第15話 真夏の蜃気楼

 彼の姿を見た時にこれは夢なんだとすぐに気づくことができた。


 快活で優しく、小学生の時、クラスみんなの人気者だった彼。

 彼の周りにはいつでも輪ができて、彼が笑えば花が咲くようだった。


 そして、僕はそんな花の輪に入ることができず、教室の隅でぼうっと椅子に座って毎日を過ごしていた。


 小学生時代の僕は軽く虐められていた。虐めといっても、無視とか仲間外れとか、その程度だけど。

 まだこの世界の常識だとかそういうものがよくわかっていなくて、なにかの拍子に幽霊が視えることを話してしまった。

 するとそれまで仲良くしていた友達も掌を返したかのように僕を無粋に扱って、クラスメイトからは幽霊が視えると話す不気味で痛い奴というレッテルを張られた。

 幽霊が視えるという力が人に受け入れてもらえるものではないと知った時、そうなんだ、と子供ながらにたくさんのことを諦めた。


「おにいちゃん!」

 無邪気に懐いてくれる大好きな沙羅。

「どうした?」

「おかあさんがおかしかってきていいって! おかいものいこっ」

「よーし、いくか」


 そう言って頭を撫でてあげると、沙羅は満面の笑みで喜んでくれた。

 ああ、これも夢なのか、と。

 僕の意思を介さずに時間が進んでいく。

 もしも手が自由に動くなら、心いくまで沙羅を抱きしめてあげたいのに。


 麦わら帽子を被せた沙羅を連れて外に出る。

 蝉の鳴き声がうるさくって、太陽の暑さがアスファルトに反射してじりじりと足を焦がしていた。

 

「らーららーんらー」

 どこかで聞いたようなメロディを歌いながら、幼い妹が道路の白線を踏んで歩いていた。

「おにーちゃんもおちちゃだめだよっ」

「うん、落ちないようにしてるよ」


 白線から落ちたらマグマに飲み込まれてしまう。

 そんなありふれた子供の遊び。

 ただ、その行く先にそれは居た。


 目が繰りぬかれて腹に大穴を開けた死者の霊。

 それを視て、僕は膝から崩れ落ちた。

 息苦しくて喉からひゅうひゅうと音が鳴る。


「あっ、おにーちゃん!」


 駆け寄って心配してくれる沙羅の足は、白線からはみ出してしまっていた。

 この頃の僕はまだ幽霊に慣れていなかった。

 いやもしかしたら、幽霊が視えることを話したせいで始まった虐めが関連して、幽霊に対して一番苦手意識があった頃かもしれない。

 だから、視るだけで体の言うことは効かなくなって、息がろくに吸えなくなる。


「おにーちゃん、だいじょうぶだよ、ね」


 二歳年下の妹が母親の真似をして僕を慰める。

 そんな時、いつも僕は申し訳ない気持ちになってしまって、情けなくなってしまって、惨めになる。

 ただ、この体の異変は恐怖だけが原因じゃなかった。

 当時の僕は幽霊から放たれる怨念めいた物を機敏に感じ取ってしまっていた。

 幽霊が考えていることがわかるわけじゃない。

 ただ、苦しい、苦しいと言うばかりだ。

 そしてその苦痛が心に無理やり流し込まれる。

 死者の感情を強制的に共感させられる。


「いたいのいたいのーとんでけー」


 必死に沙羅が僕の苦しみを和らげようとしてくれていた。

 いつもなら一分も経たず楽になっていくんだけど、その時は違った。

 それだけ怨念の苦痛が大きかったのか、理由は知らないけど、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと恐くなるほど、いつまで経っても息が吸えなかった。

