第335話 金毛九尾と青柳の握りと乙女の舞と

 どうしてこうなった?

 

 愛を知りたかっただけなのに、天竺では謳われ、追われ、焼き尽くし、大陸では仰がれ、囚われ、痛痒を与え、日の本では敬まれ、狙われ、滅ぼされた。

 愛とは一体なんなのか? その扉の先に答えがあるというのであれば、この怒りと悲しみも恨みも妬みも癒えるのだろうか? 

 

 ガチャリ。

 扉を開いた先、人間と女神が口論している情景だった。

 

 ………………

 

「ニケ様、常識ってわかりますか?」

「わかりません!」

「そっかー、分からないかー……マジか」


 人間ごときが? 女神と対等に話をしている。頭が追いつかない。人間とは愚かで、されど神々には馬鹿みたいに謙る無様で愚かで穢らわしい生き物ではなかったか?

 

「あっ、誰か来てたんじゃないですかー! こんにちは! 私はこの家の家主の犬神金糸雀です。で、こちらは一応。勝利の女神のニケ様です。勝ってるところみた事ないんですけど、負けは絶対に認めないのでそういう神様かもしれません。貴女は?」

 

 不自然な茶色の髪、耳には装飾品をつけていたであろう穴の痕が点々としている。笑っているのに威嚇をしているかのような目つき。されど、美しい分類に入る人間。とはいえ、人間ごときと喋る言葉は持ち合わせはいない。

 

「なんという陰の気配ですか貴女! 妲己とか、華陽夫人とか、玉藻前とかの同祖神ですね!」


 そのような名前で呼ばれ、時には神として崇められ、捨てられた者。そしてそれらの口伝と信仰が繰り返されると同時に自分は完全に別物として分離した神にも呪いにもなれないそれらの成れの果て。

 

「金毛九尾」

「あぁ! だから、綺麗な金色のお髪なんですねぇ! キュウビさんでいいですか? 今からニケ様とお酒飲むところなんですか一緒に飲みませんか?」

「金糸雀ちゃん! 私の飲む分が減ります!」

「なんでそんな小さい事言うんですか? ウチの部屋には神様が団体で来ても飲み干せないだけのお酒があるんですから」

 

 神々が団体できても飲み干せない量の酒、と言うのはいささか盛っているのだろうが、犬神金糸雀と名乗る人間の女はボサボサの髪を誉めて笑った。

 

「キュウビさんは貝って食べれますか?」

「食べれますー! 好きですー!」

「ニケ様には聞いてないですけど、知ってます」

 

 貝を食べるらしいのでとりあえず頷いてやる。人間ごときに反応してやる事をありがたく思うといい。犬神金糸雀は桶を用意すると、酢飯をそこで作って、氷の入った水に手を入れている。

 

「私、平均くらいの体温なんですけどね。女子ってどうしても手が暖かいからお寿司握る時はこうしてからささっと握るんですよ」

「金糸雀ちゃん、お寿司まで握れるんですねぇ」

 

 犬神金糸雀は職人の如く、バカガイの握りを作っていく。

 

「知り合いから青柳をたくさん頂いたので握りで食べようと思います。お酒は……ちょっと面白いのを用意しましたよ。宝塚歌劇団をイメージした日本酒・乙女の舞です」

 

 乙女の舞と書かれた酒瓶。どうやら、舞踊をする人間の女達の芸団を意識した酒らしい。それを杯に入れて配る犬神金糸雀。

 

「じゃあ、キュウビさんと青柳に乾杯!」

「私にも乾杯してください! か・ん・ぱ・い!」

「…………」

 

 は? うまっ! 人間の酒、うまっ! 透き通ったような切れ味、洗練されていてされど奥ゆかしい。

 

「その顔はハマりましたねぇ! どんどんやってください。あと、お寿司もつまみながら」

 

 バカガイに醤油をハケで塗って、犬神金糸雀は緑色の何かを少しのせると口に運んだ。

 

「んんっ! 美味しい! ここですかさず乙女の舞を……こ、こたえれん」

 

 実に腑抜けた顔をする。どれ、この緑色の物くらいは食べて……


「キュウビさん、わさびをそんなにいっぺんに食べちゃ!」

 

 は? 人間風情が指図をするな。

 

「!!!!!!!!」

 

 それは、青天の霹靂だった。口に含んだ瞬間、星々の輝きが見え、三千世界の騒音が重箱をつつくような衝撃。

 

「うまい」

 

