第15話 魔皇帝

 「フーカ様、フーカ様、起きて下さい」


 アンさんに身体をゆすられて、僕は目を覚ます。


 「アンさん、おはよう」


 「おはようございます」


 僕がベッドから出ると、彼女が着替えさせてくれる。

 ファルマティスに来てからは、毎朝のことなのだが、いまだに照れくさい。

 ふと、ヨン君たちが横になっていたベッドを見ると、彼らはいなかった。


 「ヨン君たちは?」


 「二人は浴場です。さすがにあのままでいさせる訳にはいきませんので」


 彼女は返事をしながらも、テキパキと朝食の用意をこなしていく。

 そして、僕が朝食を食べていると、彼女が話しかけてきた。


 「この後、シリウスと剣の稽古をしていただきます。その間に私たちが出発の準備をしておきます」


 「しなきゃダメ?」


 「ダメです! 頑張って下さい」


 ハァーと、溜息を吐きながら頷く。

 食事を終えると、警棒などが収められたベストを着て、支度を整えた。


 「シリウスがロビーで待っています」


 「うん、ありがとう。頑張ってきます」


 「いってらっしゃいませ」


 彼女はそう言うと、廊下まで見送ってくれた。




 ロビーに着くと、壁際にシリウスさんが立っていた。

 僕は手を振って、彼に近付く。


 「フーカ様、おはようございます」


 「おはようございます。ご指導のほど、よろしくお願いします」


 「はっ! かしこまりました。ですが、一朝一夕いっちょういっせきで覚えられるものでもないので、基本とかわし方を中心に教えます。よろしいですか?」


 「それで構いません。よろしくお願いします」


 「では、外に行きましょう」


 二人で玄関を出ると、少し開けた場所へと向かった。


 「この辺りで始めましょうか。まずは素振りをしてみて下さい」


 シリウスさんから木剣を渡されると、僕は両手で木剣を握り、素振りを始めた。


 ヒュン、ヒュン。


 「なるほど。ミリヤ様から、多少なりの武術の心得があるとは聞いていましたが、我々の剣技とは違いますね」


 彼は、僕の素振りに興味を抱いていた。


 「僕は剣道しか知らないんだけど、ダメかな?」


 「そんなことはありません。無理に別の剣技を憶えるよりも、その剣道という慣れ親しんだもののほうがいいですよ」


 彼は優しい微笑みを浮かべて、助言をしてくれる。


 その後、彼が打ち込みや、軽く組手の相手をしてくれたことで、久しぶりに身体を動かせた。


 「久々の運動は、気分がいいです。決闘のための稽古とかではなく、たまに付き合ってもらえますか?」


 「はっ! 喜んでお相手します」


 「ありがとうございます」


 「では、馬車のほうへ向かいましょう。それと、数少ない男同士ですから、私にも、レイリアたちのように気軽な感じで接して下さい」


 「ありがとう。僕も女性ばかりだったので助かります。シリウスさんも僕には気軽に接して下さい」


 「ハハハ。シリウスでいいですよ。公式な場以外ではそうすることにしましょう」




 僕たちは、他にも雑談を交わしながら、馬車の前で待つシャルたちに合流した。


 「稽古はどうでしたか?」


 シャルは、僕を気にかけてくれていたようだ。


 「久々に身体を動かせて、気持ちが良かったよ」


 「そうですか。それは良かったです! それと、今日は、馬車に二人追加で乗りますので、少し手狭になると思いますが、いいですか?」


 「二人? ああ、ヨン君たちね。別に構わないよ!」


 「では、馬車に乗りましょう!」


 シャルの言葉を待っていたかのように、カロッソさんが僕たちの前に来る。


 「この度は、当ホテルにご宿泊いただきありがとうございました。従業員一同、またのお越しをお待ちしております。道中お気をつけ下さい」


 「ありがとうございます。お世話になりました」


 僕はお礼を言ってから、馬車に乗り込む。

 そして、シャルたちも、それぞれがお礼を述べてから、馬車に乗り込んだ。


 「出発します」


 シリウスが声を掛けると、馬車が動き出す。

 窓からは、カロッソさんと従業員たちが馬車の横に並び、深く頭を下げているのが見えた。

 車内ではヨン君と一人の女性が緊張して座っている。

 彼はホテルの従業員の制服を貰ったのか、小さな執事みたいで可愛かった。

 女性のほうはアンさんと同じメイド服に身を包んでいた。


