第41話 混浴

 アスールさんとも和解をすると、僕は精神的にも体力的にも限界だったらしく、倒れこむように眠ってしまった。

 そして、目を覚ました時には、外はすでに明るくなっていた。


 テントの中には、僕しかいないので外へと出る。

 テントの布をめくると、ヒーちゃんがテントの前にいた。


 「フー君、おはようございます」


 「おはよう」


 彼女はすでに黒髪に戻っていて、獣耳も尻尾もない。

 モフれなかった……。


 「フー君、朝食の用意が出来てます」


 「ありがとう」


 モフれなかったことに気落ちしながら、彼女と一緒に皆の待つテーブルへと向かう。

 テーブルに着くと、アスールさんもレイリアと同じような軍服姿で席に着き、ちゃっかりと食事を待っていた。


 「遅くなってごめん。じゃあ、食べようか」


 「「「「「いただきます!」」」」」


 今日の食卓には豚の生姜焼きがあった。

 朝から豚の生姜焼きって……。

 一口食べてみると、魚醤の風味がほんのりとして、エスニック料理を思い出す。

 でも、これはこれで美味しい。

 僕が顔を上げると、メイドさんがこちらを真剣な表情で見つめていた。


 「美味しいよ!」


 僕は彼女に微笑んで親指を立てて見せると、彼女はホッとした表情になり、笑顔を浮かべた。


 アスールさんは、豚の生姜焼きが初めてだったらしく、「何だこれは!? これは美味すぎる!」とがっついている。

 レイリアたちと醤油を使った豚の生姜焼きを知っている者たちは、これも美味しいが、僕が作った物とは味付けがすこし違うと言った感想を述べていた。


 「昨日は聞きそびれたけど、アスールさんは、僕の姉ちゃんたちとどんな関係なの?」

 

 アスールさんは生姜焼きの豚肉を口にくわえたまま、頬をヒクヒクさせると、豚肉をチュルっと麺でもすするように口におさめた。


 「殲滅の女王と呼ばれていたオトハとその従者のアカネに会った時は、新種のトカゲと思われて……、素手でボコられ捕獲された……」


 「「「「「……」」」」」


 僕たちは唖然として、何も言葉を発せられなかった。


 「撃滅の魔皇帝と呼ばれていたカザネとその従者のイオリとあった時は、ガイライシュ? とかいうものと思われて……、素手でボコられ捕獲された……」


 「「「「「……」」」」」


 姉ちゃんたちは何をしているんだ! ドラゴンを新種や外来種と間違えて、素手でボコった? 捕獲した? つ、ついていけない……。

 アスールさんを見ると、シュンとしている。

 思い出したくない過去だったのだろう。


 「僕の姉ちゃんたちがご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません!」


 「いや、もうだいぶ過去のことだ。それに、今回は、わしがフーカに迷惑をかけたのだから、お互い様だ」


 彼女はそう言って、再び生姜焼きを口に入れると、満足そうに頬を緩め、その料理を満喫する。


 「私、ドラゴンを素手でボコって捕獲した人がいるなんて話しは、初耳ですよ。もしかして……」


 ケイトが不安そうな顔で、僕とヒーちゃんを見つめてくる。


 「僕には、そんなことできないって!」


 僕が横に首を横に振ると、隣ではヒーちゃんも同じ仕草をしていた。


 「アスール様、モリ家って、どんな一族なんですか?」


 ケイトが好奇心いっぱいの顔で尋ねる。


 「うーん、そうだなあ。……オトハとカザネ以外にも数人が大暴れをしていることは確認されている。だが、すべて女性のようだ。モリ家の者が現れると、有無を言わさず、力づくでこの世界を平和にするから、悪いことではないのだが……手段を選ばないのが……」


 「「「「「……」」」」」


 皆の顔が引きつる。


 「それに、モリ家の存在は長寿種でもごく一部の権力者だけが知る極秘事項なのだ。世間に知れ渡ると、呼人をモリ家だと勘違いする者もあらわれるし、呼人の中にはモリ家を名乗りだす者もあらわれるかもしれん。そうなったら手におえんからな!」


 「フーカ様の家系って、いてもいなくてもはた迷惑なんですね」


 ケイトが僕を見て、ディスってくる。


 「そう言えばそうだな。アハハハハ」


 アスールさんは笑って澄ましているが、僕にとっては自分を腫れもの扱いされているようにしか聞こえない。

 僕としては、ツグモリ家もモリ家として扱われていることが納得いかなかったが、反論するとややこしくなるし、ツグモリ家はモリ家の親戚だと指摘されたら言い返せなくなるので、堪えることにした。




