第5話 彼、或いは彼女は悪戯に踊る


 昼休みを告げるチャイムが鳴る。

 僕はその群衆に入り込むのが嫌だったから、早々に席を立って教室の隅っこへ向かった。

 それが功を奏して、僕の隣の席の睦月むつきエンダの周囲に、クラスメイトが群がった。


「今日は私が一緒にご飯食べるの!」

「おい! 俺ずっと待ってんだぞ! 順番回せ!」

「ちょっと! 睦月様の横は私だよ!」


 なんて、異様な光景を目の当たりにする。

 彼、或いは彼女、睦月エンダが転校してきて、その日はまだ話題の転校生ってぐらいの取り巻きだった。

 でもそれから数日して一変し、今ではクラスメイトが一人残らず詰め寄って、なんなら廊下にも数十人が一目睦月エンダを見ようと待機している。


 そんな異常な元凶が、

「みんなで仲良く食べよう」

 とにっこり微笑みかけて、はーいと小学生さながら全員が言うことを聞く。


 パンをもっそり食べながら思う。

 どう考えてもこれ、まずいよなぁ、って。

 コンビニで買った残り物のパンは、グリーンピースを余すことなくパンに詰め込んでいて、食欲の失せる見た目をしていた。



   ☆★☆★☆



「ちょっといいか」

 こんこん、と。

 妹の沙羅の体に憑りついたさやの部屋をノックして扉を開ける。


「どしたの」

「聞きたいことがあって」


 部屋の中に入って、最近の学校の様子を思い返すと自然とため息が漏れてしまう。


「私の学校の交友関係とか?」

「どうして僕がそれを気にするんだ」

「だってにーに、シスコンでしょ?」

「そりゃお前が沙羅の体で誰かと恋愛するのは許さんから、彼氏なんて作るなよ」

「ほらシスコンじゃーん」


 異論はない。

 胸を張ってシスコンと答えよう。


「じゃなくて、こいつのこと」


 と、壁に貼られたポスターを指す。

 この前ライブに行ったミスティックケロイド、そのボーカル。

 さやには睦月が転校してきたことを念のため話していない。


「エンド様?」

 エンダでエンド、ね。

「そう。この前のライブがどういう風だったかは話したよな」

「うん。なんか白いもや? を集めてたんだっけ」

「集めてたというか、集まっていたというか、まぁそう」

「だけど人間なんだよね、エンダ様」

「僕にわかるのは幽霊かそうじゃないかだけだけど、多分」


 最近は幽霊以外の関わりがぐっと増えた。

 化け物というか、怪異というか、妖怪というか。

 それらの違いなんてわからないし、よっぽどのことがなければ僕にもその判別はできない。


「さやはあいつにどんな感情を持ってたんだ? 僕はただ普通の人というか、なんならちょっと気持ちが悪いぐらいなんだが」

「んー、ちょっと恥ずかしいけど……神様、みたいな?」


 あのライブの様子を思い返せば納得のいく答えだ。


「私の全てを捧げたいとか、なんか、そんな気持ちになっちゃって」


 それだけ聞くとそこまでおかしくも感じられない。

 推しがいるツイッターなんかを見てると、そういう人たちが咆哮をあげているのをちらほら見かける。

 けど、問題なのは本当にそれをしようとしてしまっている点だろう。


「どうして?」

 首を傾げてぱちぱちとまばたきをするさやに、やはり脳裏では沙羅が浮かぶ。

 以前みたいに苦しくはならないけど、どこか悲しい。

 ふと、沙羅が目覚めたらさやはどうなるんだろうなんて思う。

 いやいや、なに馬鹿なこと考えてるんだ。

 沙羅が目覚めればそれでいいじゃないか。


「別に。なんとなくな」

「ふーん」

「ま、ありがとな」


 さやの部屋から出ようとすると、手を引いて止められた。


「ん?」

「いや、その……気をつけて、ね?」

「なにが」

「にーに、優しすぎるから……」


 言われて苦笑してしまう。


「僕が優しいのは沙羅にだけだよ」

 だからさやにも優しくしているだけだと、その言葉は飲み込んだ。