 「ヨン君、緊張してる?」


 「ちょっとね!」


 僕が声をかけると、彼はニコニコと笑顔を向けてから、姿勢を正した。


 「ヨン、ちょっと、あんた、何を軽々しく口をきいてるの!」


 ダークエルフの女性が彼を叱る。


 「だって、この兄ちゃん、魔皇帝様じゃなかったんだよ?!」


 彼女は頭を抱える。


 「私は、魔皇帝様の側仕えをしていたのだから、そんなことは分かっているの! 問題は、魔皇帝様ゆかりの方かも知れないってことなの! ……兄ちゃん?」


 彼女は僕をマジマジと見てくる。


 「僕、男です……」


 僕が苦笑すると、シャルたちは一斉に顔を背けて震える。

 レイリアに至っては、満面の笑みを浮かべて、とても嬉しそうだった。

 また、このパターンか……。


 「……そうですか。女性かと思っていました。申し訳ありません」


 「い、いつものことですから……」


 自分で答えておきながら、虚しさが襲ってくる。


 「あっ、申し遅れましたが、私はダークエルフの里で警備隊長をしておりましたオルガ・ラ・アルテアンと申します。どうぞ、オルガとお呼び下さい」


 オルガさんは、軽く頭を下げる。


 「分け合って、シャルティナ皇女殿下のお供をしているフウカ・モリです。フーカと呼んでください」


 「私たちがフーカさんのお供の気がするのだけれど……」


 「シャル、話がややこしくなるから……」


 「不本意ですが、仕方ありません……」


 シャルは、どこかもどかしそうな顔をしていたが、それは僕も同じだ。


 「二人とも、じゃれ合うのはそのくらいにして下さい。話が進みません!」


 「「ごめんなさい」」


 イーリスさんに叱られると、何故か、条件反射で謝ってしまう。

 それは、シャルも同じようだ。


 「オルガ殿、どうしてフーカ様を狙ったのかを聞いてもよろしいですか?」


 「まだ、聞いてなかったの?」


 イーリスさんが、こちらをキッと睨む。


 「ヒィッ。話を続けて下さい」


 一方、オルガさんは、僕を見つめながら何かを考えているようだったが、少し間をおいてから、話し出した。


 「私が村を出ることになった経緯からになりますが、よろしいですか?」


 僕たちは、黙ったまま頷く。


 「ダークエルフの里へ定期的に来る顔なじみの行商人の新人がヨンを拉致したのが始まりです。最初はそんなことが起きてたとは知らずに、里の住人たちと周辺を探していました。しかし、ヨンがいなくなって三日が経ち、本格的な捜索が始まりました。すると、行商人が里を去った後から、いなくなっていた事が分かりました。おそらく、行商人のキャラバンに付いて行って迷子になったと推測した私たちは、里の外の捜索をしながら、行商人の後を追う事にしました。そこで、里の外に詳しい私が行商人の後を追いました。しかし、行商人の痕跡しか見つけられず、行商人が拠点としている都市まで着いてしまいました」


 オルガさんは少し間をおいてから、再び話し出す。


 「私は行商人の代表を訪ね、協力を頼みました。彼はとても協力的で、新人が大金でそそのかされて拉致した事を突き止めてくれました。直ぐにその者を問い詰めると、奴隷商に売られた後でした。そこで、代表が買い戻し金を用意し、私が奴隷商に駆け込みました。ですが、ヨンはカーディア帝国の奴隷商へと引き渡された後でした」


 シャルたちが苦悶に満ちた顔をしている。


 「その後、代表が私の旅費を工面してくれたので、カーディア帝国帝都まで追いかけてきましたが、ヨンはカーディア帝国貴族に売られた後でした。私は、奴隷商からは貴族の名前を教えてもらえず、途方に暮れていました。すると、ヨンが従属の首輪を付けて現れました。しかし、ヨンと一緒にいた者は、貴族ではなく闇ギルドの者でした。ヨンを取り返したくても、主になった貴族が分からなければ、首輪を外すことはできません。その後、私はヨンを人質に従属魔法を掛けられ、盗みや情報収集などの仕事をやらされました。幸い、私がダークエルフだった事で、身体を求められたり売る事はありませんでした。闇ギルドは、私に暗殺の仕事をさせたいようでしたが、それだけは、私も死を覚悟して断っていました。ですが、今回は、ヨンが刺客にされており、成功報酬に首輪の鍵を追加されました。それが嘘だと分かっていても、ヨンを一人で送り出す訳にもいかず、私が一緒に行うことにしました」


