とある、強くて弱い男の話

「それで? 何があったんだい? 明らかに普通じゃない状態だけど、どうしてそこまで憔悴してるのかな?」


「それは……あの、えっと……」


 界人が買ってくれたホットココアの缶を手に、彼からの質問に答えようとする明影。

 形は違うが、これもある意味では警察からの尋問みたいなものだなと思いつつ口を開く彼だが、上手い言葉が出てこない。


 自分がVtuberであることを言ってしまうのはマズそうだし、そもそもこの強面警官がサブカルチャー的な存在に詳しいとは思えないし……と思いながらまごつく彼の姿を見て苦笑した界人が、緩く謝罪しながら言う。


「いや、ごめん。流石に初対面の人間に何もかもを曝け出すってのは難しいよな。俺はこんなだし、威圧されちゃってるように感じるだろう?」


「い、いえ、そうじゃないんです。ただ、その……自分でも上手く言葉にできなくって、何を悩んでいるのかもいまいちわかってなくって、その……」


「ふむ? なるほど?」


 少しだけ緊張をほぐした明影は、思い付くままに心に抱えた思いを言葉として吐露していく。

 界人はそんな明影の話に、黙って耳を傾けてくれていた。


「僕は……今までずっと、誰かからの命令に従って生きてきました。自分のやりたいこととかそういうのがいまいち薄くって、流されるままって言えばちょっと聞こえが悪いですけど、そんなふうに生きてきたんです。でも……今、どうしてもやりたいことができました。だけどそれは周囲の人たちが反対してることで、しかも自分でもどうやったらそれができるかわからないんです。考えれば考えるほど、自分の無力さとか弱さとかを自覚しちゃって、それで……」


「あてもなく家を飛び出して、ふらふらしていた……と?」


「はい……」


 素性や職業を隠しながら、今の自分が抱えている問題を話す明影。

 彼の話を聞いた界人は小さく頷いた後、こんな質問を投げかけてきた。


「明影くんが抱えてる事情がそう単純なものじゃないってことはわかったよ。だけど、君は初めて自分の意思で何かをしたいって思ったんだろう? なら、その思いに従った方がいいんじゃないかな? ……あっ! 当たり前だけど、犯罪行為はダメだぞ! 警察官として、それは止めさせてもらうからな!」


「……思いに従う、ですか。でも、僕にはそんなものは無いんですよ。ただ漠然としているだけで、突き動かすような衝動はないんです。だから、こんなところでうじうじし続けてる。情けない男ですよ、本当に……」


「……そう自分を卑下するもんじゃあないよ。でも、そうだな……自分を突き動かす衝動、か……君の話を聞いていたら、昔のことを思い出しちゃったよ」


「昔のこと……? なんの話ですか?」


「ああ、いや、とあるVtuberの話さ。そう昔って話じゃあないけど、なんだか懐かしく思ったんだ」


「うえっ!? ぶ、Vtuber……!?」


 予想外の方向から出てきたVtuberの単語にわかりやすく明影が動揺する。

 しかし、界人の方はそんな彼の反応に気が付くこともなく、昔を懐かしむようにしてとある人物のことを語り始めた。


「そのVtuberはね、強いけど弱い人だったんだよ。どんなに叩かれても、ひどいことを言われても、どこか飄々としていた。でもそれは全く気にしていなかったんじゃなくって、んだ。自分の人生はこんなもんだって、そう受け入れてしまえば楽だからって、全てを諦めていたからこそ強く振る舞えたんだって……彼はそう言っていたよ」


「……僕とは真逆だ。僕は何も諦められない、諦める強さすら持っていない弱い人間です」


「ああ、そうかもしれない。だけど、そんな強くて弱い人間である彼を変えたのは、今の明影くんのような人との出会いだったんだよ」


「え……?」


 世の中、諦める強さが必要なこともある。今の自分はその諦めるための強さも持たず、されどどうすればいいのかもわからずにもがいて嘆いているだけの弱い人間だとこぼした明影へと、界人が言う。

 その言葉の意味を尋ねるように明影が視線を向ければ、彼は笑みを浮かべながらこう話を続けた。


「ある日、強いけど弱い人間である彼は自分とは真逆の人間に出会った。何もできない、自分は弱いって泣きながらも心の奥底に抱いたたった一つのを諦めたくないって叫ぶ少女……儚くて、か弱くて、だけどその夢を必死に握り締める、弱いけど強い人間に。彼女と対面した男は、諦めっぱなしだった自分の人生と違って、どれだけボロボロになっても必死に立ち上がろうとするその姿を美しいと思った。そして、彼女のことを守りたいと思うようになった。……空っぽだった彼の心に火を灯したのは、そんな出会いだったんだよ」