 「コホン。今日は温泉の調査をするんだから、アスールさんも手伝ってね」


 僕は話しをらすことにした。

 だが、皆は驚いた顔を僕に向ける。


 「どうしたの?」


 「アスール様にも手伝わせる気ですか?」


 ミリヤさんは驚いた顔のまま、質問してきた。


 「えっ? ダメなの?」


 「えーと……どう言ったらいいのでしょうか……。アスール様はグリュード竜王国の宰相や大臣といった立場なのですが……」


 彼女から言われて、皆が驚いている理由が分かった。

 確かに、手伝わせるわけにはいかないと僕も思う。


 「かまわん。フーカといると退屈しなさそうだ! それに、ここを調査するということは、整備された湯治場が出来るのだろう?」


 「そのつもりです」


 僕は頷く。


 「そして、グリュード竜王国から観光客を呼び込むつもりだろ?」


 「は、はい……」


 アスールさんには、企みを見透かされていた。


 「かまわん。良い湯治場ができればわしらも助かる。ただ、ドラゴンの姿でも入れる場所も造って欲しいのだが……」


 「分かりました。造れるように考えてみます」


 「うむ。頼む」


 彼女は、腕を回して手伝う気満々だった。


 ドラゴンの姿でも入れるとなると、湖の死の領域をそのまま使ったほうがいいかもしれない。そうなると、覗き防止の囲いが苦労ししそうだ。


 ……ん?


 よく考えたら、僕たちは彼女の入浴を覗いていたことになるのでは……。


 「ちょっと、気になったんだけど、僕たちって、アスールさんの入浴を覗いていたことになるのかな?」


 「「「「「……」」」」」


 「「「「「ごめんなさい!」」」」」


 皆の顔が青ざめていく。

 そして、僕たちはアスールさんに謝った。


 「いや、仕方がないことだ。気にするな」


 彼女はそう言ってくれたが、僕は女性の入浴を覗いたという罪悪感が拭われなかった。


 「あっ! ヒーちゃん、暗視スコープで覗いてたよね。それって……」


 ヒーちゃんの顔が真っ赤になる。


 「フー君や皆さんも暗視スコープを私から借りて、しっかりと覗いていたじゃないですか!?」


 確かにそうだった……。

 僕たちに気まずさが襲ってきて、場の雰囲気が悪くなる。


 「だから、気にするな! わしまで恥ずかしくなるだろうが!」


 アスールさんが紅潮していく。


 「そうだ。そこの……ヒサメと言ったな。お主は他の者と違った力を持っているようだったが……」


 アスールさんが話題を変えた。


 「ああ。ヒーちゃんは僕の守り刀で……えーと、アスールさんも知っているイオリさんの妹です」


 僕の言葉に、彼女は涙を流し出す。


 「「「「「……」」」」」


 えー! 何で泣き出すの……?


 「いや、すまん。私の知っている中ではイオリだけが常識人だったのだ。そのことを思い出して……。ズズッ。それに、あの者の妹だと知ったら……ヒサメも話しのわかる者だと思うと……安堵と嬉しさがこみあげてきてな……ズズッ」


