琥太郎を、裏切ってしまった
「……どうかしましたか、明智さん?」
試すように、品定めするように、どこか含みのある笑いを浮かべながら驚く環を見つめる航。
彼へと目を向け、再び書類へと視線を落とした環は、何度もまばたきをしてはとある一文を確認する。
それは何の変哲もない、コラボの開催予定日の文章。普段ならばそこまで気にすることもない、日程に関する部分。
だが、この時ばかりはこの文を無視することができなかった。
【ぷりんすっ!】側が指定してきたこの日は……姫と忍者結成一か月記念コラボ配信の日だったからだ。
「あの、私、この日は大事なコラボの予定が入ってて、その……」
「あれ? 一人称、ぼくじゃないんだ? やっぱ配信用にキャラ作ってたんだね~!」
当然、環はそのことを相手側に伝えたのだが、真剣な彼女に対して桃李はその話し方に注目した軽い反応しか見せないでいる。
そんなことはどうだっていいだろうと内心でムッとした環に代わって、春香が再度日程について【ぷりんすっ!】側に意見を申し立てた。
「たまちゃんが言うように、この日は本当に大事なコラボがあるんです。どうにか日付をずらすか、そこも交えた三事務所のコラボに変更できませんか?」
「う~ん、そう言われても……俺たちも本当に忙しくて、この日しか予定が空けられないんですよ。それに、VSPさんとのサシコラボのために練ってきた企画を今さら変更するってのもなあ……」
「お願いします! そこをなんとか!」
深々と頭を下げ、なんとか日付を変更できないか頼む環。
春香も共に頭を下げて頼み込むが、航の反応は実に淡白なものであった。
「ああ、そうですか。じゃあ、今回はご縁がなかったってことでこの話はなしにしましょう。行くぞ、桃李」
「はい、一之森さん」
「あっ!? あっ、あっ! ちょっ!? 一之森さん!? 二藤さん!?」
冷ややかに、一切の検討をすることもなく、日程が合わないならコラボの話はなしだと言い捨てて事務所を去ろうとする航と桃李。
そんな彼らの反応に慌てた真澄は彼らの前に立ちはだかると、必死の形相でこう述べる。
「わかりました! 大丈夫です! こちらは、【ぷりんすっ!】の皆さんとのコラボを優先してスケジュールを組ませていただきます!」
「えっ……!? ま、真澄ちゃん!?」
自分の話も聞かず、一方的にそう決めてしまった真澄の言葉に愕然とする環。
なんとか彼女に反論しようとするも、それよりも早くに腕を取った真澄に引っ張られ、ひそひそ話で逆に説得されてしまう。
「たまちゃん、これはチャンスなのよ!? 向こうは滅多に絡むことなんてできない有名事務所! ここでコラボすれば名前も売れるし、後々企画に呼んでもらえる動線ができる! こんな好機を逃すわけにはいかないでしょ!?」
「でも、でも……明影や嵐魔衆のみんなが、ぼくとのコラボを期待して……」
「別にその日にやらなくったっていいじゃない! コラボは延期してもらって、また別の日にやればいい。そうでしょう?」
確かに真澄の言っていることは一理あった。
大勢のファンを抱え、界隈の人気タレントとも交流が深い【ぷりんすっ!】がコラボを持ち掛けてくれるだなんて、VSPからしてみれば奇跡に近い。
このチャンスをものにできれば琥太郎と絡んだ時なんて目じゃないくらいのバズりが期待できるし、そうなれば仕事だって増えるだろう。
だが、環はそれでも明影を捨てて彼らとコラボする気にはなれなかった。
次回のコラボは姫と忍者が結成されてから一か月の記念コラボ。前回のオフコラボだけでなくこれまでずっと自分の我がままを聞いてくれた明影の恩に報いるためのコラボでもある。
今もきっと、明影は次のコラボの企画を一生懸命に考えているはずだ。
抹茶兵も嵐魔衆も記念コラボを楽しみにしてくれている。
ここで自分が【ぷりんすっ!】とのコラボを優先することは、そんな彼らへの裏切りに他ならない。
そんなこと絶対にできないと、事務所の代表である真澄の意見に反発しようとする環であったが――
「お願い、たまちゃん……! これはもう二度とないチャンスなの。たまちゃんがこのコラボに乗り気になれないこともわかるけど、今後のVSPのことを思って、今だけは私の頼みを聞いて……!」
「………」