 言わなくても伝わってしまうかもしれないけど。

 いや、それに。

 僕自身、さやに優しくしているだなんて認めたくないんだろう。


 さやの手を振り切って外に出ようとした時、扉を閉める音に紛れてぽつりとさやの言葉が聞こえた。


「違うよ……にーには……」


 廊下の外で、んなわけあるか、と心の中で突っ込んでおいた。

 僕が助けを求める人に対して優しいだなんて、そんな善人面して生きようと思ったことがない。



   ☆★☆★☆



 翌日。

 学校は妙な静けさに包まれていた。

 いや、妙な静けさどころか、生徒の会話も、教師の挨拶も、部活の朝練の音も聞こえてこなくて、まるで学校だけがゴーストタウンになってしまったかのようだった。

 今日って休みだったか、と確認するもそんなことはない。


 悩んでいても仕方がないから、教室に行って、自分の席に座った。

 始業時間が間近だというのにやっぱり生徒は一人もいない。

 異世界にでも紛れ込んでしまったかのようだ。


 確認のためさやに『そっちなにかあったか?』と聞くと『普通だよ?』と返信が来た。

 連絡も繋がるし、どうやら僕の周りでだけ起こっている現象のようだと安心する。


 朝一のチャイムが鳴る。

 かといって先生は来ない。

 帰ろうかな、なんて考えていると、教室の扉が音を立てて開いた。


 入ってきたのは男なのか女なのか。

 そんなことがどうでもよくなるほど整った美貌を持つ、白髪の人間、睦月エンダだった。


 睦月は今の状況になんら困惑することなく、おはよう、と僕に言った。

「おはようって……お前だろ、これ」

「ははっ。二人で話せなかったからね」


 二人で話したいなら放課後とかなんとでもなるだろう、って言おうとして、止める。

 睦月はただ調子のいい言葉を吐いているだけで、目的は別にあるんだろうと察したから。


「思っていたより驚かないんだね」

「最近おかしなことが立て続けてたからな。慣れてきた」

「ははっ。それはそうだろうね」


 なんか見透かしたようなことを言うやつだ。

 ただ僕はパニックになっていないだけで、困り果てていた。

 睦月が何者なのかはさておいて、どうにもならない力を持っているようだから。

 少なくとも、幽霊が視えるだけの僕じゃなにもできない。


「だって君は世界に馴染んでいないから」

「前も言ってたけど、なんだよそれ」

「そのままの意味だよ。君は半分、この世界にいないみたいだ」


 どのままの意味なんだよ。

 頼むから誰か翻訳してほしい。


「それで、みんなはどうしたんだ?」

「心配なのかい?」

「全然」

「ふふっ、だろうね。今みんなは体育館にいるよ」

「ああそう」

「あと十分もすればみんな目覚めて、殺し合うんじゃないかな」

「……お前」

「なんだい?」

「面倒くさいな……どうすんだよ、学校。転校とかしなくちゃいけないのかな」


 それに僕以外の生徒や教師全てが死んだら、なんらかの疑いが僕に向くんじゃないか?

 

「あはっ、あははっ。君、どうにかしようとしないの?」

「なにもできないからな、僕には」

「わからないじゃないか。ほら、ヒーローは自分じゃなにもできなくたって、命をかけて頑張るだろう?」

「別にヒーローじゃないし。誰かに譲るよ、ヒーロー」

「あははははっ。君、やっぱりおかしいよ」


 と、楽しそうに睦月は笑う。

 全校生徒殺し合わせようとしている奴に言われたくない。

 そして、たっぷりと笑い終わったあとに、睦月は微笑んだ。


「じゃあ、妹さんともお別れだね」

「……は?」


 勢いよく立ち上がると椅子が後ろに倒れて音を立てた。


「沙羅も、いるのか?」

「なんだか近くに来てたからね。折角だから招待したんだ」


 なんであいつ。

 ……僕がLINEしたせいか。

 心配で学校まで来ちゃったのか?


