第4話 彼、或いは彼女は終わりを歌う


「ねえねえ知ってる?」

「なになに~」

「今度隣町のイベントホールでミスケロがライブするんだって!」

「……ミスケロ?」

「ミスケロ! 教えてあげる! 最高だから!」


 なんてクラスの喧騒は頭に留まった。

 ミスケロか。

 さやが好きだとかいってたバンドだ。

 あいつに教えてやろうかな、と思う反面、誘われたら面倒くさいな、と考えて、やめた。


 ふと人気者の男子生徒に目をやると、他校の制服を着た長髪の女生徒が向かい合うように彼の膝の上に座っていて、この世の至福と言わんばかりの顔で彼女は愛でていた。

 それを全く感じとることはできないのだろう、男子生徒はクラスの女子といちゃいちゃと手を握り合っている。

 人に影響を与えることができない霊なんだろう。っていうか、影響を与えられる幽霊が稀だ。


「……」


 大口で涎を垂らして壊れそうな顔で微笑む女生徒の幽霊を見ていると、幸せならそれでいいのかな、って思う部分もある。

 生者と死者の違いなんて、僕にとっては大差がないし。



   ☆★☆★☆



「にーにぃぃぃぃぃい!」

「……はい」


 僕の部屋の扉を勢いよく開けて突進してきた、妹の沙羅に憑りつく幽霊、さやに嫌な予感が拭えない。


「あのね! あの、えとね! にーに! 落ち着いて聞いてね!」


 お前が落ち着け、と面倒だから心で言った。


「ミスケロが! ライブにくるのー!」

「……そうか」


 やっぱりそれだったか。

 壁にポスター貼るほどの好きなバンドの情報をチェックしてないわけがないよな。


「それで、お願いなんだけどぉ」

「嫌だよ」

「なんで!」

「なんで僕が一緒に行かなきゃいけないんだよ。ライブぐらい大丈夫だろ?」

「ミスケロは凄いライブするって有名だから一人じゃ恐くって……」

「すごいライブ?」


 んー、と。説明が難しかったのか、さやはスマホでミスケロのライブレポの記事を僕に見せてきた。


 それ曰く。

 狂乱のライブ会場、我を失い気絶する者が続出。

 ライブに行く前と後で人生が変わる。

 アマチュア時代には熱狂のあまり死亡者が出たという噂。

 