真澄に強く手を握られ、必死に懇願されると、どうにも強く言い返せなくなってしまう。
本当に……彼女の言い分は理解できて、これがチャンスだということもわかっていて、ものにできればとんでもない伸びが期待できるコラボだということを環自身も理解しているからこそ、真澄の頼みを拒絶できないでいた。
「明影くんなら話せばわかってくれる、融通を利かせてくれる……でしょう? こんなことの一回で簡単に壊れるような関係じゃあないってことは、他でもないたまちゃんが理解してるはずじゃない」
そして、それもまた事実だった。
明影ならば、事情を話せば理解を示してくれる。間違いなく、【ぷりんすっ!】とのコラボに参加した方がいいと言ってくれる。
ただ、それで彼が傷付かないというわけではない。
環やVSPのメンバーのためにはそちらを選んだ方がいいと考えて、裏切られたという気持ちを必死に押し殺して納得しようとしてくれるだけだ。
わかっていた、この行動が裏切りにあたることは。十分に理解していた、これが明影への不義理になることも。
それでも……真澄からの必死の懇願と、事務所のメンバー全員の今後のことを考えた時、環は【ぷりんすっ!】とのコラボを蹴ることはできなかった。
「わかったよ……ぼく、こっちのコラボに参加する……それでいいんでしょう?」
「たまちゃん! ありがとう……! 本当の本当に、ありがとう……!」
結局、環は要求を受け入れ、明影よりも【ぷりんすっ!】とのコラボを優先することを承諾してしまった。
そんな二人のやり取りを見た航と桃李は、先ほどまでの冷徹な雰囲気が嘘であるかのような柔和な笑みを浮かべると、彼女たちへと声をかける。
「話がまとまったみたいですね。では、改めてコラボの打ち合わせをしましょうか」
「悪いね、環ちゃん。今度、美味しいお店を紹介するから、それで勘弁してよ」
「……大丈夫です。気にしないでください」
胸の内にどよんと溜まる不快感。自分のことを助けてくれた恩人を裏切ってしまったことへの罪悪感を覚えた環は、激辛焼きそばなど目ではないほどのつらさを感じながら小さな声で応える。
嬉しそうに笑う真澄と、苦し気な表情を浮かべながらもどうにか気持ちを前向きにしようとする彼女に挟まれながら、春香はそんな環のことを心配そうに見つめ続けるのであった。
「……一之森さんも悪ですよね~。別にあの日以外にも予定なんて空いてたってのに、わざと向こうのコラボの日にぶつけてさ~!」
「ああ? 別にいいだろ? 俺が無理強いしたわけじゃあない。最終的にはあっちが俺たちとのコラボを優先するって言ったんだからよ」
「あはははは! 違いない! まあ、ああいう弱小事務所はちょっと数字と人脈をちらつかせれば尻尾振ってくれるから楽っすよね~! んで、向こうから何もかもを差し出してくれるんだから、笑いが止まらないっすよ!」
打ち合わせの帰り道、桃李が運転する車の中で彼と会話をする航は、本性を剥き出しにしたあくどい笑みを浮かべながらVSPの面々を嘲笑していた。
特に、自分たちの言いなりになっている真澄の腰の低さを嗤う彼らは、どこか愉快気に今回の獲物について語っていく。
「茶緑ガラシャ、明智環か……とんだ上物だったな。酒を飲ませらんないのが残念だけど、ちょっと転がせばこっちの言いなりになるタイプだよ」
「っすね! もう一人も悪くないっすけど、ちょっと歳がなあ……」
「別に老けてるわけじゃあないんだから上物に入るほうだろ。でもまあ、まずはガラシャちゃんからいただくとしようぜ。こたりょ~とかいう奴には悪いけど、あのお姫様はもう俺たちのものさ」
「あっはっ! 恨むなら力のない自分を恨めってことっすよね! まあ、いいんじゃないっすか? 忍者くんもこれで世の中の仕組みってものを理解するでしょ!」
ゲラゲラと笑いながら、下品な計画について語りながら、車を走らせる航と桃李。
一番美味しいところでガラシャをかすめ取った悪辣な男たちの笑い声は、トンネルの暗闇に吸い込まれて消え、誰の耳に届くこともない。
……ただ、薄暗いトンネルを走る彼らもまた、自分たちの未来がこの道のように光のないものになるということを、この時は知る由もなかった。
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