5.回想、グノーシア
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「グノーシア、の
高橋はそう言って静かに笑いかけた。
なぜそれを、と身構える美影。
彼のいう「グノーシア」とは、現在日本各地で信者を増やしている新興宗教団体のことである。通称、〈教団〉。
「天満美影、十四歳。教団の神子として教祖の側にいた少女……。先日ニュースでやっていたのは君のことだろう。教祖が信者を集めるために、神子と称して未成年の少女を教団施設に軟禁していたという、あれさ。何処からリークがあったのかは知らないが……警察の介入によって、結果的にそれは真実と証明された。君の存在がそうだからだ。なあ、俺たちは君のことを知りたい。いや、正確には君自身のことはどうでもいい。〈教団〉について知っていることを教えてくれないかい……」
そうか、結局はこの高橋という男もそれが目当てだったのだ。
少し落胆し、そして安心もする。
こういうケースは多いことを美影は知っている。
こと、なにか訳ありの子どもとはそういう立場におかれるものなのかもしれない。大人たちが何かを得るための口実、ダシにつかわれるのだ。言ってみれば情報の中継地点。彼女を媒介としてネタを得る。現代の錬金術である。
狡猾な人間になると、彼女のような子どもを接着剤だといって利用する者もいる。今現在、美影を世話している福祉団体の理事長がそうだと思っている。
「美影さんがいるおかげで、より一層こういった不幸な身の上の若い方たちとの接点ができました……」――闇の世界がそこにある。
これもただのポーズに過ぎない。
なにより言っている側に悪意はないのがまた問題だ。
結局はかれらがどこを向いているのか? 美影を見ているのか。美影を通して見えているものを見ているのか。その違いは大きいと、この過敏な少女は思っている。
(そういう意味では最初から私をダシにしようとしている、この高橋という男の方がまだ信用できる)
これを少女の捻くれた考えだと言ってしまうのは、事情を知らないものの浅ましさかもしれない。
重要なのは美影にとって、誰が信用に足りうるのかというその一点だけだったのだから。なによりも、偶然にも視えた高橋の声は、嘘をついていなかった。
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果たして美影の、〈教団〉にいた頃の記憶は曖昧なものだ。
ただ、この発作として時折現れる症状――世界の全てが文字化される、この病気がかれらにとっての利益に結びついていたことは、確かな事実だった。
症状のことをかれらは〈
エクリチュール。
哲学用語で「書く」とか「書き表す」といった意味の用語だ。
その名が示す通り、美影には世界の声が視える。文字に捉えて視ることができるのだ。
おそらくそれはかれらにとっての真実足りえたのであろう。
導師は……大いなる父と称された彼は、常に美影を傍らに置き、「地球の声が視える神子」として崇めるよう、信徒たちに説法を繰り返していた。
実際のところ、世界の声が視えたことでさまざまな恩恵はあった。
例えば天気だ。
発作の起きたときに空を見れば、現在と、そしてこれから起こるであろう大気や雲の動きが文字となって視ることができた。
そして人の心も視ることができた。
発作が起きたときに信徒に会えば、文字となってかれらの心を読むことができたのだ。全て、認知の力だ。
〈教団〉は、これを予言や読心として発表していたのだ。
ほんのささいな予言も、的中率が完璧であるという事実が積み重なれば、おのずと信徒は増えてゆく。彼女に――美影の能力にすがり、未来を占ってほしいと願う者もいたし、株式や先物取り引きの動向を予知してほしいという不埒ものもいるにはいた。
だが、予言ではなかったのも事実ではある。
彼女が視ていたのはあくまでも世界そのものの声である。
それを解釈し、信徒たちの都合の良いように発表していったのは〈教団〉の力に他ならない。
かれらはその成果で集めた多額の御布施によって不動産を入手し、それを元手にさらなる資金を手にしていった。
なので、その頃の美影は、たまにでもパフォーマンス的に発作を起こせばいいというだけの看板に成り下がっていたのかもしれない。