「あの子もなんだか変わってるよね、君とは違うベクトルに」

「おいっ」


 睦月の胸ぐらを掴んで持ち上げる。

 にこにこと、ご満悦そうに笑うその顔をぶん殴ってやりたい。


「こんなことしている時間はあるのかな?」

「……くそっ」


 言われるがままなのは癪だったけど、実際その通りで、こいつの話が本当なら急いでさやを助けにいかなきゃいけない。

 どうすれば止まるのか、なんてことはわからない。

 だから、たださやを連れて逃げ出せばいい。



 体育館に入ると人の体温のせいか、冬だというのに温度が違った。

 全校生徒三百五十人に加えて教師、そしてどこかにいるさや。

 これだけの人がいるというのに、全員が全員、不動で直立していて、人形小屋に迷い込んだかのようだった。


「さや! さや!」


 叫んでみるも反応はない。

 あのライブの時と同じなら、おそらくさやの意思はもうないんだろう。

 人をかき分けてさやを探す。

 ブレザー指定のこの高校において、一人だけセーラー服を着たさやの姿はよく目立ち、なんとか見つけることができた。


「さや! おい! 起きろ!」


 目は開いているものの焦点はあっていない。

 どこかを虚ろに眺めているだけで、さやの意識はやはりないらしい。

 体育館を出るしかない。

 さやをおぶろうとした時、授業の開始を告げるチャイムが鳴った。

 そのチャイムの音は、やけに響いた。

 この世の終わりを告げる時は、ラッパが吹かれるという話を思い出すくらいには。





「アァァァァァアアアァアァァアアァア!」「キャアァァアアァアアァァアアァアア!」「アハハハハハハハハハハハハハハッ!」「ウオォォォォォオオオォオォオォオオ!」





 一斉に全校生徒が叫びだす。

 同時に、目の前で殴り合いが始まった。

 男も女も関係ない。

 目の前にある物体をただ全力で殴る、狂気のサバトが開かれたようだった。


「アアハハハハハハハハッハッハッハッハッ!」


 一番近くにいた男子生徒が白目で大口を開けて、壊れそうなほど口角を上げて涎を垂らしている。

 首が座っていなくて歩く度に揺れている。

 そいつはこっちに向かってきた。


 つい先日、大男に迫られた時を思い出す。

 あの時もこんな風に、暴力が間近に迫っていた。

 でも。


「今は守らなきゃいけないんだよ……っ」


 だから怯えて逃げる暇はない。

 かといって、常軌を逸した生徒たちに勝てる光景は微塵もない。

 だとすればできることなんて、さやをおぶって逃げる一択だ。


 迫ってくる生徒を体当たりで倒して、急いでさやをおぶる。

 するとぐっと後ろに引っ張られた。

 他の生徒がさやの襟を掴んでいて、さやが床に落ちる。


「お前っ!」


 自分でも驚くほどに、人を殴ることに躊躇いがなかった。

 ましてや相手は女子だった。

 今この状況において、男女の違いに意味はないけど。




 突然――怒号と狂乱に暴れる体育館が、しんっと静まり返った。

 まるで時が止まったかのように。

 けれど時は止まっていなくて。

 全校生徒の視線がこちらへ注がれているのを肌で感じた。


 ゆらり、ゆらりと。

 白目のゾンビが、意思を統一させて。


 成す術がないなんて当たり前のことで。

 覚醒する力なんてあるはずもなくて。


「やめろ!」


 叫んだところで声は届かない。

 気づけば、複数人の生徒に捕らえられて、体育館のステージの前まで連れていかれる。

 横には同じようにさやも連れられていた。

 まるで磔にされたキリストみたいに、十字を無理やり作らされて。


「いやぁ、恰好いいね。やっぱりヒーローじゃないか」


 ぱんっぱんっぱんっ、と拍手が鳴った。

 嬉しそうに、楽しそうに、邪悪にわらっている。

 いつからそこにいたのか、睦月エンダはステージ上で教師を椅子にして座っていた。

 いつの間にか全校生徒も、僕とさやを捕えている人以外は頭を下げてかしずいていた。


「君は面白いね。あまりにも極端だよ。人の心が在るようで無いし、無いようで在る。ただその妹さんのためだけに存在しているかのようだね」


 そんなもんじゃないだろうか、人間なんて。

 僕は僕の大切なものを守りたいだけだ。

 誰だって、今この瞬間にだって世界のどこかで人は死んでいるだろうけど、だからって幸せになるのは申し訳ないだなんて、そんな奴の方がおかしいだろう。


「だけど、極端なんだよ、君は。ふふっ」


 と、睦月のその言葉は、明らかに僕の心を読んで答えているようだった。


「普通はね。目の前で誰かが転べば手を差し伸べるのさ。困った人がいれば助けようとする人もいるし、死にかけの人がいたら救急車ぐらいは呼んだりする。けれど君は、きっと妹さん以外がそうであれば、そうしないだろうね」

「だからなんだよ」

「どうしてだろうね。ずっと死者を目にしているせいかな? そう。死者にはなにもしてあげられない。だけど間違いなく君の目には存在している。それはつまり、生者と変わらないことだから。死者も生者も分け隔てなく、なにもできないのかな?」

「だから! なんだよ!」

「ふふっ。面白い、面白いからね。まるで君は☆▽~◇のようだ」


 その睦月の言葉は一瞬聞き取れない単語のようで、かといって知らない英語を聞いたわけではなくて、世界がその単語を聞き取ることを許さないかのような、そんな強制力があった。