 彼女は涙を流し、鼻をすすりながらも、ヒーちゃんに笑顔を向けた。


 「「「「「……」」」」」


 姉ちゃんたちは、アスールさんの言葉を無視してボコったに違いない……。


 「いやー。すまん、すまん。飯も食い終わったことだし、調査をしてしまおう」


 アスールさんは涙を拭ってから立ち上がると、僕たちも立ち上がり、個々に準備を始めた。



 ◇◇◇◇◇



 アスールさんのおかげで源泉はすぐに見つかった。

 ケイトが調査を始めると、お湯は無害な物で三〇度前後を保っており、炭酸が抜けていることもなかった。

 また、火山性ガスが周辺から出ていることもなく、危険性もない。

 しかし、万が一を考えて、ここを閉鎖して、お湯だけを離れた所に引くべきだということとなった。


 死の領域の調査では、アスールさんがドラゴンの姿に変わり、その背にケイトとヒーちゃんを乗せて調べる。

 ケイトがアスールさんの背から湖に魔法を打ち込むと、石柱が湖面から顔を出すのを陸地にいる僕たちも確認できた。

 ドラゴンの浴場の範囲を決めているのだが、数十本の石柱で囲んだ範囲はかなり広い。

 炭酸水の生産工場や温泉旅館よりも、ドラゴンの浴場のほうが大掛かりな工事になりそうだ。


 メイドさんが昼食の用意を終えた頃には、調査はほぼ終わり、あとは旅館を建てる場所などの測量を行うだけとなった。

 アスールさんが手伝ってくれたおかげで、かなりはかどっている。


 「これなら、今日中に終わりそうだね」


 「ええ、アスール様のおかげで、かなりはかどっています。あとはこの一帯の測量をすれば終わりです。早く城に戻りたいですね」


 僕とケイトは昼食をとりながら話す。


 「城に戻るのは、明日にした方がいいと思います。今回の測量は範囲も広いので、終わるのは早くても夕刻になってしまいます。アスール様がいるから獣や魔獣は近付いてきませんが、それでも危険です」


 オルガさんが僕たちを諭すように話し出した。


 「そうだね。ん? アスールさんがいると獣や魔獣は寄ってこないの?」


 「野生であればあるほど、ドラゴンには近付きませんよ。怖いですから」


 「なるほど。この辺りで宿営していて、獣も魔獣も見かけなかったのは、アスールさんのおかげなんだ」


 「そうです」


 オルガさんは、一度、アスールさんを見てからニッコリと微笑んだ。


 「それに、ここまで来たのに、温泉に入らないで帰るのは、もったいないです」


 ヒーちゃんが話しに入ってくる。


 「そうですね。どんな温泉か試してみたいですね」


 ミリヤさんも加わる。


 「濡れたタオルで身体を拭くだけでしたから、私も入りたいです」


 レイリアまで加わる。

 全員一致で温泉に入りたいようだ。


 「フーカ様も少し臭ってきてますよ」


 レイリアが僕の耳元でささやく。


 「よし! 今日は温泉で疲れを取って、明日、帰ることにしよう!」


 僕の一声で、皆は、はしゃぐ子供のように歓声を上げた。

 湯治に来ていたアスールさんも一緒になってはしゃいでいる……。




 僕たちは周辺の測量を始めた。

 ケイトとヒーちゃんがテキパキと作業をこなしていく。

 アスールさんが手伝ってくれているおかげで、作業の効率がいい。

 彼女はドラゴンだけあって、人の姿でも重い荷物を軽々と運んでしまう。

 さらに、ドラゴンに戻って、ケイトとヒーちゃんを背に乗せ、上空から航空写真まで撮っていた。

 ケイトとヒーちゃんに至っては、その写真をパソコンで測量結果と合わせるといったことまでしている。


 「上空から撮った写真を見てきましたが、凄いですね。あれを使えば敵軍の動向も調べられますね」


 ミリヤさんは、僕のそばに来て航空写真の感想を述べた。

 そ、その手があった!

 相手の動きが分かるまで、待つ必要はないのだ。


 「ミリヤさん、帝都やアルセ周辺の航空写真を撮りに行っても大丈夫かな?」


 「……そうですね。……相手は写真の知識を持っていないですから、何をしているかは分からないと思いますが、アルセやユナハの飛竜部隊が上空にいれば、気に掛けると思います」