「……なんでこれが好きなんだよ」

「だって……私が浮いてた時、ミスケロだけが聞こえる音楽だったから」


 そういえばミスケロはどうやらさやが沙羅に憑りつく前の幽霊だった時から好きだったと言っていた。


「幽霊だと音が聞こえづらいのか?」

「はっきり覚えてないけど、うん、確かそう。殆どの人の声や音は聞こえないかな。にーにの声は聞こえてたけど」

「ふーん」


 ってちょっと待て。


「お前幽霊だった頃から僕のこと知ってたのか?」

「いや、違う違う、知ってたっていうか、今にして思えばあれはにーにの声だったんだな、って。ぼんやりとしか覚えてないけど」


 なに聞かれてたかわからんが恥ずかしい。

 幽霊に対してプライバシーはないのか。

 でも沙羅の病室で幽霊なんて見たことないんだけどな。

 もしかしたら、僕が視えない幽霊っていうのもいるのかな。


「それよりお願い! なんでもいうこと聞くから!」

「……はぁ」


 別になんでもいうこと聞かなくていいけど。

 沙羅の顔と沙羅の声で、そんなに一生懸命頼まれたら嫌といえない。

 それにこの前、命を助けてもらったばかりだし。


「わかった、行くよ」


 渋々僕は了承した。


「やったぁ! にーに大好き!」


 飛びついてくるさやに対して、

『これは沙羅じゃない、これは沙羅じゃない、これは沙羅じゃない、これは沙羅じゃない』

 と、頭の中で何度も反芻する。

 にやけそうになるほっぺたと、それを止めようとする口の筋力の喧嘩は、なかなか決着がつかずに長引いていた。



   ☆★☆★☆



 クリスマスも近づいてきて肌寒い。

 吐けば白く息が舞って、吸えば肺が凍えている。


「チケット切ってくるから待っててねー」

「お、おう」

 ライブなんて来たことないからさやがなにしに行っているか正直わからないが、入場する前にしなければならないことがあるんだろう。

 イベントホールの前はたくさんの人で溢れていて、大好きなバンドが目にできるのをこれでもかと待っている。


「人気あるんだなぁ」

「そう、人気なんだよ」


 ぼけーっとそれを眺めていると知らない声に返事をされた。

 男なのか女なのか判断しづらい、中性的な声。

 声を見やると、頭まですっぽりとファー付きのフードを被った人がいた。ダウンコートにパンツという出で立ちで、やっぱり性別がわからない。

 でもなんだか違和感がある。


「君、変わっているね」

「……いえ」


 雰囲気的にどうやら人間のようだ、と思う。

 だけどなんだろう。

 筆舌しがたい妙な雰囲気があって、例えるならその人の身体の周りは、ちょっとだけ歪んで見えるようだった。

 それは異質な、というよりは。

 オーラ、とでも呼ぶべきだろうか。

 因みに僕はそんなものこれまで見えたことないんだけど。


「いやいや、変わっているよ。だってなんだか、この世界にちゃんと馴染んでいないみたいだ」

 遠回しに僕がぼっちだということだろうか。

 いや違うだろうけど。

 なにを言っているのかいまいち要領を得ない。


「でもだからこそそんなに……くすくす」


 んー、わかった。

 この人がなんなのかわからないけど、やばい奴だっていうのはわかった。

 或いは中二病が内壁を食い破って外にまで浸食してしまったのか。


「ふふっ。そんな警戒しないでよ。ほら、ライブ楽しんでいってね」

「はぁ」


 そう言うと彼とも彼女とも言えないその人は、静かにその場を離れていった。

 ああ、そういえば、とその人を見た時の違和感に思い当たる。


 息、白くなかったな、こんなに寒いのに。

 っていう、ただそれだけなんだけど。



「チケット切ってきたよ! ほら、入ろ!」


 ぐいぐいと僕の腕を引っ張って嬉しそうに会場に向かうさや。

 やれやれ、だなんて。

 まるでどこぞの主人公みたいなことを思うけど、さやが嬉しそうだし、まぁいいか、って。



    ☆★☆★☆


 中に入るとたくさんの人がいた。

 さやに聞いた話、三千人は入っているらしい。

 人と人との間隔は開けられていて、ぎゅうぎゅう詰めじゃないことは幸いだった。

 ただ、客層が少し妙ではある。

 男女両方いる、ぐらいならまだしも、老若男女の人がいる。

 子供からおじいちゃんまで幅広い客層、なんて考え難いんだけど。


 暫く待っていると会場が次第に暗くなっていった。


「始まるよ!」


 耳元でそう囁くさやは、興奮が抑えきれないのか全身でわくわくと踊っているようだった。

 証明が全て落ち切った頃、ギターの爆音が会場中に響いた。

 そこから激しいギターソロが始まって、会場のボルテージが上がっていく。

 そしてギターが大きくかき鳴らしたのに合わせて、ステージが強くライトアップされた。


「イくぜぇぇぇええええ!」


 仮面を被った白髪のボーカルが叫ぶ。

 声からも男なのか女なのか判別がつかない。


 ボーカルに煽られて、ファンが拳を上げる。

 さやを見ると、夢のような光景に酔いしれているのか、全力で拳を突き上げていた。

 流石にそこまで付き合うギリはないから、僕はぼうっとしていた。


 ミスケロのライブが始まって、僕の趣味には合わないなぁなんて思う。いや、単にミスケロの音楽はロックであって、僕は音楽をあまり聞かないっていうだけだけど。


 でも人気なのは伝わってくる。

 音楽のクオリティも高く感じるし、なによりファンが熱狂している。

 ライブに来るのは初めてなんだけど、さながら宗教じみてるなぁ。

 ボーカルに拳を煽られれば拳を突き上げて、頭を振れば頭を振る。

 そういやおじいちゃんおばあちゃんもちらほらいたけど、頭振ってるんだろうか。

 考えてみるとシュールだ。


 そして、何曲か終わって証明が全て落ちる。

 ぼうっとステージ上のボーカルだけが眩く照らされて、注目してみることができたからふと思う。

 ボーカルの周囲だけ、どこか歪んで見えるな、って。

 それはついさっき感じた現象なだけに、点と点は簡単に線で繋がった。


 あの人はボーカルさんだったのか。

 だから、あんな異質な空気を纏っていたのか。

 そして中二病なところにも合点がいく。

 