 夏の暑さも相まって意識がアイスみたいに溶けていく。


「おにいぢゃん!」


 その時間が長すぎて沙羅が泣き始めてしまった。

 情けないお兄ちゃんでごめんな、なんて思っていた。


「おいっ、大丈夫か!」


 なにか声が聞こえたけど、返事をする余裕はなかった。


「影があるとこまでいくか」


 ふっと体が浮いておぶられる。

 僕の体と大差ない少年だと気づいたけど、声を出すことはできなかった。


 幽霊から離れるにつれて体調は良くなり、近くの公園のベンチまで彼は運んでくれた。

 木の葉っぱで作られた自然の影のお陰で、幾分涼しさを感じることができる。


「おにいちゃんだいじょぶ……?」

「ああ、ごめんな」


 ぐすぐすと泣いている沙羅を慰める。


「あれ? そういえば天堂てんどうか?」


 苗字を呼ばれて少年の顔を確認してみると、クラスで人気者の彼だった。

「あ……〇〇」

 僕も彼の苗字を呼んだ。

 けれどこの夢の中でその名前は聞き取ってはいけない単語のように、砂嵐のノイズが流れて音は消えた。


「おにいちゃんのともだち?」

 友達じゃないけど、そう答えると沙羅が悲しんでしまうような気がして、かといってクラスの人気者に嘘をついたらあとが恐くって、なんて言ったらいいかわからないでいた。


「そう! 天堂と俺は友達だ!」


 そんな僕の不安はどこ吹く風に、〇〇はヒーロー戦隊みたいにポーズを決めて答えた。


「そうなんだ!」


 今にして思えば沙羅はとても喜んでいた気がする。

 友達いなさそうだと子供ながらに心配させてしまっていたんだとしたら恥ずかしい。


「暑いから少し水飲んでおいで!」

「はーいっ」


 沙羅は安心したのか、〇〇に言われて水飲み場に駆けていく。


「……なんで」

 友達なんて嘘ついたのって、言葉は続かなかったけど。


「あんなちっちゃい子、笑ってるのが一番だろ!」


 そう言われて、僕は笑ってしまった。


「歳そんな変わらないよ」

「でも俺はお兄さんだからな!」


 彼の優しさに裏表はなくて、人気者には人気な理由があるんだな、って思ったっけな。


 その日は三人でそのまま遊んだ。

 コンビニでアイスを買って三人で食べた。

 僕だけ当たりが出て沙羅が欲しがってたから当たり棒を上げると、六個入りのアイスに交換してきて、みんなで食べようって三人で食べた。

 真夏の暑さはそのままなはずなのに、不思議とずっと笑っていられた。


 学校が始まっても〇〇は声をかけてくれた。

 最初はクラスメイトが戸惑っていたけど、気づけば僕も人気者が作る輪の中に入っていた。


 すぐに夏休みになって、〇〇も含めた数人で海に行った。

 僕は運動音痴ですぐにへばったけど、砂遊びをしていたらその内に〇〇も加わって、みんなで砂の城を作った。

 沙羅も〇〇を気に入ってたからまた三人で遊んだ時もあった。


 沙羅を連れて夏祭りに行った。

 地元で開かれる祭りだから花火大会等はないけど、たくさんの出店が並んでいて、どこか心が躍っている自分もいた。


「おにーちゃん! あれたべたいっ」


 沙羅の指さす先には綿菓子があって、限られた駄賃の中で食べたいものに選ばれたらしい。

 くるくると回した棒に砂糖が雲みたいにくっついていく様を、沙羅が目を輝かせて喜んでいた。


「ようっ、天堂も来たのか」

「あ、〇〇」


 〇〇も夏祭りに来ていたようだったけど、当たり前のように周りにはクラスメイトが複数人いて、相変わらず人気者をしていたようだった。


「うん、沙羅とね」

「こんにちわー」

「こんばんわだろ、沙羅」

「えへへ、こんばんわー」

「こんばんわ、沙羅ちゃん」


 〇〇のことを嫌いになる奴なんていないんじゃないか、と思う。

 きっとこういう、誰にでも好かれるような奴っていうのは実際にいて、例に漏れず僕も〇〇を好きだった。


 だけど、今日は特にどこかで話せるタイミングがなさそうだったから、夏休みが終わりがけなこともあって、

「また学校で遊ぼ」

 と笑いかけた。


 すると〇〇は困ったように俯いて答えを濁した。


「どうしたの?」

「いやー、ははっ、そうだな。また二学期なー」


 快活に手を振って〇〇は夏祭りの人込みに溶け込んでいった。

 終わりかけの夏が運ぶ夜風はどこか涼しくて、肌にべたつかなくて心地よかった。



   ☆★☆★☆



 夏休みも終わって始業式。

 教室に行って鞄を置いて、体育館へ向かう。

 どこか違和感があるんだけど、その理由にピンとこないまま、校長先生の長ったらしい話を聞き終えて、教室に戻った。


 いつも通り、わいわいガヤガヤと教室はうるさい。

 でもなんだかおかしくて、周りを見渡してふと気づいた。

 僕は隣の席の男子に声をかけた。


「あれ、〇〇って今日休み?」


 すると男子は露骨に眉をひそめてこう言った。


「なんだよお前、喋りかけんなよ気持ち悪い」


 頭の中ではてなが立ち並んだ。

 そりゃ元々嫌われていたけど、夏休み前は〇〇のお陰もあってたまに話す仲ぐらいにはなっていた。

 なんなら海に行った時、その男子も一緒に遊んだほどだ。


「……ごめん」


 その男子の横暴さに怒りが沸くことはなくて、ただ〇〇がいない違和感が残り続けた。


 チャイムが鳴ってクラスの担任が教室に入ってくる。

 出席点呼が始まって、名前を呼ばれた人がはいと返事をしていく。

 そしてとうとう〇〇の名前は呼ばれなかった。


「よーし、全員いるなー」

「あ、あの!」


 突然席を立ちあがった僕にクラス中の視線が集まった。


「どうした天堂」

「あの、〇〇は……?」

「んん? なんだ、それ?」

「いや、〇〇ですよ。呼ばなかったですよね?」

「なにいってんだ天堂。〇〇なんていないぞー。夏休みでボケてるのか?」


 がははっ、と豪快に笑う。

 クラスメイトを見渡すと、クスクスと笑っていたり、汚物を見るような目で僕を見る人達がいた。


 また言いだしたよあいつ。

 幽霊とかほんと好きだよな。

 気持ち悪い。


 そんな声がちらほらと。


「あ、いや、なんでも、ないです」


 正直、クラスメイトに悪口を言われることや、嘲笑われることはどうでもよかった。

 そんなことはどうでもいい。


 どうしたんだよみんな。

 〇〇のこと忘れたのかよ。

 いや、忘れるわけがないだろ?

