ぼくが全てを失ってしまうまでの話
新進気鋭の事務所がやって来た
「……失礼します」
「ああ、たまちゃん! 春香さん! 待ってたよ! ささ、こっちに来て!」
その日、環は春香と共に事務所の代表である真澄に呼び出され、社長室を訪れていた。
電話やメールで連絡するのではなく、呼び出しを受けるだなんて珍しいこともあるもんだなと思いながら室内に入った彼女は、真澄と向かい合ってソファーに座る二人組の男性の姿を目にして少しだけ驚く。
見覚えのない、そこそこ年がいっているように見えるその男性たちと視線を交わらせながら、促されるままに彼らの正面の席に春香と共に座った環へと、真澄がその男たちを紹介し始めた。
「急にごめんね。でも、すごくいいお話がきたからたまちゃんたちにも話を聞いてほしくってさ」
「あの、真澄ちゃん? この人たちは……?」
「ああ、ごめんごめん! 驚かないで聞いてね? この二人は、あの【ぷりんすっ!】の一之森さんと二藤さん! わざわざウチの事務所に足を運んでくれたんだよ!? びっくりじゃない!?」
「えっ? この人たちが、あの……?」
真澄から男たちの正体を聞かされた環が色んな意味での驚きを覚える。
そうした後で彼らへと視線を向ければ、二人組の男たちはどこか油断できない笑みを浮かべながら挨拶をしてきた。
「はじめまして、明智環さんに須天春香さん。【ぷりんすっ!】で代表を務めている
「あっ、はい。すごい人気ですよね。クラファンで事務所を立ち上げられるくらいにファンの皆さんからも支持されてるみたいですし、アングラな私たちとは月とスッポンって感じで……」
【ぷりんすっ!】とは、ワタルという名前でVtuber活動を行っていた一之森航が代表となって立ち上げた新規Vtuber事務所である。
登録者数三十万人という環たちからしてみれば雲の上の存在であるワタルがファンたちに出資を呼び掛け、クラウドファンディングで集めた資金を元に設立した会社は、元々彼と親交が深かったVtuberたちを招き入れたことでさらに人気を爆発させた。
そんなワタルは金髪の王子様然とした風貌をしているが……目の前にいる航はそれとは似ても似つかない容姿をしている。
ブサイクとまではいわないが、無理してイケメンぶっちゃってるな~……という正直な感想を抱きながら社交辞令じみた春香の言葉を聞いていた環は、続く真澄の話を耳にして彼女の方を向いた。
「でね! なんと一之森さんたちから、コラボのお誘いがあったのよ! 茶緑ガラシャと前松すあまと紅尾クレアの三人とコラボさせてくれないかって、申し出てくださったの!」
「えっ!? ほ、本当ですか!?」
「ええ。最近のVSPさん、特に今、甘原さんが名前を挙げてくださった三人の勢いは目を見張るものがあります。我々としても、その勢いにあやかりたいなと思いまして、こうしてコラボのお誘いに来たわけです」
「私たちが、コラボ? 登録者数三十万人の大手と……?」
それは環たちにとって、信じられない話だった。
琥太郎との絡みによって一気にバズったとはいえ、ガラシャのチャンネル登録者数はまだ五万人に達していないくらいである。
今、名前を挙げられた三名の登録者数を合計したとしてもワタル一人に勝てないくらいで、そんな弱小事務所に所属している自分たちが注目株である【ぷりんすっ!】たちの目に留まること自体が驚くべきことなのだ。
その上で、そんな大手がコラボを持ち掛けてくれるだなんて、本当に驚愕以外の感情が出てこない。
衝撃の展開に環たちが言葉を失う中、航と桃李がこれまた驚きの好条件を真澄へと伝えていった。
「それでなんですけど、VSPさんとコラボするにあたって、料金とか必要ですか? 三人分だとおいくらになるんでしょうかね?」
「いえいえいえ、そんな! お金なんて頂けませんよ! むしろこっちが支払わなくちゃいけないんじゃないかって思ってたくらいですし!」
「そうですか、なんか悪いなあ……じゃあ、それ以外の部分で還元しますよ! 俺ら、Vtuberの仲間とか活動を手助けしてくれる人とかよく知ってますし、今後の第人数コラボでもVSPの皆さんを呼んで、沢山の人たちと引き合わせるって形での感謝の示し方もありですよね!?」
「ひえぇぇ……! そんなことまでしていただいちゃって、本当に申し訳ないというか、ありがたいというか……」
真澄が恐縮するのも当然だろう。なにせ相手は自分たちより遥かに格上の存在で、そんなタレントがこちらに気を遣ってくれているのだから。
願ってもない話のはずだ。ここで【ぷりんす!】とのコラボを行っておけば次の仕事にも繋がるだろうし、それは事務所が潤うことに繋がるのだから環たちにとって大きなメリットがある話のはずである。
だが、しかし……環はこの話にあまり乗り気になれなかった。
恐縮しているとか、緊張しているとか、そういう話ではない。単純に、目の前にいる男たちが信用できないからだ。
下手に出ているように見えるが、自分たちの存在を知っていて当然といった雰囲気の航たちの言動の節々には、隠しきれない傲慢さがにじみ出ている。
それに、自分を見つめる彼らの瞳には値踏みのような色が含まれているように感じられるし、ねっとりとした視線が自分や春香の顔や胸に注がれることを何度も感じている環は、二人に対して言いようのない嫌悪感を抱いていた。
「いいお話だよね!? たまちゃんも春香さんも、そう思うよね!?」
「あ、うん……」
「まあ、そうだね……」
ただ、降って湧いたこのチャンスが大きなものであることは環もわかっている。
事務所の代表である真澄が乗り気になっているし、自分と同じ気持ちである春香も愛想笑いを浮かべながら彼女に同意しているし、ここで個人的な印象を理由にコラボの話を断るわけにもいかないだろう。
上司と部下の間に結構な温度差があることを知ってか知らずか、あるいはそんなものなど最初から関係ないと思っているのかはわからないが、航は机の上に書類を置くとそれをVSP側の面々に差し出しながら話をしていく。
「良かった。では、コラボについてなんですが……既に企画は考えてあって、無難なゲーム配信をしようと思っています。勝手に内容と時間も決めてしまっているんですけど、問題がないか確認してもらってもいいですか?」
「はい! 拝見させていただきますね!」
三部分の書類を手に取り、それを環と春香に渡す真澄。
小心者で権力に弱い彼女にはこういうところがあるよな~と思いながら、書類の内容を確認すべく視線を落とした環は……一番上の行を見た瞬間、思わず声を出してしまった。
「えっ……!?」
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