「さぁ、特別な時間はこれからだ!」



 そうボーカルさんが言うや否や、叫んだ。

 但しその叫びは恰好がいいとか、綺麗だとか、迫力があるとか、そういったものじゃなくて。

 金切声にも轟音にも聞こえるそれは、僕の耳にはただただ不快だった。


 けれど周りの反応は全く違って、天使でも降臨したかのように、うっとりとそれを眺めている。


 その肺活量はどうなっているのか。

 絶叫は長く長く続いていて、そして叫びながらも段々とボーカルの体が宙に浮いていく。

 ワイヤーとかで吊っているんだろう。


 見上げるほどに浮いた宙の到達的で叫び終えると、一斉に楽器がかき鳴らされ、カラフルな証明が乱雑に踊り始めた。


 思わず耳を両手で塞ぐ。

 それは音楽じゃない。

 音楽だと認識することはできない。

 雑音。いや、吐き気すら催すノイズだ。


 だけどそんな風に堪えているのはどうやら僕だけで、周りは熱狂していた。

 隣のさやも同じように熱狂していた。

 その姿に意思が感じられなくて、まるで神に洗脳された狂信者にすら見えた。


 それと同時に段々とおかしな臭いが鼻を突く。

 甘く、ぬるく、音も相まって吐き気が止まらない。

 気のせいじゃなければ視界がぼんやりとしてきたするし、頭痛もしてきた。


 やばい。なんか、なんかおかしい。

 言いようのない不安に襲われる。

 これ以上ここにいちゃいけないって、鳥肌や寒気や、色々な器官が危険だと騒いでいる。


 楽器隊の激しいリズムに乗って、ボーカルが宙で叫ぶ。

 およそ人とは思えない叫び声で。


「さや! さや!」


 さやの腕を掴んで揺らすもまるで届かない。

 盲目にボーカルを追い求める姿に不気味さを覚える。


「いくぞ!」


 どうせ僕の声なんて届いちゃいないけど。

 さやの腕を掴んで出口の方へ向かっていく。

 壊れた人形みたいにボーカルへ腕を伸ばす群衆をかき分けて、出口へ、出口へ。


 そして、ようやく出口へ辿り着いた時、振り返った僕は視た。


 ボーカルの元に白いもやが大量に登っていくのを。

 その白いもやは、狂乱しているファン達の口から抜けていっているのを。

 慌ててさやを見ると、口の奥に白いもやが霞んで見えた。

 それがなんなのかわからないが、どう考えても抜けていいもののように思えなかったから、急いで出口の扉を開けて、音の聞こえない場所までさやをおぶって走っていった。



   ☆★☆★☆



「……あれ、ここ、どこ?」

「おはよ」


 駅へ向かう途中にさやは目を覚ました。

 あれがなんだったのかわからないけど、さやは大丈夫らしい。


「もしかして……またなにか、あった?」

「あった。けど、わからん。あれがなんだったのか」


 間違いなくあのボーカルが原因だろう。

 ただあの現象をボーカルが起こしているのか、起こってしまっているのか。そもそもあの白いもやが抜けた人達はどうなってしまうのか。

 いや――人が変わると、記事にあったか。


「ごめんね、にーに」

「別にさやのせいじゃないから、いいよ。流石にもうライブに行くのはダメだけど」

「……うん」


 なんだかさやは罰が悪そうだった。

 この前の占いといい、自分が切っ掛けになってしまっているからだろうか。

 いや、今回は僕に危険があったわけじゃないからいいんだが。

 なぜだかあの会場で、僕だけが音楽を拒否できていたようだから。拒否というか、拒絶反応というか。


「それより、楽しめたか?」

「……う、うん! 途中から覚えてないけど、楽しかったよ!」


 背中でさやが笑っているのが想像できる。


「それならよかった」

「えへへー」


 首に回す腕の力が強くなり、さやが甘えてくるのがわかる。

 でも、なんでかな。

 もう嫌だな、って思う気持ちは不思議となかった。

 沙羅のことを忘れたわけじゃ、ないんだけど。



   ☆★☆★☆



「ねえねえ知ってる?」

「なに、転校生?」

「そうそう! 今日くるんだって! めっちゃイケメンなんだってー!」

「え、うそっ。すごい美少女だって聞いたけど……」

「えー、なにそれ。どっちにしても最高じゃん!」

「ねー」


 なんて、クラスの喧騒は右から左へ。

 予鈴のチャイムが鳴って、暫くすると先生が教室に入ってきた。


「転校生が来たぞー。はい、入ってー」


 クラス中その噂で持ち切りだったから知っていたけど、うちのクラスだったのか。

 教室の扉を開けて入ってくると、生徒がうおっと声を上げた。


 それは彼というべきなのか、彼女というべきなのか。

 性別が判別しづらい異様に整った顔立ちに、外人さんなのかショートの白髪で。

 学生ズボンを履いてるけど、うちの学校は最近の配慮もあって、男でも女でも履けるようになっているし。


睦月むつきエンダです」


 その声もまた中性的で、男なのか女なのか。

 どちらにせよその美貌に、男女問わず沸き立っているけど。


「好きなことは歌うことです」


 なんて、別に鈍感系主人公じゃあるまいし。

 目を凝らして彼、或いは彼女――睦月エンダの体の周りがゆらゆらと歪んで見える前から、面倒なことになったなぁ、って思い悩んだ。


 睦月の席は狙いすましたかのように僕の席の隣になった。

 机に突っ伏したまま、ちらりと伏し目がちに睦月を見る。


「ふふっ……今日も君は馴染んでいないんだね」


 だなんて。

 どこぞのボーカルのようなことを言うのだった。



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