか」

「せや。なんや、例の〈教団〉から解放されたと思ったのに、今度は宇宙行き。何の因果かしらんが、あんな小さな子をあちこち引っ張りまわして、おかみ連中のやることは、ほんまにえげつないこっちゃで」


 ナベさんはそう言って痛ましそうに目を細めた。

 その一方で、昼食替わりのお茶漬けをかきこんでいる。

 食べながら云う事かね……と、対する二宮はやや呆れたような表情だ。

 きっと今頃は訓練の最中でしょうなあ。厳しいと聞きますよ。なにせ宇宙空間なんて特殊な環境下に出向くんですから……。そう言いながらサングラスの位置を直す。この男は室内にいる時もチューリップ帽だけは外さないのだった。


「どんな訓練してるんでしょうな。僕が知ってるのは、ゲロ彗星すいせいって言って、高高度まで上昇した飛行機でもって、自由落下中に無重力を体験するとかそんなやつ程度ですけれども」

「それもあるが……肝心なのは医学やで。これからの宇宙飛行士は、特殊な環境下で医療行為ができなあかんとワシは思うわ。考えてみい、二宮はん。長期宇宙滞在中に病気にでもなったらどうするんか? そもそも事前の医学検査はあるやろけどな、万一ということもある。ワシは知っとるで。やけどや切り傷、打撲なんてのはISSじゃ当たり前に起こっているし、体液シフトの関係で尿路結石になった人も、過去にはいた記録があるんや」

「それは痛そうですね」

「せやろ。そういうときどうするかっちゅーことを学んでおかねばなりませんのや。だから、実際にISSにある治療器具と同じものを使って、傷口の縫合や点滴の入れ方、心臓発作に備えて除細動器の使い方や人工蘇生の訓練もするということや。まぁ、でもワシ的に一番気になるのは自己導尿訓練やな」

「と、いいますと」

「自分で尿道にカテーテルぶっさす訓練や。知り合いの医者から聞いた話だから間違いあらへん。あれはきついらしいで。お嬢ちゃんは女の子だからまだええが、男やったらちんぽついてますやろ。そこを自力で通しますねん。よほどの勇気がないと宇宙飛行士は務まらへんな」

「それかよほどのマゾですね」

「せやな」


 そう言って二人で笑い合った。

 気楽なものだ――と横で聞いている高橋は、難しい顔をしている。


「なんや監督はん。ピスタチオみたいなツラして。腹でも壊したんか」

「ナベさんは良いねぇ、なんかいつも楽しそうで。こちとら次の企画のことで頭がいっぱいだよ」

「ああ、そやったかいな。例の、〈教団〉? についてビデオ映画作るとか言ってた気もしますなぁ。脚本はできましたのかいな。あそこ、色々とキナ臭いうわさが絶えませんが、下手なもん作ったらあんさんの監督生命が危ないんとちゃいますやろか」


 ナベさんの関西弁は相変わらず滅茶苦茶なものだった。

 大阪弁を基軸に、広島弁や京都弁などがごっちゃになっている。あえて言うなら瀬戸内あたりの、曖昧な語感に近いのだろうか。


 実のところ彼は生粋の関東人だ。ではなぜ関西弁なのか――というと、

「この方が人受けがええんや」とのことだそうで、適当な語尾にしているのだと過去に語ってくれたことがある。もっとも、本物の関西人の前ではぼろを出すのが嫌らしく、普通にしゃべっているというからいい加減なものだと高橋は思っている。


「美少女宇宙飛行士のカテーテルプレイか……。い映像になりそうやなぁ」

「ナベさん、馬鹿なことばかり言ってないでそろそろ仕事しましょうや」


 悦に入っている中年。やや冷めた目で見つめるのは若手の男優たちだった。

 ええい、お前らだって美女のあそこに突っ込みたいだろうに。

 処女膜破ったことあるんかいな。「処女膜」いうてもな、膜が張ってるわけじゃありませんのやで。見たこともあまりないやろ。あれはな、膣の入り口についているリング状のひだのことを指すんやで……。