 「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 彼女が話し終えると、シャルが深く頭を下げ、他の者も頭を下げる。

 シャルたちは、カーディア帝国貴族が関わっていたことを恥じ、そして、怒っていた。


 「いえ、皇女殿下、頭をお上げ下さい。皆様もお上げ下さい。皆様方が悪いわけではありません」


 オルガさんは驚き、僕は、皇女のシャルが自国の者の非を認め、頭を下げていることに感心した。


 「事情は分かりました。エルフの男性は少ないので、収集したがる馬鹿者が多いのです。それに、エルフ側に高額で売りつけることも出来ますからね」


 ミリヤさんはそう言うと、眉間に皺を寄せた。


 「そういえば、ミリヤさんもエルフだったね」


 彼女は笑っていたが、シャルたちは頭を抱えていた。

 僕は皆の様子に首を傾げた。


 「ミリヤ様は、エルフの最高位にあたるハイエルフです!」


 オルガさんが驚いた表情で、教えてくれる。


 「へぇー、そうなんだ。ミリヤさん、エルフの中でも偉かったんだ」


 ミリヤさんは口に両手をあてて爆笑しだしたが、シャルたちは額に手をあてて天井を仰いだ。


 「まあ、フーカさんですから……」


 シャルがあきらめた。

 「仕方ないですね」や「いい加減、慣れないといけませんね」とぼやく声が周りからも聞こえてくる。

 僕はとても心外だったが、黙って耐えた。


 「兄ちゃん、もっと勉強したほうがいいぞ!」


 ヨン君の言葉に、シャルたちが爆笑する。


 「ヨン、あんた、なんてことを言うのよ!」


 オルガさんの顔が青ざめる。

 そして、ヨン君を叱った。


 「まあ、まあ」


 僕は、彼女をなだめる。


 「モリ家の方になんて失礼なことを……。ハァー」


 彼女は、溜息を吐きながら頭を抱える。

 その言葉に、シャルがギョッとした顔をした。


 「オルガさん、モリ家って……フーカさんの家族のことを知っているのですか?」


 「家族かは分かりませんが、一族の方には会ったことが……というか仕えていたことがあります」


 「モリは姓だから、たまたま重なっただけじゃないの?」


 日本でも漢字は違うけど、モリと呼ぶ姓は多い。

 シャルは顎に手を添える。


 「その方が誰だか教えてもらうことはできますか?」


 オルガさんは少し悩んでいた。


 「本当は名を教えてはいけないのですが、フーカ様もいますから許されるでしょう。……その方は、魔皇帝カザネ・モリ様です。彼女から、モリ家の者が現れた力になるようにと言われています」


