彼を、悲しませてしまった

「……ごめん。次のコラボ、できなくなった」


「えっ……!?」


 その日の夜、明影に連絡を取った環は彼に目前にまで迫った姫と忍者のコラボ配信の中止を言い渡しながら、ぐっと拳を握り締めていた。

 通話に出た時の明影の楽しそうな声や、自分とのコラボに備えて色々な企画を練っていることの報告を聞いていた時も胸が締め付けられるような痛みを覚えていたが、今はその比ではない苦しみを感じている。


「ど、どうして? 何か理由があるの?」


「……別の事務所とコラボすることになったんだ。【ぷりんすっ!】っていう有名な事務所。真澄ちゃんがどうしてもって聞かなくて、それで――!」


 思わず自分のせいではなく、事務所の決定であることを前面に出して言い訳をする環であったが、どう言い繕っても自分が明影を捨てて人気Vtuberとのコラボを選んだ事実に変わりはない。

 そのことを申し訳なく思いながら、耐え難い苦しみを覚えながら、必死に弁明し続ける彼女へと、込み上げる苦しさを押し殺した声で明影が言う。


「仕方ないよ。事務所の指示ならそうするしかないし……【ぷりんすっ!】さんなんてかなり注目されてる事務所に誘われるだなんて、本当にすごいことだよ! そっちを優先するのも当然だって」


「明影……」


 一切の迷いもなしにそう言ってくれているわけではない。裏切られた、捨てられたという思いが明影の胸には存在しているはずだ。

 しかし、それを感じさせないように一生懸命に抑えながら自分の背を押して【ぷりんすっ!】とのコラボへと向かうよう促してくれる彼の言葉に、環は更に胸を締め付けられるような痛みを覚える。


 それでも……事務所がそう決めて、自分も従うと言った以上、今さらなかったことにはできないと自分に言い聞かせた環は、その苦しみを押し殺した声で明影へと言った。


「本当にごめん。コラボが終わったら、すぐに予定を組みなおそう。それで、改めて一か月記念の配信をしようよ」


「そうだね。じゃあ、もらった時間でもっと面白い企画を考えておくよ! 次は環が僕の言うことを聞く番なんだから、逃げないでよね?」


「うぉう! ぶぉくが逃げたり隠れたりするとでも思ってんのか~? 明影が思い付く程度のことなんてパパっとクリアして、逆に退屈させてやんよ~! せいぜいぼくや抹茶兵を飽きさせない面白い企画を考えておくんだな!」


 こうして明影と話していると、暗く沈んでいた胸の内が少しだけ軽くなる。

 ただ、逆に胸を内側から突き刺すようなチクチクとした痛みは強まっていって、どうしたって彼への罪悪感が消えないでいた。


「……ごめん。本当にごめんね」


「何度も謝らないでよ。僕は大丈夫だから。僕も事務所に所属してるタレントなんだから、上の方針には逆らえないってのはわかってる。環が気にする必要なんてないからさ。心配しないで」


「うん……」


 謝っても彼を困らせるだけだなんてことはわかっている。それでも、少しでも気を抜くと謝罪の言葉が口から飛び出してしまう。

 本当はあなたと一緒にコラボして、遊びたかったなんて言ったとしても、よくもまあぬけぬけとそんなことを口にできるなと思われてしまうだろう。

 どんなに言い訳を重ねたとしても自分が明影を裏切って、数字を選んだという事実は消えないのだから。


「暫くはコラボの準備で忙しくするでしょう? 急に決まったわけだし、大変だろうからもう切るよ。色々落ち着いたらまた連絡してね」


「あ、うん……わかった……」


 気を遣わせていることはわかっていた。自分のために彼がそう言ってくれていることも理解していた。

 それでも……環の胸にあるのは一抹の不安と、会話が終わってしまうことへの寂しさだ。


 嫌われてしまったのではないか。自分を裏切った女の声なんて、二度と聞きたくないとでも思われているのではないだろうか。

 そんな不安が胸をよぎり、それでも何も言えずにいる環の心がぐちゃりと乱れる。


 真っ新なキャンパスに汚泥のような負の感情が広がっていくような感覚に襲われながらも、今の自分にはその不安を明影に吐露する資格などないと自身に言い聞かせた環は、息を深く吸うと彼へと別れの挨拶を口にした。


「ちょっとだけ待っててね、明影。必ず、また連絡するから」


「うん、待ってるよ。それじゃあ……コラボ、頑張って」


 短い会話を最後に通話を切った後、環は自室のベッドへと寝転がって天井を見上げた。

 深く息を吐き、スマートフォンを握り締めながら、チクチクと痛む胸に手を置いた彼女はぽつりと何度も繰り返した謝罪の言葉を呟く。


「ごめん、明影……本当にごめん……」


 最低だ、最悪だ。命の恩人に感謝していると言いながら、その恩を返すと言いながら、大事なところで彼を裏切ってしまった。

 真澄はコラボを成功させて大勢のファンを獲得した上で姫と忍者のコラボをやれば明影も喜ぶと言っていたが、本当にそうだろうか?


 正しいことを、やりたいことをやっている気がしない。

 でも、もう決めたのだからこの道を進むしかないのだ。


 こうして迷ったままコラボに臨むのは、明影にも【ぷりんすっ!】の二人にも事務所の仲間たちにも失礼だ。

 仕事としてやると決めたのだから、全力でそれに取り組むというのが社会人の責務というやつなのだろう。

 自由気ままに生きてきた自分には全く馴染みがないことだが……真澄のため、事務所のために頑張らなくては。


 そう思いながら、決意を新たにしながら、【ぷりんすっ!】とのコラボに向けて環は気持ちを切り替えていく。

 だが、しかし――

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