「おっと」

「なにが目的なんだ! お前は!」

「なにが……? ……なんだろうね?」


 僕を挑発するために言ったかと思えば、驚くことに、いや、ふざけたことに、睦月は本気で困っていた。

 あれこれと考えている様子に、不思議なことに怒りが冷えていく。

 いや、冷えていく、というか。

 睦月のことが少し理解できてしまって、呆れてしまう。


 挑発のためにそう言っているかと思えば、ふざけたことに睦月は本気で困っていた。

 あれこれと考えている様子に、不思議なことに怒りが冷えていく。

 いや、冷えていく、というか。

 睦月のことが少し理解できてしまって、呆れてしまう。


「あのな……お前、自分がなにしたいのかわかってるか?」

「そりゃ、君で遊びたい、んだよ」


 どこか不安そうに、思案しながら呟く睦月にため息が漏れる。


「だったら友達になりましょう、でいいだろ」

「ははっ、ともだち? 私が人間如きと?」

「そうだよ」

「そんな馬鹿みたいなこと言っちゃって」

「だったらなんだよこのやり方。お前がやってるの、小学生男子が好きな子に意地悪するのと変わらないぞ」


 それは睦月を揶揄するために言っただけのようなものだったけど、図星をついてしまっていたのか。

 言うと、余裕たっぷりに微笑んでいた睦月の口角が、ぴくぴくっと動いた。

 そして数秒固まっていたかと思えば、みるみるうちに頬が赤く染まっていく。

 睦月に同調しているのか、僕を捕えていた生徒の力が緩んだ。

 

「なんだよそれは。私が、私が人間如きに恋をするなんて、そんなわけがないだろう」

「知るかよ、だったら放っておいてくれ。それに、恋をしたかどうかまで言ってない」


 冷めた怒りは呆れに変わり、そしてその次は、ムカつく、だ。

 その気持ちがあらわになって、ずいずいと睦月に歩いていく。


「き、君が言ったんじゃないか、す、好きな子云々って」

 最後はごにょごにょっと口すぼむ。

 そんなことすら恥ずかしいのだろう。

 順番を間違えて育ったこの馬鹿は。


「あのな、お前が僕に持ったのは興味だ。こいつになにかしたら面白い、どんな行動をするだろうって興味なんだよ、わかるか?」


 こくこくっ、とひなのように小さく首を振る。

 超常的な力を持って、力を持て余して、きっと他人なんて自分を飾る人形程度にしか思えず、なにも知ることなく育ってきたんだろう。

 こいつが人であれ、人じゃないものであれ。

 そして、睦月は僕と違ってんだろう。


「だったら最初から友達になってください、でいいだろ」


 興味があるなら、近くにいたいなら、友達になればいい。

 自分の力でなんでも叶えることができたから、こんな簡単なことにも気づけない。

 いや、端的に言ってしまえば。

 子供なのだ、こいつは。

 そう思うと、中二病と揶揄したことは的を得ていたなぁ、なんて。


「と、ともだち……?」

「そうすれば別にこれからも一緒にいられるし、僕のことも知れるし。それともお前、僕を殺したいの?」

「い、嫌だ! 君が死んだら、つまらない……」

「じゃあいいだろ、友達で。安心しなよ。睦月がなにもしなくても、ここ最近の僕はやたらとトラブルに巻き込まれる」

「で、でも……」

「なんだよ」

「友達、なんて、恥ずかしい……」


 ぶちっ、と頭の中で線が切れたような気がした。

 気づけば睦月の脳天をげんこつで殴っていた。


「馬鹿か!」

「い、痛い……あは、あははっ」


 頭を抑えながら笑う睦月を見て少し心配になる。

 やりすぎただろうか。

 

「初めてだよ、殴られたなんて。あははっ」

「……はぁ。そうかよ」


 そこにいるのは先ほどまでの邪悪に物事を楽しんでいた様子なんて欠片もなく、無邪気に笑う、子供のような無垢な存在だった。

 こうして僕は、彼、或いは彼女――睦月エンダと友達になったのだった。



   ☆★☆★☆



 学校のことは睦月に処理させた。

 人を操る力があるみたいだし、どうとでもなるだろう、知らんけど。


 僕はさやを保健室のベッドで寝かせて目覚めるのを待っていた。

 一時間もしない内にさやは目を覚ましたけど、なぜ学校に来たのだとか、自分がどんな状況に置かれていたのかとかなにも知らないみたいで。


「にーに、おはよ」


 なんて。

 まるで朝起こされたばかりのように、平然と言うもんだから。

 心配してくれてありがとう、と言うかわりに、おはよう、と返した。


 体を起こすと、いたたっと後頭部を抑えていた。

 もみくちゃになった時に頭を打ったのだろう。


 はぁ。

 あとで睦月をもう一発殴っておこうと心に決めた。



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