 彼女は、少し考えてから返事をする。


 「なるほど。相手に気付かれないようにするか、使者を送った時に撮るしかないみたいだね」


 「そうなります。ただ、アスール様が飛行しているなら、見て見ぬふりをすると思います」


 「それは、ドラゴンだから?」


 「そうです」


 アスールさんを仲間に引き入れたい。

 でも、彼女はグリュード竜王国の幹部だしな……悩ましい。


 僕はオルガさんとレイリアも呼ぶと、四人で航空写真を利用した偵察行為について話し合ったが、いい案は出なかった。


 「アスールさんを引き抜けないかな?」


 「難しいと思います」


 ミリヤさんの返事に、オルガさんとレイリアも黙って頷く。


 「やっぱり、グリュード竜王国の幹部だし、無理だよね」


 三人は僕に向かって頷く。


 「あっ!」


 レイリアが何か閃いたようだ。

 彼女の閃きは、案外、馬鹿にできない。


 「レイリア、何か気付いたの?」


 「ええ、フーカ様がアスール様と婚姻すれば、問題ないと思います!」


 「「「却下!」」」


 僕たちは声を揃えて彼女の提案を否定した。


 「竜族が人と結婚したという話しは聞いたことがありませんし、人と婚姻を結ぶとも思えません」


 ミリヤさんが却下の理由を述べる。


 「そうです。竜族はプライドが高いし、最も長寿の種族ですから、人と交わるとは思えません」


 付け加えるようにオルガさんも却下の理由を述べるが、交わるって……。


 「本音は?」


 おおー! レイリアがツッコんだ。


 「私も婚約の段階なのに、日に日にフーカ様の婚約者が増えるのはちょっと……あっ!」


 ミリヤさんは手で顔を覆うと、耳まで赤くなっていく。


 「そうです! 私だってフーカ様と一緒になりたいのに、なんの進展もないまま、婚約者が増えていくのは……あっ!」


 ミリヤさんにつられるように話したオルガさんも、手で顔を覆うと、耳まで赤くなっていく。

 二人の気持ちを聞かされた僕も、恥ずかしい。


 「フーカなら、いいぞ!」


 突然、アスールさんの声がして、僕たちは同時に身体をビクッとさせた。

 声の方向を振り返ると、アスールさん、ケイト、ヒーちゃんの三人がこちらを覗き込んでいた。

 僕たちが話し込んでいる間に、測量を終えてこちらへと来ていたようだ。


 「えーと、どこから聞いてたのかな……?」


 「確か、フーカがわしの身も体も独占したいと言っていたあたりだ」


 アスールさんが首を傾ける。


 「そんなこと言っていない! それに、身も体もって、同じじゃないか!」


 「「スケベ!」」


 ケイトとヒーちゃんが、僕を蔑むような眼で罵る。


 「なっ! だから、僕はそんなことは言っていないから!」


 僕が必死な形相で弁解すると、二人は笑いだした。


 「「冗談です!」」


 「ぐっ……」


 「コホン。まあ、冗談はさておき、フーカが望むなら婚姻してやるぞ! わしとしては、政略だの一族の血を絶やさぬための婚姻の話しばかりで、うんざりしているところだったからな」


 冗談はって、アスールさんが始めたことなのに……。


 「僕と結婚したら、政略結婚と変わらないよ」


 「そんなことはない。当人の意思を無視して、利益を追求した結婚が政略結婚だ。当人が望んで結婚し、あとから利益がついてくるなら違うだろ」


 アスールさんの意見は屁理屈にも聞こえるが、あながち間違いとも言えない。


 「えーと、僕だけで決めるわけにはいかないので、他の婚約者にも相談してからでいいですか?」


 「何とも煮え切らん男だな。まあ、よい。わしもお主らについて行くことにする」


 「「「「「……」」」」」


 僕たちは絶句した。

 ドラゴンを連れて戻ったら、絶対、シャルたちに怒られる……。




 「湯浴みの準備が出来ました」


 メイドさんが僕たちに声を掛けてきた。

 おかげで、抜け出ていた魂が戻って来ることが出来た。


 「ありがとう」


 僕は色々な意味で彼女に感謝する。

 皆も彼女に礼を述べているところを見ると、立直ったようだ。

 僕たちは、どんな浴場になっているのかが気になり、ぞろぞろと連なって見に行く。


 「「「「「おおー!!!」」」」」


 僕たちは驚きの声を上げた。

 その浴場が見事な露天風呂だったからだ。

 岩場の一部が整備され、そこには穴が掘られ、源泉から引いたお湯が張ってあり、その湯船の中は岩も敷かれ、浴場を囲むように簡単な目隠しの柵までもが作られていたのだ。

 この短時間で、よくここまで造った物だと感心してしまう。


 「凄いです! 見事です! 私の注文通りです! ありがとうございます!」


 ヒーちゃんは興奮状態で、メイドさんたち一人一人の手を順に取っては、ブンブンと振るようにしながらお礼を述べて言った。

 僕は、彼女がこんな注文をしていたことを聞いて、普段、見ている彼女の人物像とのギャップに困惑してしまう。

 女の子って分からない……。


 僕たちは、ヒーちゃんの興奮がおさまったところで浴場を後にすると、食事を済ませてしまうことにした。

 食事が用意されると、皆は黙々と食べ始める。

 いつもより食べる速さが、若干速い気がする。

 この後の温泉が、相当、楽しみのようだ。

 食べ終わった者はそそくさと席を立ち、テントへと向かってしまう。

 そして、テントから出てくると、袋を抱えて浴場の方へと向かっていく。

 テーブルには、僕だけが残された。

 浴場には男湯と女湯の仕切りがなかったので、僕は皆が上がった後に行こうと思っていたのだ。


 「あのー。先ほど簡単な仕切りを作っておきましたから、フーカ様もすぐに入れます」

  