「弱いけど、強い……諦めたく、ない……」


「そこからの彼はもうびっくりするほどの大暴れをしてみせた! 少女を燃やした元凶となる人物の配信に乗り込んで、七転八倒の大立ち回り! 叫んで、吼えて、自分が燃えることも厭わずに戦い続けて……勝っちゃったんだよ、たった一人で。ちっぽけな夢を守るためだけに何万もの敵を相手に、勝利を掴み取っちゃった。まあ、それでまた燃えたりもしたんだけどさ……色んな意味で彼の人生が変わったのは、その瞬間からだったんだと思う。誰かのために心を燃やす、それが自分のやりたいことだって胸を張って言えるようになったからこそ、そんな無茶ができたんだろうね」


「誰かのために、自分を……胸を張って、それを言える……」


 ……どこか聞き覚えのある話だった。

 もしかしたら、と思う人物の名前を明影は知っている。


 今や界隈を代表する人物として名前を挙げられるようになりながらも、デビュー時には特殊な出自から盛大に叩かれ続けたとあるVtuber。

 彼が立ち上がる切っ掛けはそんな小さなものだったのかと、誰かのために戦うことを誇りに思えるようになったからこそ、彼は真の強さを得たのかと、そのことを界人の話を聞いて知った明影は、自問自答を繰り返すように呟き続けていた。


「……なあ、明影くん。俺は君が抱えている事情を詳しくは知らないよ。だけど、君がどうしても諦められなくて、そのせいで悩んでることはわかる。君は、弱いように見えて強い人間だ。自分で気付いていないだけで、もう心の中に自分を動かす炎を持ってる。その炎を生み出しているものはなんなのか? その答えがわかりさえすれば、きっと君も進むべき道が見つかるはずだよ」


「僕の、炎……僕にとっての、大切なもの……」


 握り締めた拳を、左胸に当てる。

 心臓の鼓動を感じながら、その奥で僅かに光を放つ燈火を感じた明影が瞳を閉じれば、まぶたの裏に環の明るい笑顔が浮かんできた。


『ま、大船に乗ったつもりでいてよ! このぱ~ふぇくとなぷらんさえあれば、あなたのチャンネル登録者も爆増間違いなしだからさ! ぜ~んぶぶぉくに任せとけ! にゃっはっはっはっは~っ!』


 自分を助けてくれた明影に恩を返すと豪語して胸を張る彼女の姿が、今でも思い出せる。

 自分たちの関係の始まりを振り返った明影が、強く力を込めた拳を握り締める。


『今さらそんなこと誓う必要ないだろ~? ぼくを死ぬ気で守るのは、お前の役目なんだからな! これからもしっかりぼくを支えろよ、こたりょ~!』


 コラボ配信の時に明影の馬鹿真面目な態度に苦笑しながらも嬉しそうにそう言ってくれた時の声が、今も耳に残っている。

 彼女に誓った言葉に嘘はない。今もずっと、支えたいと思い続けている自分の意思を自覚した明影の心臓の鼓動が、一際大きくなる。


『しっかりぼくを護衛しろよ、明影。お前はぼくの忍者なんだからな』


 敬語を止め、名前で呼び合うようになって、少しずつ仲を深めていくと同時に信頼を寄せてくれるようになった環の笑顔が、心の中で輝いていた。

 一緒に遊んで、出掛けて、配信をして、その中で見た彼女の笑顔の一つ一つが、何よりも大切な宝物として輝き続けている。


『ごめん、明影……本当にごめん……』


 最後に話をした時、環は何度も謝罪の言葉を繰り返していた。

 彼女と交わした最後の会話がこんな悲しいものであっていいはずがない。今も泣いている環を、そのままにしておいていいはずがない。


 たとえそれがどれだけちっぽけな理由であろうとも、環に笑っていてほしいという心からの願いはきっと立ち上がる理由になるはずだ。

 どれだけ傷付いたとしても、叩かれたとしても、自分の心に灯るこの炎を消すことなんて、誰にもできない。


「……ありがとうございます、源田さん。自分がどうすべきか、ようやくわかったような気がします」


 界人へと感謝の気持ちを伝えながら、座っていたベンチから立ち上がる明影。

 迷いを消し去った彼の横顔を見た界人は頬笑みを浮かべると、敬礼の姿勢を取りながら口を開く。


「お礼を言われるようなことはしておりません。自分は警察官、迷う市民の手助けをすることが仕事でありますので!」


 おどけたようにそう言った彼に会釈をしてから、明影は走り出す。

 すべきこと、自分のやりたいこと、その全ての答えを見つけ出した彼の背中を見つめる界人は、優しい笑みを浮かべながら一人呟いた。


「頑張れよ、若者……! さ~て、俺も帰って推しの配信でも見るとするか! お~、寒っ!」






「……突然連絡してすいません。でも、どうしてもお願いしたいことがあって――」


 帰宅し、スマートフォンを手に取った明影は、とある人物に連絡を取っていた。

 無事に通話に出てくれたその人物へと、彼は力強い声で言う。


「茶緑ガラシャを、明智環を助けるために……どうか、僕に力を貸してください。あなたの協力が必要なんです」


 深夜、誰にも知られない場所で動き出した、姫の救出計画。

 忍者の戦いが、今、この瞬間から幕を開けようとしていた。

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