 そうして始まるナベさんの講義二時限目。

 二宮はというと、ちょっと煙草たばこ吸ってくるねと言って事務所から逃げ出した。あとに残されたのは高橋と若手男優たちばかりだ。


「まぁ、リング状なわけやからな、もともと中央部には穴が開いてるわけや。え? じゃあ何のために存在しているのかって? 実ははっきりしたことは分かっておらへんらしいで。一説では、胎児の頃にあったとされる『クロアカ膜』の名残だとも言われておるな。つまり、肉体が成長して膣と尿管とが発育した結果生まれたという説や。ほかにも、膣に雑菌が入り込むのを防ぐためとか、精液が逆流しないように、とかの説もあるとは言うが、処女膜と名付けておいてそれはないやろ。青臭いガキの考えそうな理屈やで……」

「……」

「でもな、真面目にきいてんか。コラ、ワシは大真面目やぞ。男の場合でもな、宇宙へ行くと風呂によう入れんやろ。おのずと衛生的な肉体が求められるちゅうわけで、あそこが包茎の場合は事前の切開が必要だと聞いたこともあるわ。こっちはどこまで本当か知らんけどな」


 そう言ってまたまた豪快に笑うのだった。


(ナベさんて、こういう話になると途端に元気になるよな)

(なんでもあの人、実家がでかい病院らしい。あの人自身も若い頃は医者を目指して勉強してたらしいから、そういう知識だけは豊富なんだろう)

(保健体育の成績だけは、必ずAをとる中学生みたいなもんだな)


 男優たちは、そう密かに囁き合った。

 ナベさんによる下ネタはまだまだ続く。事務所に集まった俳優たちの中には、この手の話題に関心を示している者もそれなりにはいた。顔に出して乗ってこそ来ないが、こういう下半身の話とはいくつになっても面白いものだからだ。


「宇宙で気になる下の話といえば、やはり便所ネタやろなあ……」


 来たか、と高橋は思った。さっきから話したくて仕方がないように見えていたからだ。

 いい加減に撮影時間も押しているのだが、ナベさんはといえば重ねた座布団の上にどかっと座ったまま、話を続けている。初期の頃は袋の中にためていて、それが弾けたことがあっただの、女性飛行士がいなかったから、その時代の宇宙船には絶対乗りたくないだのと言った話が展開された。


(このスケベジジイが……)


 一同がそんなことを想っていると、途端に真面目な顔つきになった。


「今のISSには高性能な吸引式のトイレがあるそうやで。カーテンで仕切られていて、完全ではないにせよ個室にはなるからプライバシーは守られるらしいわ。音? ああ、ISSの中ってトラックの走行音並みにうるさいんやて。だから、多少音がしても平気……」

「汚い話はやめてよ」


 時を同じくして部屋に入ってきた女優の一人がそういった。いつから聞いていたのだろうか。


「でもな、ここからが肝心なんやけれども、宇宙では飲み水とか貴重品やろ。そうそう地上から補給船も打ち上げられるわけではないし……。ああ、もうわかったやろ。尿のリサイクルシステムがあるんやで! 濾過されとるとは言え、間接的には飲尿や。まさに官能やで。宇宙はワシらAV俳優にとっては格好のステージとちゃいますやろか」

「ということは、美影ちゃんも……」

「うん、そういうことでしょうね」


 若手の俳優たちが何を想像したのかは分からないが、かれらがどこか嬉しそうな顔をしているのをナベさんは見逃さなかった。


「ワシもあのお嬢ちゃんのおしっこなら飲みたいわ」

「ナベさん……スカトロの気もあったのかい」と高橋が突っ込む。

「何を言うてまんのや監督はん。美少女のおしっこはスカトロやあらへん。聖水や。崇高なものなんや。そや、次のビデオは聖水ネタでいきまひょ。俄然がぜんみなぎってきたでぇ」


 力説するナベさん。さすがAV男優だ、と高橋は思った。


「排泄物をありがたがるなんて、まるで古代の神話ですな」


 いつの間にか戻ってきていた二宮がボソッとこぼすのを、高橋は聞き逃さなかった。

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