9.監督、語る①

 当時、私は十四歳で中学二年生でした。

 まるで何かのキャンディーCMみたいな表現ですが、まさにそうだったのです。


 奇しくも「福音エヴァンゲリオン」の主人公たちも十四歳という設定。

 劇中で当初言及されていた(で、そのうち忘れ去られた)A10神経というものが十四歳が最も発達している時期なんだとかって、色々と言われていました。いわゆる、生涯のうちで一番多感な時期、ってやつね。


 テレビアニメ『福音世紀』と出逢ったのは、本当に偶然も偶然。放送開始日であったその日、水曜の十八時半に、たまたまテレビ東京にチャンネルを合わせていたことでした。


 そして始まる、あの伝説となったオープニング……

 四半世紀以上過ぎた今もなお、カラオケで歌い継がれる伝説の名曲に乗せて繰り出される圧倒的な情報量と謎に満ちた映像。とにかく、当時は目が追い付かなくて「なんじゃこりゃ」という想いで最後まで見てしまいました。

 ところどころに「エデン」だの「人類昇華計画アセンシヨン」だのという謎めいた文言がちりばめられていて、不穏な匂いも感じたものです。


 何より、これはどうやらロボットアニメらしい――というのが分かりました。角の生えた紫色の巨人が躍動し、光の羽を広げていたので、ああ、そういうロボットものなんだなぁ、と。で、CMあけて本編を見ていったわけです。


 不肖ふしようワタクシ、当時はアニメにもビデオにも、書籍にすら思い入れがなかったので、その時はながら観でした。なんか、何の説明もなく始まって、何の説明もなく終わったなぁという、そういう印象が第一話「使徒、進撃エンジェル・アタツク」のそれ。


 ほら、普通……アニメっていうと、導入部で「ここは何とかの村」とか「俺は中学一年生のナントカだ」みたいな説明がありますでしょう。

 そういうのが一切なかった。当時の、何の事前情報も仕入れていない子供にはそりゃあちんぷんかんぷんだったと、今なお思います。


 で、だ。

 敵――使徒のこと――が、これがまたよく分からないんだわ。

 最初は、宇宙人かな? と思ったけどどうやらそうではないらしい。

 眼鏡でヒゲな主人公の父親によれば、あっちも兵器らしいが、どこか外国とでも戦争しているのかな、お隣の国かな、とか思いましたね。


 でもそれにしちゃあ見た目がやっぱり宇宙人なんだよな。

 なんか岡本太郎おかもとたろう的な芸術作品が歩いてる感じ。

 そう思いました。


 そう、第一の敵であった「第三の使徒」への印象は、それはもう強烈なものでした。

 細身で腕が長いというあのシルエットすら、「今までに見たことのない」存在でした。この「何が何だかわからないもの」が襲ってきている日本と、そこにいる少年という一つの図式を頭の中で組み立てるには、しばらくの時間を必要としたものです。


 今にして浅はかだったのは、俺、途中で何回かチャンネル変えてたんですね!

 地味な展開がしばらく続いたのもあったのでしょう。

 でもねぇ、十四歳の子供なんて、まだまだ少年マンガの方が好きな年齢ねんれいですよ。夢見てばっかですよ。登場人物同士が辛気臭い話をしているパートは、特に興味もなかったのです。


 ちなみにこの「辛気臭いパート」については、のちの「精神世界描写」に繋がってゆくわけですが、ここが世間でも不人気だったのはいわずもがな。今そこにおいてあるビデオ――新劇場版では、あの手の描写は消されたんだけど、まぁそれはいいか。それこそ市川崑いちかわこん映画を思わせる明朝体演出とかもね、消されました。もともと痛々しい演出だったからね。


 で、そんなこんなでまたまたチャンネル戻したら、あの紫色のロボットの前に主人公が立っているじゃない。で、乗れとか周囲に言われてる。で、少年は突然激昂。なんか感情表現が生々しくて怖い。でも色々あって乗ることになる。この辺は予定調和的。


 そこからでしたな――ロボットに乗ると言っても、よくある主役がタラップをタッタッタッと走って行ってパッと飛び乗るような、そういうのじゃなかった! 操縦席を収めた、これまたよく分からない長い筒状のデバイスが、ロボットの後頭部……頚椎けいついなんですが、そこがぱかっと開いて、ずにゅっと挿入される。気持ち悪い。なんか外科手術的で。


 で、気持ち悪いのはそこだけじゃなかった。

 操縦席に液体リキツド注入というあのシーン。いやさ、びっくりしましたよ。水を肺に入れれば呼吸できます――って言われてもねぇ……うわ、こんなの乗りたくねぇ、ってその場で思っちゃった。


 とにかく、この時点で「なんか怖い」「なんか気持ち悪い」アニメ、というそういう印象が決定づけられたわけです。生理的に気持ち悪いというか。


 そして始まった戦闘――この時点でもう第二話なんですが、つまるところ見続けてたわけです。水曜夕方のあの時間に、チャンネルを合わせてしまった。あの「怖い」「なんか子供が見ちゃいけないような」あのアニメの続きを観てみたいという密かな欲望が芽生えていたんですな。


 いま想えば、ある種の背徳感があったねぇ。

 親の目を盗んでみていた記憶がある。本能的に、危ないアニメだと悟っていたんでしょう。実際危なかったんだけれど。あはは。


 で、驚いたのは主役ロボット「福音エヴァンゲリオン」の描写ですよ。

 もうなんか、勝手に動いてる。吠えてる。歯が出てる。

 こんなロボット見たことない。

 というか、こいつはロボット兵器なのか?


 というのも、それまで俺の親しんできた巨大ロボットといえば「勇者シリーズ」ぐらいでしたからな。世代的に、ちょうどガンダムもない時期だったんですね――厳密には同時期には『新機動戦記ガンダムウイング』が放送されていましたが、そもそも「ガンダム」に思い入れのない世代だった私は見ていませんでした。前番組の「機動武闘伝Gガンダム」はちゃっかり見てたけど。


 でね。自動で動いて喋るロボットって言ったら、まずドラえもんであり勇者ロボだったんですね。ほら、パトカーや新幹線が変形して動くような……ファンタジーとしてのロボット。

 トランスフォーマーやマシンロボを幼少期に観ていましたので、そういうイメージの方が強かったのです。ところが福音といえば、そういう先入観を全部吹っ飛ばして来た。血なんかドバドバ出ているし、腕なんか折られてもすぐ治るし、作った当人と思しき博士は「暴走?」とか言っちゃってるし!


 いやさ、暴走して通常より強くなって言う概念が、もう斬新でした。

泣くと強くなる奴が子供のころいたけれど、あんなもんだろうか。それこそ「鉄人28号」にしろ「マジンガーZ」にしろ、戦闘兵器であるロボットが、設定された機能以上の性能を発揮するというのは当時の自分のなかではありえない事だったのですよ。しかも操縦者の意思を無視して動くという……。


 のちのち分かったことですが、福音エヴァンゲリオンというロボットには、どうやら操縦者である少年少女の、「母親の魂」が移植されているらしい。


 だから、ピンチになると母性本能で勝手に動くし、乗る人も限られていると。

 妙な説得力があったわけです。

 もっとも――その「魂の移植」ってのはどうやってるの? という疑問には、番組は全く応えてくれなかったわけですが……。

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