13.出会い

「……海の匂いにガソリンの臭い。確かに、吐きたくもなりますわねぇ」


 呑気な声が聞こえた。美影がそちらを見やると、同船者と思しき少女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。その向こうでは何やら嘔吐(えず)いている女性が一人。

 彼女はそのことを揶揄やゆしているらしかった。

 全員、メガフロートに向かうのであろうか。


 少女はといえば、あいにくと船酔いしない体質らしく、あちこち船内を見回っては遊び歩いている。

 とはいえ、さほど広くもないフェリーの中だ。

 十分も見回れば他に行く場所もなくなってしまった。

 なのでいまは退屈そうに甲板で海を眺めている。


「あの、大丈夫ですか?」


 おもむろに、嘔吐いている女性客に話しかける美影。どうやら年上のようで、起こした身の丈は美影のそれよりもかなり高い。


 女性客は、その豊かな黒髪を軽くかき上げる仕草をし、


「波はますます大きくなると言っていたな」――ぶっきらぼうな物言いだった。

「と言いますと」

「嵐だよ。今朝の新聞にそう書いてあった。急速に発達した低気圧が現在、日本近海を北上中。今まさに、この船はそれに追われている形になるかな……。いや、まったくもって船酔いしてかなわん……」


 女性客――稲村いなむら九霧くぎりは、デッキに寄りかかったまま空を見上げた。言われてみれば遥か彼方の水平線には積乱雲が見える。この分では南裏界島も同時刻に暴風圏内であろう……。


 稲村と名乗った女性は手元のグラスをあおった。

 白ワインが入っているように見える。

 船酔いしているのに大丈夫なのですかと聞くと、こっちで酔ってしまえば平気だという無茶苦茶な理屈が返ってきた。


 さいですか……。

 船内のラウンジに設けられたテーブルにはオードブルが並んでいる。

 これは船長のもてなしらしい。

 何やら黒々としたものが見えるがなんであろう……美影は手をつける気になれずにいた。


 横を見やると、先ほどの少女――こちらは美影と同い年か、あるいは年下ぐらいか――が、食欲も旺盛にオードブルに手を伸ばしていた。


「この黒いのはなにかしら?」

「それはウミヘビです」と、船内のスタッフが答える。

「へぇ……」


 そんなことを言いながら平気で胃に詰め込んでいる。およそ、船酔いとは無縁なタイプのように思えた。思わず見とれる美影。


 確かに少女の容貌は凛々しく、ともすれば壊れてしまいそうなほどに繊細な自分とは真逆に見えた。

 やや高ぶった雰囲気ではあるが、その自信に満ちた面持ちがまた、自己肯定感の低い美影にとっては、むしろ心惹かれるタイプにも見えるのだった。


「あの……」――少女が話しかけてきた。

「はい」

「何か御用ですこと?」


 思わず見とれてしまった。

 いかんいかんと首を振りつつ、お邪魔しましたとラウンジを後にする。

 別にそのまま居たって構いはしなかったのだが、なんでこういう時に限って私は奥手なんだろうと、美影は甲板上で自分を責めるのだった。

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