28.ウニオ・ミスティカ
●
「宇宙へ出ていくための舟だ」――と大いなる父は言った。
ソフィア、ソフィア=ピスティスよ。
我が愛しき
かれは神の器だ。
グノーシアの教義に曰く、単一性とは単独支配のことであるから、さらにその上に支配するものは存在しない。それは真の神、万物の父、聖なる霊、それら万物の上に在ってなお見えざりしもの、不滅性の中に在るもの、純粋なる光――すなわち、いかなる視力でも見つめることができないほどの光――その中に在るものだ。
かれを神と考えるのも、また何かその種の性質をしていると考えるのも適当ではない。なぜならかれは神々よりも優れたものであるのだから。
かれは何人と言えどもかれに先だって存在するものはなく、かれはかれらを必要としないからである。また、かれは生命をも必要としない。なぜなら永遠なるものであるから。
彼には何一つ必要とするものがない……いや、違う。
一つだけ求めるものがある。
知性だ。
知性こそが世界を形作り、真なる
かれは光である。
かれは限定不可能である。
かれは断定しがたいものである。
彼は測りがたきものである。
そしてかれは目に見えざる者である。
かれは永遠なるものであり、永劫に存在し続ける。
だからこそ、かれは記述しがたきものである。かれをその名で呼ぶことはできない。かれより先にあって、彼に名をつけたものは誰一人としていないからである……。
なればこそかれは汝を求める。知性たる汝を導き手として求めている。
記憶がよみがえってくる。宇宙の、世界の声が視えてくる。
また例の発作なのか。エクリチュール。世界の
やがて見えてきたのは実験場だった。
そうだ、これはあのときの記憶。まざまざと見せつけられた神との合一。ウニオ・ミスティカとも呼ばれた儀式の現場だった。視点が固定され、場面が再現されてゆく。あのとき――機械に繋がれて苦しんでいたのは誰だったのか。記憶とはその追体験である。
●
……。
もう、どれほどの時が経ったのだろう。
何日、あるいは何週間、あるいは何カ月か何年か。この、何処にあるともしれぬ狭い肉壁の牢獄に繋がれて、昼も夜も分からぬ日々を彼女は送っていた。
食事も排泄も、すべて肉体の各所に挿入された管によって自動的に行われている。
顔には面覆いが装着され、視覚すら遮断されている。
かろうじて聴覚は解放されていたが、時折外部からの音や声が飛びこんでくるほかは、完全な闇の中にあった。
彼女が動かすことができるのは両手の指先だけで、指示に応じて指先にはめられた器具を動かすのみであった。それが何なのかは彼女自身も分かってはいないし、説明もない。いつ、自分がこんな所へ連れ込まれたのか。それすらも分からなくなっていた。
不思議と苦痛はなかった。首筋から注入される抗生薬のせいで、五感覚は麻痺し、ただ自分の意識だけが、このピンク色の生温かい牢獄の中に浮かんでいる……。
「これより、認知への接続実験を開始する」
唐突に外部からの通信が彼女の鼓膜を震わせた。耳奥の神経叢をいじられるようなバリバリという不快感があり、ぼんやりとしていた彼女の意識は次第に明晰さを取り戻しつつあった。そうだ、ここは確か――
次の瞬間、視界が開けた。
正確には面覆いに外部の映像が投影されたのである。
最初は闇だった。徐々に視覚が慣れてくるにつれて、それが何かの基地を思わせる広大な施設の床を見下ろす視点であることを理解する。遥か彼方には光る水平線が広がる。無意識の大洋。視えるのはまだ
そこでようやく彼女は思い出す。
ここが「器」とよばれる装置の内部であることを。
なので、こう答える。
「これより任務を開始します」
それだけでいいはずだった。なので事務的に応じる声も変わりない。それは、実験に携わっている信徒たちの声だった。
「了解した。神に
「神、
「仏に逢うては――」
「
言葉少なにかわす不可解なやり取り。これがかれらの挨拶でもある。
軽い衝撃があって、彼女の座す「器」は離床した。
立ち上がっているのか、どうなのか、彼女にはわからない。
重力に導かれるままに、背中から落ちてゆく感覚がある。大きく息を吸った。
視界が足元へと流れてゆく。そこは「器」の格納庫でありカタパルトでもある広大な空間だ。
いままさに彼女自身は「器」と一体化している。
背面に向かって後転しながら「外」へと出ていこうとしている。向きを変え、頭上に広がるその先へと進んでゆく。これより広がるのは無意識の大洋。そこへ泳ぎ出る。四肢を伸ばした。
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