夜の街で出会った人
――夜の街を、明影は歩いていた。
その足取りはまるでゾンビのようで、表情からもまた生気を感じられない土気色の顔をしている。
茶緑ガラシャの、環の炎上からおよそ一週間の時間が過ぎたが、まだその炎が治まる気配はない。
むしろ新たな燃料の投下……二度目のコラボ開催の報告を受けたことによって、ファンたちの不満の声は高まり続けていた。
悪いイメージを払拭したいという気持ちは理解できる、今度こそちゃんとしたコラボ配信をしてくれと応援している者もいる。
だが、そんな声を上げる人々より、こんなコラボなんて自分たちは望んでいないというファンたちの声が大半だった。
もう一つ、炎上が過熱している原因として、【ぷりんすっ!】側の対応の悪さも挙げられるだろう。
放送事故を引き起こしてしまった元凶であるワタルはここまで沈黙を貫いており、公の場では一切の謝罪をしないまま一週間もの期間を過ごしている。
それだけならばまだしも、自身の熱心なファンだけが集まる場で責任を転嫁した言い訳を述べていたとの情報もあり、その態度がまたファンたちの不興を買っていた。
しかし、明影をここまで追い込んでいる要因は他にある。
この一週間、彼は環と一切の連絡が取れていない。
炎上に気が付いたその日には何度も連絡を取ろうとしたものの、それに対して彼女からの反応はなく、斧田からの指示を受けてからは環の無反応さに段々と心が苦しくなり、メッセージを送る頻度も減っていった。
そんな中で発表されたVSP、【ぷりんすっ!】の二度目のコラボ配信の告知を見た時、明影は全てが斧田の言った通りに進んでいることを悟り、言いようのない無力感に襲われる。
結局、自分は何もできなかった。環を励ますこともフォローすることもできていないどころか、彼女と話をすることすらできていない。
嵐魔琥太郎として、彼女を守る忍者としてのRPは所詮RPに過ぎなかったのだと……こんなにも簡単に崩れ去ってしまった環との関係に思いを馳せれば馳せるほど、心臓が握り潰されるような苦しみを覚えてしまう。
暗い部屋にいたくなくて、気が付いた時には家を飛び出していて、街の喧騒を耳にしながらあてもなく彷徨っていた。
自分が何をしたいのか、どうしたいのかすらもわからないまま夜の街を行く今の明影は、仕えるべき主君を喪った浪人のようにも見える。
「やったな明影、しっかり斧田社長の言いつけを守ってるじゃないか。流石だよ、本当に……!」
自嘲気味に、自分への皮肉を呟いてからニイッと口を歪める。
楽しさも幸福も一切感じられない、笑顔といってもいいのかわからない笑みを浮かべた彼は、顔を伏せたままただ足を進め続けていた。
言われたことだけは完璧にこなせる男。それ以外のことは何もできない男。
今ほどその呼び名が相応しく、そして苦しく思ったことはない。
環のために何かしたいと思っても、何をすればいいのかがわからない。
直接VSPの事務所に乗り込んで彼女に会って話を聞きに行こうかとも思ったが、無言を貫く環の反応を思うとどうしても踏み出すことができなかった。
物心ついて初めてかもしれない、ここまで言われたことに従いたくないと思ったのは。
だが、現実は皮肉なまでにその意志とは関係なく明影に斧田からの命令を守らせ、騒動から段々と彼をフェードアウトさせている。
嵐魔衆と一部の抹茶兵からは、慰めと励ましの言葉が送られていた。
もうガラシャのことは忘れろと、数字に心を囚われてお前を捨てた女なんてこっちから願い下げだと言ってやれと、彼らはそう言っている。
だけど、そんなのは無理だ。少しずつ距離を縮め、お互いのことを理解し合って、二人三脚で一歩ずつ歩み続けた日々を思うと、どうしたってそんな気持ちにはなれない。
環と出会ってから、まだ一か月程度の時間しか経っていないが……それでも明影にとって、彼女は様々な意味で大きな存在になっていた。
自分を日の当たる場所に連れ出してくれた人。
振り回し、玩具として扱いながらも、多大なる信頼を寄せてくれた人。
Vtuberとしてだけでなく、一人の人間として仲を深めようと思って、手を伸ばしてくれた人。
笑っていてほしかった。楽しく毎日を過ごしていてほしかった。できることならば彼女の隣で、一歩一歩の歩みを大切に踏みしめながら一緒に進み続けていたかった。
でも、もうその願いは叶わないのだと……そう思って諦めようと思えば思うほど、本当の自分がそれを拒否しようと心の中で暴れ回る。
でも、どうすればいい? 会話すらできないというのに、環のために何ができる?
なんの力もない、事務所からも接触を禁止されている自分が、どうやってこの状況を打破できるというのだろうか?
その答えを見つけられないまま、自分がどうすればいいのかもわからないまま、ただ生きる屍のように暗い闇の中を歩き続ける。
暗闇の中で迷子になっているこの状況はどこまでも自分にぴったりだなと、明影が心の中で自嘲したその瞬間、背後から声が響いた。
「君、ちょっといいかい?」
「はい……?」
明らかに自分のことを呼び止めている男性の声に、緩慢な動きで振り返る明影。
そこに立っていた大柄な男性の姿を目にした彼が視線を上に向ければ、その男性は懐から黒い手帳のようなものを取り出してそれを見せつけながら口を開いた。
「ごめんよ。俺はこういう者なんだが、こんな時間に一人で何をしているんだい? 差し支えなければ、身分を証明できるものを見せてもらってもいいかな?」
「ああ……警察の方、ですか。職務質問、ご苦労様です」
ははっ、と小さく笑った明影が財布を取り出し、その中に入れておいたマイナンバーカードを警官へと差し出す。
制服を着ていない彼は明影の手から丁寧にカードを受け取ると、それを確認し始める。
「協力、ありがとうございます。風祭明影くん……だね? 顔色が悪いけど、体調が優れないのかい?」
「いえ、違うんです。僕は、僕は……」
死んだ目をしたままゾンビのように夜の街を歩く自分の姿を見れば、誰だって不審に思うだろうと自分の状況を冷静に判断しながら、警官の質問に答えようとする明影であったが……その口から、上手く言葉が出てくることはなかった。
迷いを抱えたまま、自分がどうすればいいのかもわからないまま、俯きがちに地面を見つめるその姿に何かを感じ取った警官は、明影にカードを返しながらその屈強な風貌からは想像もできないような優しい声で言う。
「どうやら、何か訳ありみたいだね。君さえ良ければ、少し俺と話をしないかい?」
「……すいません、ありがとうございます」
普段ならば断わるところだろうが、今の明影は誰かに心の内の感情を吐露したかったのだろう。
警官からの申し出に対して、こくりと頷きながらその気遣いに甘えてみせた。
「よし! ……じゃあ、そこのベンチで待っててくれ。自販機で何か飲み物でも買ってくるから」
「……ありがとうございます」
「いいよ、気にしないで。市民の悩みを解決するのがお巡りさんの役目だからね」
そう言いながら、どこか茶目っ気のある笑みを浮かべて近くの自動販売機へと駆け出した警官がはたとその足を止める。
振り返った彼は明影に向き直ると、よく通る声で自己紹介をしてきた。
「ごめん、自己紹介が遅くなった! 俺の名前は源田界人、どこにでもいる普通の警察官だ。まあ、人生経験だけはそこそこ積んでるから、何でも相談してくれ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます