12.出発の朝

 そもそも宇宙飛行士の選抜試験とは、応募要件を満たしている志願者自らが「志願書」を書き上げ、送付するところから始まるとされている。記入項目には重要なパートが二つあり、ひとつは「これまでの研究/開発実績」だった。


 テーマごとに業務内容の詳細お呼び自身が成し遂げた成果とを併せて、それが個人によるものなのかチームによるものなのか、チームの場合はその中での自分の役割を記入することになっている。


 もうひとつは「応募動機」だ。

 ここでどれだけ本気度を見せられるかが運命の分かれ目となる。

 これらは今現在、宇宙に出ていける人材がみな成人であることや、何らかの業績を持った研究者や開発者であることがほとんど、というより全てであるためである。今回の召集のように、『参加せよ』というのは極めて異例なことなのだった。

 

 なので、必然的に美影は志願書をパスする形になった。もしかすると先日の、C・Fと名乗ったフライトサージャンとの面談がそれにあたるのかもしれないが、真相は闇のなかだ。


 ただ一点、提出を求められたのは「参加に対する家族の意見」という項目の書類だった。

 宇宙飛行士の生活とは決して一人で成り立つものではない。これからの訓練や、狩りに宇宙へ出ることが決まれば長い間家を空けることにもなる。その不在期間、家族をどうするのか。万一の時のことも考えねばならない。心理的負担もかけることになる……。そう、家族の支えがあって、初めて宇宙飛行士という職業は成り立つのだ。


 結局のところ、この書類を書いてくれたのは養母の千鶴子ちづこだった。

「私ゃ宇宙のことはよく分からないけど……」と言いながら、書式が自由なのを逆手にとって、長い長い手紙を書いた。


 そんなに長くてかえってまずくはないのかと思いはしたが、大切な養母の気持ちである。美影はありがたく封筒に入れ、メガフロートにあるANALへと向かうことになった。



 季節は初夏だ。

 本土からかなり南にある南裏界島の夏は早い。

 その日も朝から蝉がやかましく鳴いていた。

〈比山神社〉の境内を、朝一で掃き清めている美影に、千鶴子は「そんなことはいいから出かける支度をおし」などと言うのだった。


 心配なのだろう。昨晩は随分遅くまで祈祷を捧げていたのを美影は知っている。「そんな大したことをしに行くわけじゃない。第一、まだ訓練に移れるかどうかも分からないのだから」と笑いかけたが、「何事も最初が肝心さね」と、かえって念を入れられる結果となった。


 それはそれでいいのかもしれない。

「宇宙に行きたい」という夢に没頭しすぎると、自分自身を客観視できなくなり、抱えることになるリスクを過少に捉えがちだ。

 こういうとき、むしろ周囲の家族の方が客観視できる。

 はっきり言えば「わざわざ好き好んで危険なことをしなくても」という気持ちが湧いて当然と言える。しかし、もし本当に本人にその気があるのならば、仮に反対されたとしても自らの夢のために、応援してもらえるように説得すべきだ。


 なぜなら、その一番初めに心配してくれる家族を説得できないようでは、宇宙という環境下ではやっていくことができない。それは、応募にあたってのひとつの前提条件とされているのだった。


(きっと、向こうでは厳しい面接や試験があるはずよ)


 下調べは万全に行ったつもりである。書類審査こそないものの、一般教養や医学検査は必須であろうし、最終的にものをいう長期滞在のための適性検査は極めて困難だという。


 そんな中で美影が唯一心配していないのは、英語やロシア語といった語学に関する部分だけだ。

 これは彼女の持つ可詞化能力特性が有利に働いた部分だった。何しろ諸外国の言葉でも、彼女は母国語として視ることができるのだ。


 話すこともまた然りで、これまで発作で自らを苦しめたエクリチュールが、まさかこのような形で役立つとはと、こればかりは特性に感謝するしかなかった。


「ま、一つぐらい長所を持っていてもいいよね」


 それが役に立つことを願いつつ、フェリーは南裏界島からメガフロートへと渡ってゆく。


 症状の具合はだいぶいい。

 最近ではある程度であればコントロールできるようになりつつあった。

 もちろん、進んで「空」や「海」「雲」といった文字だらけの世界を視たいとは思わないが、その加減さえ自在にできたならば、それこそいつか遠い未来――別の惑星生命体とのコミュニケーションを図ることにもつながるかもしれない。夢物語ではあるが、そういう希望だけは常に抱いておきたいものだと、少女は思っている。

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