第二章 洗礼

10.南裏界島

  暖かでさわやかな風が南から吹いてくる。

 耳に届くのは潮騒と、どこかの島人が奏でる三線サンシンの音ぐらいか。島の時間はゆっくりと過ぎてゆくのだ。


 ダイミョウヤナギと呼ばれる巨木の木陰に、天満美影は寝そべっていた。

 顔に目隠しとしてオオアオイの葉を乗せ、かつ腕を頭の後ろで組み、熟寝うまいを貪っている。

 あまりにも心地よいため、トレーニングの途中にもかかわらず、長時間寝転がってしまっていた。


 ほうっておけば日没まで眠っていそうな、そんな様相だ。

 心地よさそうに寝息を立て、思い出したかのようにごろりと寝がえりをうち、そして目を開けた。


 オオアオイの葉が落ちると、艶やかな長髪がはらりと揺れた。

 さほど手入れがなされているわけでもないのに、彼女の髪は美しい。

 ハイビスカスのそれを思わせる派手な色をしているが、れっきとした日本人だ。

 生まれ持っての体質だろうか……ひとたび島内を歩けば光の粒子を反射させ、彼女の周囲には常にある種の輝きが宿っていた。それがこの島での、彼女の巫女としての立ち位置を確かなものにしているのだった。


 南裏界島――。

 妙な名前だが、総面積は一六〇キロ平方メートル以上を誇り、おおよそ東京二十三区とほぼ同じ大きさだ。周囲を小さな無人島群が取り囲む東洋の聖地でもある。島内には、いくつかの古い集落と、座巌市(ざがんし)と呼ばれる都市開発地区とが混在する。本土との連絡手段は定期便のフェリーのみ。一日一便が出ている。空港はない。


 しかしここ数年は、近海上に建造されたメガフロートの、宇宙往還機発射を見物したがる人々でにぎわいを見せている。もちろん、メガフロートへの立ち入りが禁じられているためだ。美影を引き取ってくれた千鶴子の住む、〈比山神社〉も、参拝客が増えて色々と忙しい日々だった。


「住めばそこが都、か」


 我ながらすれたことを言っているなと美影は思った。

 十四歳で〈教団〉から解放されてもう二年近くになる。

 その間に住むところも随分変わったものだ。今はこうして都会の喧騒から引き離されて落ち着いているが、いつまでもここにいられるという保証はない。


 いまは義母となってくれた千鶴子が健在であるからいいが、もしその時が来たら……。なので、彼女の内から不安が消えることはない。



「天満美影さん、おられますか」


 ある日の午後の事だった。〈比山神社〉を訪ねてきたのは一人のうら若き乙女だった。メイドを思わせる白と黒の侍女服に身を包んだ慎ましい身なり。色素が薄いのか、やや充血した赤い瞳が印象的な女性客だった。


「わたくし、日本政府直属の葦原航空技研、ANALから派遣されてきました、アルファ・カウンター・フォースと申します。気軽に、C・Fとお呼びください」


 何やら妙な名前のお嬢さんだねぇ……そう言いながら千鶴子は、いそいそとお茶の用意をしに台所へ引っ込んでしまう。

 美影はといえば、ちょうどトレーニングから帰った直後だったため、白いジャージを着たまま応対をする羽目になった。居間にある卓袱台ちやぶだいを囲んで会話が始まる。

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