 僕がテーブルで皆を待っていると、メイドさんが声を掛けてくれる。

 僕のために仕切りを作ってくれた心遣いがとても嬉しい。


 「ありがとう! 早速、行ってくるね」


 彼女はニコッと微笑み、頭を下げる。

 僕はテントで着替えやタオルを袋に詰めると、浴場へと向かった。




 浴場に着くと、柵の切れ目から中へ入ると、仕切りがあり、『フーカ様』と書かれた看板に、右を示した矢印が書かれていた。

 僕は、その矢印に従って進むと、脱衣できるスペースがある。

 さっそく、脱衣所で服を脱ぐと、中へと入る。

 狭いスペースではあったが、湯船にも仕切りがされていた。

 僕はメイドさんの心遣いに、再び、感謝の気持ちが込みあげてくる。


 温泉へと浸かると、温度が三〇度前後と聞いていたのでぬるいかと思ったが、十分に温かかくて、とても気持ちがいい。

 身体に小さな気泡が付き、その気泡を手でなでると、シュワシュワと音を立てて気泡が浮いてきた。

 それが何とも面白く感じる。

 正直なことを言えば、炭酸泉の知識はあったが、実際に入るのは僕も初めてだった。

 こんなに気持ちがいいのなら、近隣のスパにあった炭酸風呂に入りに行けばよかったと後悔してしまう。

 日本に戻れたら大分県の長湯温泉に行くのもいいかもしれない。


 仕切りの向こうからは、キャッキャ、ウフフと女性陣の声が聞こえてくる。

 ちょっと気になるので、仕切りを眺めていると、簡素に造られた仕切りには隙間が多く、女性陣の横切る影が見えた。

 目を隙間に近付ければ覗けるのだろうが、僕の理性がそれを許さない。


 「ん? この柵は何だ?」


 「それは、男湯と女湯の仕切りです」


 アスールさんの疑問にミリヤさんが答えていた。


 「男湯? なるほど、この向こうにフーカがいるのだな。ならば、この柵を取っ払ってしまおう!」


 「「「「「ダメです!」」」」」


 「つまらん」


 アスールさんがとんでもないことを言い出したが、皆が止めてくれて助かった。

 温泉で癒されているはずなのに、何故、ヒヤヒヤしなければならないんだ……。


 「よっ!」


 「「「「「アスール様!!!」」」」」


 アスールさんの掛け声の後に、皆の叫び声が聞こえる。

 すると、仕切り越しにアスールさんの頭がニョキっと現れ、こちらを覗き込んでいたのだ。

 僕は温泉に浸かっているのに鳥肌が立つ。

 まさにその光景は、さらされている生首のようだった。


 「おっ! フーカがいるぞ! フーカ、一人で入っていてもつまらんだろ。こっちにこんか?」


 「行きません! それと、こっちを覗かないで下さい」


 アスールさんのせいで、全然癒されない……。


 「チッ、つまらん男だな」


 彼女は捨て台詞を吐くと、頭を引っ込める。

 何故、舌打ちされた挙句、ディスられなきゃならないんだ……。


 ピキッ、ミシミシ。


 アスールさんが登ったせいで、仕切りから嫌な音が聞こえてくる。

 彼女の指がまだ、仕切りにかかっているということは、ぶら下がっているのでは……。

 次の瞬間、仕切りがしなりだした。

 何だか嫌な予感がする。


 ドバシャーン!