 思わず声を出してしまった。毒とも思えるような衝撃は一瞬で、香りと味わい。これらをもってしてバカガイを食べればどうなる? 知れた事、頭がおかしくなるだろう。

 が、逆らえない。犬神金糸雀が卑しくも握ったバカガイと米を醤油につけ、この衝撃的な緑色の物体ワサビと共に食す。

 人間である犬神金糸雀を真似るのは少々不愉快ではあるが……ここは乙女の舞とやらの出番で間違いない。

 

「おいじいいいいいい!」

 

 この女神、さっきから五月蝿いな。が、私の心を代弁している。薄い朱色のバカガイ。陸に上がる姿がバカっぽいからとそう呼ばれたが、この食感、味わいとどこをとってもばか等と言えるか? いや、言えまい。

 

「キュウビさん、お酒。おつぎしますね?」

「…………」

 

 愚かにも私に断りも入れずに酌をする不快さ。「かなりあぢゃん! わたじもぉおおお!」「はいはい、ニケ様もどうぞ。そして私も、空になったわ。次開けましょうか?」そう言って何本も同じ酒を持ってくる犬神金糸雀。

 

 こいつ、犬神とか名乗っているし、もしかして人間に擬態した神の類じゃないだろうな? 何故なら犬神金糸雀から、信仰のような感情は伝わってこない。

 

「東京の方の青柳はもっとオレンジオレンジしてるんですけどぉ! これ、北海道の青柳なんで薄いオレンジなんですよね。美味しい証拠ですよ!」

 

 聞いてもいないのに話しかけてくる犬神金糸雀。そこまで言うならこのバカガイ。改め青柳をじっくりと観察。そして咀嚼、うまい。まずいわけがない。

 

「がなりあぢゃん、なんでこの貝、あおやぎなんですかぁああ!」

 

 なんでキレるんだこの女神。

 

「千葉県の青柳って地域で昔はよくとれてたから、地名がそのまま名前になったタイプですね。この貝の日本での本名はバカガイって言うんですが、ばか要素ないんですよね。完璧すぎる貝ですし、よって私は敬意として青柳と呼んでます」

「食べ物に敬意?」

 

 思わず声に出してしまった。それに犬神金糸雀はにっこりと笑う。

 

「生きる事は食べる事ですからね。できうるなら美味しい物を食べて生きたいですし、ただの生活行動の一つとしての食事ではなく、楽しみたいですから。なら食べ物もこのお酒、飲み物にも神が宿るって言うのが私たちの国の考え方です。命をいただきます。命をご馳走様でしたって感じなんですよ」

「そんなものに神なんて宿りませんからぁああああ!」

 

 この女神、めちゃくちゃだな。早くどうにかしなければ……犬神金糸雀の迷惑になりそうだ。

 そうか……

 

「愛は求めるものではなく、与えるものか」

「どうしたんですか? キュウビさん?」

 

 数千年という無駄な時間を過ごし、飽いて、諦めたこの身が、ようやく意味をしなし、使命をなす時が来たという事か、酒と、馳走の駄賃くらいは払うとしよう。

 

「犬神金糸雀よ」

「はい?」

「邪なる者であるこの身故に、この女神を名乗るうるさき者がいかに犬神金糸雀に対し迷惑千万であるかを知っている」

「まぁ、ニケ様は毎日迷惑かけに来ますからね」

「人の世に巣食う、天魔よ。抜け殻でもこの身はお前を逃さぬ業火となろう」

 

 生まれてきた意味、理由、そんなものはハナから必要なかったのだろう。何故ならこの身は満足している。犬神金糸雀という人間の道標とならん事を、満たされていく。

 何者にもなれなかった紛い物の神が最後の瞬間にそれらしい事をして散ってゆくのであるから。

 

「犬神金糸雀よ」

「はい?」

「青柳の握りと、乙女の舞。実に美味かった。見事である。褒めてつかわす。数千年の時で、これほどまでに心躍った時間はなかった」

 

 神話の時代は終わりだ。この邪なる者も、この身も人の世界には要らぬ。全てを抹消し、神に頼らぬ、このような歪な神に取り憑かれぬような人間の世界がやってくる。これから、犬神金糸雀よ、苦しい事もあろう、悲しい事もあろう。そして、その世界には神はいない。

 なぁに、案ずるな。

 

 すでに貴様は赤子ではない、自ら立ち上がり進む力を有している。

 さらばだ。

 

「あっ、キュウビさん」

「なんだ?」

「シメにアイスクリーム食べませんか? ニケ様、爆睡してますし、ちょうど二個しかなかったんで、よかったですよ。バニラ味とラムレーズン味どっちがいいですか?」

 

 はっ! 知れた事を、

 

「ラムレーズン味」

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