 クラスの中心にいた奴なんだぞ?


 頭の中で思考がぐるぐると回り続けて、次第に景色が歪み始める。

 クラスメイトの笑い声も、悪口も、フィルターを介さずに耳に届いて、一緒になってぐるぐると回る。

 〇〇の声が聞こえない。

 〇〇の笑い声も聞こえない。


 ふとチャイムの音が鳴ったかと思えば、時間は過ぎて放課後だった。

 教室には誰もいなくなっていて、ぽつんと僕だけが取り残されていた。


 〇〇が座っていた席を見る。

 机に座って快活に笑って、クラスを盛り上げる〇〇の幻影が浮かぶようだった。

 だけど、それは幻に過ぎなくて、影にすらなっていなくて、どれだけ見ようとしても、視ようとしても、〇〇の姿はその後二度と現れることはなくて、この世界から〇〇の存在そのものが嘘だったかのように消えていた。


 それは、僕の初めてできた友達の夢だ。



   ☆★☆★☆



 目を覚ますと自分の部屋のベッドの上で、当然、夏じゃなくて冬だった。

 ずっと彼の夢は見ていなかったのに、今になって見たのはエンダのせいだろう。

 友達ができたのなんて、あれ以来だから。


「で、なんでお前が僕の部屋にいるんだよ」

「うん? ふふっ、暇で暇で仕方ない君のために私が遊びに来てさしあげたんだよ」


 何様だこいつは、と寝起きの頭で言う気にもなれなかった。

 エンダはベッドに腕を組んで僕のことを眺めていたようだった。

 寝起き開幕エンダの顔というのは心臓に悪いと思う。

 整いすぎた美は恐怖すら感じるものだから。


「それより、君の泣き顔というのはそそるね」


 言われて頬を拭うと涙が零れていた。

 慌てて布団で顔を隠す。


「懐かしい夢を見てたんだよ」

「ああ、そうみたいだね」

「……お前もしかして夢を覗いたのか?」

「君が泣くほどの夢ってなんだろうと思ってね。友達として心配したわけだよ。私は優しいだろう?」

「頼むからプライバシーを配慮してくれ……」


 僕の心を読むようなことをしなくなったらしいけど、やっぱりこいつは時折困らせてくれる。


「君は珍しい現象に出逢ったみたいだね」

「なにか知ってるのかよ」

「それが現象だということぐらいしかわからないけれどね」


 こいつの意味深ぶった喋り方はどうでもいい時は話を無視できて好都合なんだけど、そうじゃない時は面倒くさい。


「現象ってなんだよ」

「自然災害みたいなものさ。雨が降る、雪が降る、地震が起きる、台風が発生する。同じように現象が起こる。自然は誰にもどうにもできないだろう? それと同じさ」


 だから〇〇は皆に忘れられて、存在すら消えてしまったのか。


「なんで僕だけ忘れなかったんだろうな」

「そりゃ、君が中心に起こった現象だからだろうね」

「僕が中心に?」

「君は覚えているかい? 彼がいつからいたのか」

「……いや、知らない」

「そう、いつの間にかいたんだよ。正確には、君が知覚した時からいたんだよ。まぁ、現象において一つわかることは――なにかの望みがそれを発生させるそうだよ」

「……」


 じゃあ〇〇は僕の望みだったのか。

 言われてみれば当時の僕は幽霊に慣れていなくて、孤独であることにも慣れていなくて、世界から疎外されたような気になって、一番辛かった時期かもしれない。

 〇〇のお陰で友達だとか、学生生活とか、青春だとか、色々なものが一瞬でも叶えられたことは間違いない。

 その上、〇〇がいなくなったことで僕は自分の方から幽霊やクラスメイトを線引きして、一人でいることが恐くなくなった。

 許せなかったんだ。

 〇〇を忘れるみんなが。


 もちろん、沙羅も忘れてしまってはいたけど、それでも沙羅だけは僕を頼りにしてくれて、より僕は妹を大切にするようになった。


「そっか」

「そう。きっと君が涙を流す価値があるものなのさ」


 ふふっ、とわかったような気になって笑うエンダの声も、いつもなら煩わしくて鬱陶しいんだけど、この時ばかりは少しだけ救われた気がした。

 それは多分、〇〇のことを知っている人が、世界で僕だけじゃなくなったことも嬉しかったんだろう。

 僕の初めての、大切な友達のことだから。


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死人に口あり~三年ぶりに目を覚ました妹が別人だった件~ 神戸拾樹 @hiroware

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