 予想通り、仕切りが大きな音を立てて倒れてしまった。


 「!!!」


 「「「「「!!!」」」」」


 仕切りが無くなり、僕と女性陣の目が合う。

 そして、彼女たちの裸体も目に飛び込んできた。

 手やタオルで隠してはいるが、僕には、その仕草が逆に艶めかしく見える。

 僕がいつまでも凝視していることに気付いた彼女たちは、裸体を隠そうと湯船に肩までつかる。

 アスールさんとケイトは笑っているが、他の皆は頬をヒクヒクさせながらこちらを睨んでいた。

 僕は悪くないと思うんだけど……。




 アスールさんのせいで、男湯と女湯に別けれれていた露天風呂は、混浴へと早変わりしてしまった。

 何とも気まずい空気が漂う。


 「なんだ、なんだ! せっかくの温泉が台無しじゃないか! フーカも、そんな端っこにいないでこっちに来い!」


 「断る!」


 「つまらん」


 アスールさんは、恥じらいもせず能天気に構えているが、僕には、そんな余裕はない。

 無意識に、アスールさんの横にいたケイトと目が合う。


 「ス、ケ、ベ」


 彼女は声に出さずに、口を大きく動かして、僕を罵ってくる。

 悔しいが、この状況では何も言い返せない。


 「ほら、こっちに来い!」


 アスールさんは、裸体を隠すこともせずに近付いてくると、僕の手首を掴んだ。

 僕が彼女の裸体を見ないよう顔を背けているのに、彼女は僕を強引に引っ張り、皆の居る湯船の中央まで引きずっていく。僕は踏ん張ったが、ドラゴンの力には敵わず、引きずられて行くしかなかった。


 皆のそばに連れてこられた僕の目の前には、お湯に浮かぶ彼女たちの膨らみが並んでいた。


 「どうだ! こっちの方が見晴らしがいいだろ!」


 「う、うん」


 アスールさんは、景色のことを言っているんだよね……。

 僕はチラッと女性陣の胸元を見てしまう。


 「フーカ様、アスール様の言っている景色はそっちじゃないですよ!」


 僕がケイトにツッコまれると、女性陣が胸を腕で隠して首まで湯につかった。

 そして、僕を蔑むめで見つめてくる。

 確かに視線を飛ばしてしまったが、悪気はないので勘弁して欲しい。


 「ん? どうした? お主の顔は引きつっているぞ」


 「な、何でもない」


 アスールさんは、空気を読めないタイプなのでは……。


 「こっちの方が、あそこから源泉が垂れ流されているから気持ちがいいのだ」


 彼女は湯船にひかれている木製の導水路を指差す。


 「掛け流しって言うんだ! 垂れ流しじゃ、何だか汚いものみたいじゃないか!」


 「お、おう、そうか。掛け流しだな。うん、分かった」


 僕が声を荒らげると、彼女は驚いたように返事をする。


 もう、限界だ。

 僕はこの場にいる恥ずかしさに耐えきれず、皆とは反対の方向へ逃げ出す。


 チュッ。ドン。バシャーン。


 僕の逃げ出す方向にアスールさんが移動していて、彼女の腹部にぶつかってしまった。

 彼女と一緒に湯船へと沈むが、浅いのですぐに顔を上げる。


 ケホッ、ケホッ。


 少しお湯を飲んでしまった。

 彼女とぶつかった時に、何かひんやりとしたものが唇に触れた気がしたのだが、何だったのだろうか?


 「フーカ様もアスール様も大丈夫ですか?」


 オルガさんが僕たちを心配して、近寄る。

 彼女の褐色の膨らみが、顔のそばで弾むのを目の当たりにして、僕は鼻の奥から何かが垂れてくるのを感じた。

 鼻を触ると手が真っ赤になった。


 「鼻血ですね。フーカ様、鼻を押さえて、下を向いて下さい。鼻を押さえないと、フーカ様の鼻血が温泉に、に、なってしまいますから……ブフッ」


 垂れ流しを強調するケイトに苛立ちを覚えるが、今は言われた通りにするしかない。

 彼女が僕の額から鼻にかけて手をあてると、魔法で冷やしていく。

 そして、ケイトに後頭部を押されるようにして下を向くと、お湯に浮かぶ褐色と白色の膨らみが目の前で揺れていた。 

 せめてタオルを巻いていて欲しかった。

 僕はオルガさんとケイトの膨らみを見て、血液が急激に頭に上ってくるのを感じると、クラクラしてきた。


 もう、混浴はこりごりだと思っていると、ヒーちゃんたちの声が聞こえてくるので、頭を動かさずに、視線だけをそちらに向けた。


 「好きな人との混浴がこんなのなんて、ありえません。とてもショックです」


 ヒーちゃんの言葉に、ミリヤさんとレイリアもがっかりした顔で頷いている。

 僕も同じ意見だ。

 こんなドタバタじゃなくて、もっと、ロマンチックな感じが良かった。

 再び視線を下げると、膨らみがさっきよりも近付いている。

 目をつむればいいのは分かっていても、何故か目をつむることが出来ず、揺れる四つの膨らみを眺めてしまう。

 男の性が恨めしい。

 そして、僕の意識は、徐々に遠くなっていく。

 ああ。また、風呂場でのぼせて、倒れるのか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る