しかし彼だけは……導師だけは――片時も美影を手放そうとはせず、ひたすら彼女の能力、特性についての研究を部下に進めさせるのだった。
(想えば、このことだけは救いだったのかもしれない)
美影にとって、いや、幼い少女にとって「自らを省みてくれる存在」というのはそれだけでありがたく貴重なものだったのかもしれない。
少なくとも導師は、美影自身が持って生まれた特性に真っ向から向き合っているように見えた。果たしてそうではなかったとしても、そのように振る舞っていただけ貴重な存在と言えた。
彼が先導者足りえたのはそういったパフォーマンス能力によるところが大きかったのかもしれない。むろん、これは今の美影の考えでしかないのだけれども。
結果的に、美影は政府の保護団体によって〈教団〉から切り離された。
だが、果たしてそれが幸せにつながったのかは疑問であると、少女は自らを振り返っている。
人形として崇められていたのが幸せの全てだったわけではないにせよ、相対的に過酷な現実を直視することとなった。通えることになった学校では、たびたび起こる発作のせいで、ろくに授業を受けることも理解することもできなかったし、運動も然り。もとより〈教団〉に軟禁されていた身だ。体力などあろうはずもなく……ついてゆくことさえおぼつかなかった。
それは本人に劣等感を抱かせるだけではなく、時の有名人になっていた少女を、集団の輪から孤立させるには十分すぎる要素だった。
いつしか天満美影の存在は、学校においても「存在しないもの」のように扱われるようになっていった。かれらは苦しみと破壊とをもたらし、日々試練を引き起こした。
そんな折に出会ったのが、かの高橋と、彼の率いるコンキスタドールの面々だった。
かれらに不快感は抱かなかった。
最初から美影をダシとして扱うことを示していたのがかえって良かったのかもしれない。あなたを見ているよと言われて、結果的にダシにされていることを知るよりは、ダシならダシとしてのみ見てくれるだけありがたいと、今の美影は思っている。
なにより錬金術がそうではないか。
錬成の媒介となる貴金属そのものにも、それぞれの価値があるのだ。
それを見ずして結果だけ得ようとする社会――そこに少女はたまらない嫌悪感を抱いていた。
「これはビジネスだと思ってもらって構わない」
高橋という男はそのように言ってのけた。彼の目的は新たな物語を作り出してそれを商売にすることだった。フィクション――創作家といえばいいのだろうか、と聞くと「小説というものを書いてみようと思っている」と返ってくる。
そのための題材として〈教団〉の何たるかを知りたい。
それが高橋の目的のようだった。取材というのはまったくの嘘ではなかったのだ。
そして美影はそれを承諾する。
覚えている限りの記憶を動員して、〈教団〉についてを高橋に物語って聞かせた。
それは決して悪い感覚ではなかった。
彼は、作品のためという別の目的があればこそ、美影の話に真っすぐ耳を傾ける。可詞化能力というものをどこまで理解しているのかは謎であったが、感覚が告げる彼の声に嘘はなかった。
そんな風にして、コンキスタドールに通う日々が続いたある日、美影のもとに届いたのが〈軌道地鎮祭〉の召集令状だった。
学校にも行かずに胡散臭い撮影スタジオ――それもAVの撮影現場に出入りしていた彼女にとって、それは
保護団体は、政府の通達に従って彼女を都会から移送することを決定する。
行き先は南裏界島。
なんでも、お上の指示に従うのがかれらのやり方だった。
だが、決定に逆らう気は美影にはなかった。
話すべきことはすべて高橋に話して託したつもりであったし、それが無駄に終わろうと彼が彼女に向き合ってくれた事実は消えなかったからだ。
南裏界島――日本近海に浮かぶ離れ小島だ。
そこで彼女を引き取りたいという申し出があったのを皮切りに、美影の処遇はあっという間に決まっていった。
本土を離れるその当日、島へと渡るためのフェリー乗り場の片隅で、もう会うこともかなわなくなった高橋たちが、こっそりと彼女を見送っていたのを、少女は決して忘れないだろう。
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