25.伝説の島

 ANALへやってきて五日が過ぎていたが、結果的に手ごたえのようなものは何もなかった。

 精神や心理の要素が強く、自分で何ができたかを判断することはほぼ不可能だったのだ。殆どの検査や試験も、個人で行われたため、あとの二人が何を喋ったかは知ることはできないし、比較の使用もない。こんなもので大丈夫なのかと思っていたら、ようやく追いついた台風で、夜の海は大荒れだった。


「こんな天気では、往還機シヤトルの打ち上げも延期ですわね」


 宿舎の窓から荒れる海を眺めながら、伯爵令嬢がつぶやいた。

 明日は何をさせられるのかしら、楽しみですわ、と喜んでいる。

 まったく強い人だと美影は尊敬している。一方の寺生まれはソファに身を沈め、何やら本を読んでいるのだった。三者三様だ。


 そして迎えた深夜、美影は眠れずに施設の廊下にいた。

 つい数十分前までは大騒ぎだった。海が荒れていたため、暴風の音で眠りにつくどころではなかったのだ。それがようやく落ち着きを見せ始めた頃――支給されている嗜好品のワインをひっかけると、稲村はさっさと眠ってしまった。最年長ではあるが、このところ気を張り詰めっぱなしではある。彼女も疲れたのかもしれないな――と美影は思った。


じようちゃん、こんなところで何してるんや。風邪ひいてまうで」


 声をかけてきたのは守衛のおじいさんだった。警備室の受付から身を乗り出している。


 年齢は七十代ほどだろうか。精悍だがあぶらぎった顔をしている。

 定年退職後の再雇用で、世話になっとるんや、と彼は豪快に笑った。


 美影が答えないでいると、


「例の候補生やろ。あの島からわざわざ来たなんて珍しいと思うたんや。メガフロートには観光するところもろくろくないし、国有地みたいなもんやからな。ひょっとして関係者かいな」

「あの島?」


 守衛が言ったのは美影が住んでいた離島の事だった。


「〈南裏界島……妙な名前やろ。あれ、あとから取ってつけられたらしいわ。昔からこの辺りに住んでる者は、みな〈魔神島まじんとう〉と呼んどる」

「マジン……?」

「せや。『無人島』やないで、〈魔神島〉や。あの島にはちょっとした伝説があってな。遥か昔、この国をおつくりになった神さんが、最初に降り立った場所とも言われとるんや。神さんは、そこの土をこねくり回して新たな大地と、そこに住む人々を生み出していったとかなんだとか……よくあるおとぎ話っちゅーやつやな」


 確かによくある創世神話の話型わけいに思えた。

 日本でいえば、伊邪那岐、伊邪那美の二神による「国産くにうみ」である。先に君由が話していたことと同じ、『古事記』の一説を思い出した。


 しかし、このパターンの話は世界中に残っているといっていい。

 似たような話型の代表が古代エジプトの神話だ。

 原初の海であるヌンに現れた島、アトゥムから、大気の神のシュウや大地の神ゲブが生まれ、世界の創造と発展につながっていったという、あれだ。


 神話というものにはよくある特徴なのだが、エジプト神話も多分にもれず、伝承のおこりとなった土地によって神々の役割や扱いは異なる。天地創造神話においても、もっとも有名なヘリオポリス系創世神話の裏には、ヘルモポリス系と呼ばれるもう一つの話型が存在していることを、美影は読んだ本などから知っていた。


「……まぁ、この手の話のお約束やけど、たくさん産まれた神さんの中には、案の定『悪い神さん』がおってのう。島に栄えた文明をことごとく破壊していったとかなんだとかっちゅー話や。人々はその神さんを『魔神さま』と呼んで恐れ崇めたんだそうやで」


 これもよくある話だ――。

 おそらくその悪さをする神というのは自然災害の表象であろう。

 この辺りで言うと台風が該当しそうだ。

 日本神話であればスサノオやヤマタノオロチ。ギリシャ神話ならばテュポーン。エジプト神話ならセトといった破壊神がそれぞれ該当する。


 いずれも災害や天候を神になぞらえたものとして、現代では考えられている。また、シリアやパレスチナに伝わる神話にもバアルという嵐の神が存在しているのは有名な話だ。


「……で、なんやかんやあった挙げ句に、その魔神さまは島ンなかに封印されたらしいんやけどな。ま、これもおとぎ話や――もともとその島に住んでいた人たちが、子どもらをしつけるために作り出した『訓話』とも取れるかもしれんな。島とは言え、手つかずの土地の多い場所やさかい。勝手に出歩いたりせんようにってことだと思うわ。『遠くへ行くと、島の魔神さまにとって食われるで』みたいにな」


 そう言って守衛はガハハと笑った。

 なんやお嬢ちゃん、本気にしとるのか? あくまでもおとぎ話、ファンタジーや。そないに身構えることあらへん――老齢を重ねた警備員は、そう言って煙草に火を点けた。


「まぁ……この伝説を信じとる連中も少なくないみたいやけどな。漁師の連中も、あの海域には海の悪魔が出るいうて、ようけ近づかん。今回も、君らがやってきたら嵐の予報が出たしな。今は落ち着いてるが、明け方辺りまでは本番やで、こりゃあ……」


 守衛の話は長々と続いた。

 そのときだった。

 美影の視界が文字で埋め尽くされた。

 こんな時にいつもの発作が……。それも度を越して激しいものだった。

 世界の全てが文字化されてゆく。視神経が、脳が焼き切れそうだ。

 激しい頭痛とめまい、そして吐き気が少女を襲った。胃液が逆流し、口からあふれ出るのがわかる。だが止めようがない。両手で口を押さえるも、徒労に終わった。


「お嬢ちゃん、大丈夫かね!」


 警備員が駆けよるも、既に美影の心はそこにはなかった。

 混濁する意識の果てに、少女の記憶は溶けてゆく。それは、逃れようのない彼女自身のトラウマとの再会だった。

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