 「はぁぁぁ!!! 姉ちゃんが何で魔皇帝なんてやってるの!?」


 思わず、叫んでしまった。

 そして、僕の言葉を聞いた車内にいる者が固まる。

 もちろん、僕も放心状態だ。


 「フーカ様、落ち着いて下さい! 私が仕えていたのは一〇〇年前のことです。カザネ様は既に神々の世界にお戻りになられました」


 オルガさんは、フォローのつもりだったのだろうが、一〇〇年前と言われ、僕はさらに混乱する。

 シャルと目が合う。


 「僕の姉ちゃんって、何歳なの?」


 「何で私が知っているんですか!? フーカさんの家族のことでしょう。私に聞かないで下さい!」


 僕が視線をずらすと、ミリヤさんと目が合った。


 「私に聞かれても、フーカ様の記憶を見ただけですから、フーカ様が知らないことは私も知りません」


 彼女は困り顔で、僕が聞く前に即答してきた。


 「魔皇帝様の絵は、兄ちゃんとそっくりだったぞ!」


 「そうなんだ。ということは、姉ちゃんの写真があれば。ヨン君ありがとう!」


 僕がヨン君の頭を優しくなでると、彼は喜んだ。

 そして、スマホのアルバムから姉ちゃんの写真を探す。


 「あった! これこれ。オルガさん、オルガさんの言っている人ってこの人?」


 彼女にスマホを突き付けて、画面の写真を見せる。


 「ああ-。カザネ様です。懐かしゅうございます。それに、カザネ様とは違うスマホなんですね」


 彼女は涙を流して懐かしがっていたが、僕は再び放心状態に入る。


 「そろそろ、休憩にしようと思いますが、よろしいですか?」


 シリウスが馬で馬車に駆け寄った。


 「そ、そうね。そうして下さい」


 シャルは少しぎこちなく答える。


 「フーカ様たちが放心していますが、何かあったのですか?」


 「えーと、フーカさんがやらかしたんじゃないんだけど、間接的には関わってるかな……。そうだ、シリウスは魔皇帝のことを何か知ってる?」


 「魔皇帝……。ビルヴァイス魔王国の『撃滅げきめつ魔皇帝まこうてい』の事ですね。確か、敵軍を反抗できぬほどに壊滅して、争った国の軍事力を皆無にした伝説の方ですね。私が知らされているのはそれくらいです。……そういえば、魔皇帝がいた頃の当主が残した言葉と言うか、伝承みたいなものに『魔皇帝と相まみえたなら、降伏せよ。ゆかりある者が現れたならば敵対するな』というのがあります」


 シャルの顔から血の気が引いた。


 「そう、そうなの。ありがとう。休憩の準備をお願い」


 「はっ!」


 彼はその場を離れて行った。

 車内では、その話しを聞いていた者たちが沈黙を続ける。


 「魔皇帝様かっけー! 兄ちゃん、魔皇帝様の弟だったんだ。すげー!」


 ただ、ヨン君だけが興奮していた。


 「あはははは……」


 僕は愛想笑いをするのが精一杯だった。


 「レイリア、フーカ様と決闘して大丈夫? シリウスの話しだと、『ゆかりある者が現れたならば敵対するな』って言われてるけど……。フーカ様って思いっ切りゆかりのある者だと思うけど……」


