17.細かいことは置いておいて

 天地開闢てんちかいびやくの際に、神代七世の最後の二人として生まれたのが伊邪那岐と伊邪那美である。日本という国を作るための儀式を行い、その後、数多くの神々を産んでゆくのだが――


「伊邪那美命は、炎の神〈迦具土神かぐつちのかみ〉を産んだ際に、陰部をやけどして死亡するんだが……この辺りが日本人の神話らしいよね。神様でも『死ぬ』ことが明記されている。

 僕たちはついつい神を万能の、上位存在としてとらえてしまいがちだけれども、それは一神教の世界に毒されている……おっと失礼、影響されているだけだとも言えるかもしれない。

 八百万やおよろずの神々とは常に自然の中にあって、それは我々と何ら大差ない概念の上に成り立つものだったのだろう。

 で、結局〈迦具土神〉は伊邪那岐によって殺されるんだが、結果的に伊邪那美は死亡してしまう。その際に排泄した大便や尿、吐しゃ物などからも神々が生まれたとされる……。

 一見汚い話に思えるかもしれない。だが、君たちも知っての通り、ISSでは屎尿しにようのリサイクルはごく当たり前に行われている。排泄物もまた貴重な資源なんだ。また、宇宙酔いによる嘔吐物の処理を嫌がっていては任務もこなせない。それぞれを汚物と捉えるかどう捉えるかは重要な問題だと僕は思うね。神話のこのくだりはそういう本質を示唆していたと、捉えることもできるかもしれない」


 まぁ、あくまでも考え方の一例としてとらえてくれればいいよと、青年は静かに笑った。続けて、


「でも、不思議だよね、火を殺すなんてできたんだろうか。鎮火の表象なのだとしたら、その後、人間社会が火の概念を持ったことと矛盾するのかもしれないが」

「しかしそれを言ったら……国を産んだ後に生まれたのは、現実の世界では猿人や原始生命体だったと言えるのではないか。いま地球上に繁栄している人類、ホモ・サピエンスが誕生するまでに、どれほどの時間がかかっているというのか」


 こういったのは稲村だった。

 そりゃあそうだろうと美影も思っている。あくまでも神話は神話、おとぎ話だ。現実の大地を、神々を名乗る人々が生み出し、その後、炎や文明といった利器の概念を産んでいったと考えるのにはかなり無理がある。


「なるほど。つまり稲村くんが言うには、神話における『世界創造』と『さまざまな文明の概念』の誕生・発達には大きな時間的隔たりがある――と。そういうことかな……。

 だが考えてみてほしい。現実の我々の人類史においても、ホモサピエンスが生まれるきっかけは、いまだ解明されていない。ミッシングリンクなんていうだろう? ここからはオカルト分野になってしまうが、もしかすると神話とはその時期のことを指し示す暗喩なのかもしれない。事実、人間と呼べる種が繁栄してから火の活用や道具の開発が始まっているからね」

「でもそれじゃあ、まるで神代七世かみよななよが外宇宙から来た存在みたいじゃないか」


 稲村は呆れたように続けた。この科学万能の時代に何を言っているだろうという、そう言いたげな表情を隠そうともしない。正直な人だなと美影はある意味で感心している。


「ま、その辺りは追及しない方がよさそうだ。そもそも本題ではないからね。でも、こういう話に花が咲くのは僕としては嬉しいよ。さすが神職の皆さんだ……」

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