 ケイトが思い出したことを唐突に振った。


 「私だって困ってるんです。今になって、そんな新事実が出てくるなんて思ってもみなかったから……。ケイトー、どうしよう?」


 「フーカ様なんだから、あきらめなさい」


 「そうですよね。フーカ様ですからね……」


 レイリアはシュンとしてしまった。

 本人のいる前で、人を腫物はれものみたいに扱わなくても……と、僕もシュンとしてしまう。




 馬車が止まった。

 休憩をする場所に着いたようだ。

 僕たちが疲れた表情で降りると、事情を知らない人たちが、その表情を見て驚いていた。


 「いつものことだから、気にしなくていい。作業を続けてくれ!」


 シリウスが苦笑しながら、フォローを入れてくれる。


 いまだに心の整理がつかない僕たちが用意された椅子に座ると、アンさんがお茶を出してくれる。


 「アンお姉ちゃん、ありがとう!」


 ヨン君だけは、とても元気だった。

 彼を見ているだけで元気が出てきて、微笑んでしまう。


 僕は、少し考えを整理することにした。

 姉ちゃんは神隠しにあった事がある。それは、ファルマティスへの転移だったのだと思う。

 さらに、転移の時間軸が不確定なようだ。

 そして、椿ちゃんたちが僕を見つけるのは難しいかもしれないから、こちらから連絡を試みる必要がある。

 結局、ウルス聖教国で連絡を取らなければ分からないことだらけだ。


 それにしても、『撃滅の魔皇帝』って……。

 彼女が敵国をねじ伏せる姿を想像する……。

 あの人ならやりかねないというか、その程度で済んでたのかが気になる。

 そして、その人物と姉弟だと思うと、何だか恥ずかしくなってくる。




 料理が準備され、昼食をとっていると、シリウスが報告に来た。


 「シャル様、イルガ村で補給をし、トラロ村との中間あたりで野営をします」


 「よろしくお願いします」


 彼女が答えると、シリウスは立ち去って行く。


 「シャル、イルガ村には宿がないの?」


 「いえ、あります。ですが、小さな農村ですから、私たちが宿泊したら、村にとってはおおごとになってしまいます。それに、村人も落ち着かないでしょう」


 「なるほど」


 僕はシャルの回答に納得して、頷いた。


 その後、食事を終えた僕たちは、車内でのんびりとしていた。


 「出発します」


 シリウスの声が掛かると、馬車が動き出す。


 「コホン。では、話の続きですが、フーカ様は、魔皇帝の弟で間違いないのですね!?」


 「はい!」


 僕が元気よく返事をすると、イーリスさんは額に手を当てる。


 「なんで、開き直っているんですか! もういいです。本人の確認も取れたので、フーカ様の件はここまでとします」


 僕に呆れたような表情を見せた彼女は、顔を真面目な表情に戻すと、オルガさんに視線を向ける。


 「オルガ殿はこれからどうするおつもりですか?」


 「フーカ様にお仕えしたいです」


 オルガさんに迷いは感じられなかった。


 「そうですか。ですが、フーカ様は魔皇帝にはなりませんよ。たぶん……」


 最後に付けた「たぶん」が気になるが、今は話しを止めないことにした。


 「構いません。私がカザネ様とのお約束を守りたいだけです」


 「では、ヨン君はどうするのですか?」


 「里に手紙を出し、迎えをよこしてもらいます。もともと、迎えに来た者と合流して帰る予定でしたから」


 「分かりました。オルガ殿には、こちらの事情を後でお話しします。殿下、よろしいですか?」


 イーリスさんは、シャルに尋ねる。


 「ええ、構いません。今は一人でも多くの信頼できる仲間が欲しいですからね。オルガさん、よろしくお願いします」


 「はい。皇女殿下、こちらこそよろしくお願いいたします」


 オルガさんは、シャルに頭を下げた。


 「勝手に俺のことを決めてるけど、俺は兄ちゃんのそばにいるよ!」


 ヨン君が僕になついてくれたことが嬉しくて、少しウルウルしてしまう。


 「何言ってるの! あんたは里に帰りなさい!」


 オルガさんが少し困った顔をする。


 「えー、だって、兄ちゃんって巻き込まれ体質だろ! そばで見ていると面白い……飽きないじゃん!」


 車内に笑い声があふれていく。

 しかし、オルガさんだけは、頭を抱えていた。


 「ヨン君、僕の感動を返してくれ!」と、僕は心の中で叫んだ。


 「オルガ殿、質問してもいいですか?」


 ケイトが真面目な顔をしている。


 「何でしょう? ケイト様」


 ケイトが両腕を抱えて身震いをした。


 「あのー、様を付けるのをやめてもらえますか。魔皇帝に仕えていた方に様を付けられると、こそばゆいです」


 「では、私のこともオルガとお呼びください」


 「私も様付けは無しでお願いします。オルガ殿……オルガ」


 レイリアが便乗した。


 「はい、レイリア」


 オルガさんは、照れくさそうに言った。

 そして、ケイトが話を戻す。


 「では、質問ですが、オルガはスマホを知っていたのですか?」


 「ええ、カザネ様がスマホを使って日本の事とかを教えてくれましたから」


 「では、オルガが教わったことを、私にも教えて下さい!」


 「いいですが、フーカ様に聞いた方が早いのでは?」


 「ええ、そうなんですが……。フーカ様は説明下手せつめいべたっぽいところがあるので、オルガから基礎知識を教わりたいのです」


 「兄ちゃん、言われてるぞ! 言い返さなくていいのか?!」


 ヨン君が茶化してくる。


 「黙れ、ちっこいの!」


 「ちっこい、言うな!!!」


 再び、車内が笑い声で溢れた。


 「フー。ヨン君がいると車内が楽しくていいですね!」


 シャルの言葉に、ヨン君が顔を真っ赤にして黙っている。

 その光景は、見ていて微笑ましい。


 「オルガ、私のことはシャルでお願いね。それに、アン、イーリス、ミリヤにも様を付けなくていいわ。魔皇帝の右腕と呼ばれたダークエルフの側近がいたと聞いたことがあるの。それって、あなたのことでしょう?」


 「シャル様、そ、それは昔のことです」


 オルガさんは顔を真っ赤にする。


 「えっ? オルガさんって、凄い人だったの?」


 「『褐色かっしょくの風』と呼ばれ、暗殺を得意としていましたが、剣士としての実力も秀でていたそうです」


 シャルの説明に、僕は身震いをした。


 「それって、僕が姉ちゃんに似てなかったら、今頃……」


 シャルが首を手で斬る身振りをした。

 今になって、血の気が引いてきた。


 「その名は秘密にして下さい。それと、あの時、フーカ様のそばには、アンがいましたから、失敗していたでしょう。『死神アーネット』の名は、魔王国にまで響いていますから」


 アンさんが笑顔でオルガの肩に手を置く。


 「オルガ、それは禁句ですよ!」


 凄い威圧感が車内を包む。

 そこにいた者は皆、蒼白となった。


 「す、すみません。肝に銘じておきます」


 オルガさんは、青ざめた顔で謝罪する。

 すると、威圧感は消え去ってしまった。


 「アンさんって……」


 シャルたちが僕にだけ見えるようにして、一斉に指で小さなバツを作った。


 「何ですか?」


 アンさんは微笑んでいるのだけど、目に見えない圧を感じ、僕の背筋が凍りつく。


 「な、何でもありませんでした!」


 僕は、アンさんのことを無暗に探らないことを心に誓った。


 「兄ちゃん、女性の過去を暴こうとするのは感心しないぞ!」


 「ごもっともです」


 そう答えた僕はうつむく。

 ヨン君に諭されたのが悔しい。


 「でも、お姉ちゃんって、凄い強くて立派だったんだな! ずーっと、里の門番ってイメージだったから立派なのは胸だけだと思ってたよ!」


 ゴツン!


 「ぐぅぅ。いってぇー!」


 ヨン君の頭頂部に、オルガさんのゲンコツが炸裂した。

 僕とシャルたちは笑いをこらえる。


 「プフ。ヨン君、オルガさんは僕の姉ちゃんの側近だったんだよ。そんな軽はずみなことを言っていたら、命を落とすよ!」


 「フーカ様、それはどういう意味ですか?」


 あれ? 矛先がこっちに向いてしまった。


 「いや、姉ちゃんは『降りかかる火の粉は払わず火元ごと消す!』をモットーにしている人だよ! あの人に喧嘩売ったら、精神を壊されてもおかしくないんだよ! その側近になれるなんて……家族、親戚、神様からみても凄いことなんだから!」


 「あ、ありがとうございます。そうですね、カザネ様の事は傍で見ていましたが、確かにあの方はすさまじかったです! 戦略でも戦術でも敵を精神的に追い込み、自暴自棄にさせたり、パニックを起こさせたりと、不安や不信をあおって壊滅させていましたから……。我々は彼女の味方で良かったと、よく語りあっていました」


 「うわー。やっぱり……。僕からしたら姉ちゃんの側近になれるほどの人材っていうだけで、凄いってことをヨン君に教えたかったんだけど、誤解させたのなら、ごめんなさい」


 「いえ、フーカ様。私のほうこそ、感情的になってしまって……すみません」


 何とか誤魔化せた。

 ホッとした僕は、オルガさんは目が合う。

 すると、お互いに笑いだしてしまった。

 しかし、車内の空気が重いので、シャルたちを見ると、皆はフリーズしている。

 ヨン君に至っては、内容が難しかったのか、首を傾げてポケーとしていた。

 突然、シャルがビクッとする。


 「フ、フーカさん。お、お姉さんって、もう、ファルマティスには戻ってこないですよね?」


 「一度帰ったんだから、来ないんじゃないかな!? それに、来たとしても僕とオルガさんがいるんだから、味方になってくれると思うよ」


 「そ、そうですよね。ハハハ……」


 シャルが愛想笑いをするなんて、初めて見た。

 そして、皆がホッとした表情になる。




 しばらくして、馬車の速度が落ち、そして、停まった。


 「イルガ村に着いたので、物資補給のために少しの間、停車します。それと、さ気ほどの異様な殺気は何事ですか?」


 シリウスが少し心配していた。


 「何でもないの。ちょっと、アンが暴走しただけだから……。そうそう、あなたはオルガの二つ名に勘付いていると思うけど、それは秘密にしてあげて!」


 「はっ! 承知しました。二つ名……なるほど、そういうことですか!」


 シリウスはアンさんを一目見ると、スッキリとした笑顔で去って行く。


 僕はヨンと一緒に窓の外を見る。

 のどかな農村といった落ち着く感じの村だった。

 村人の服装はつぎはぎだらけだったが、痩せこけた人はいない。

 貧しいけど、飢えるほどではないのだろう。


 農村の風景に癒されていると、補給を終えた馬車が動き出した。

 僕たちは野営予定地に向けて進みだす。


 「兄ちゃん、ごめんね」


 ヨン君が唐突に謝ってきた。


 「どうして?」


 「俺が一緒だと、兄ちゃんがハーレムを楽しめないだろ!」


 「やかましいわ!」


 僕たちを乗せた馬車は、笑い声と共に進んでいくのだった。

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