第73話 おにーさまの恋愛アドバイス

 ウィルジアが律儀に二番目の兄エドモンドの元へ通い続け、エドモンドがそれに応え続ける日々も日常になりつつある今日この頃。

 エドモンドはとどめの一撃でウィルジアを盛大に地面にうち伏せたあと、唐突に質問を投げかけた。


「なあウィルお前さぁ、あの使用人のこと好きだろ」

「…………」


 ウィルジアは空を見上げながら、乱れた呼吸を吐き出すだけで何も言わなかった。

 エドモンドは何を思ったのか、ウィルジアの体を跨いで上から見下ろしてきた。母親譲りの美貌の顔立ちにニンマリと意地の悪い笑顔を浮かべている。


「何で答えない?」

「兄上には関係ない」

「こんなに修行に付き合ってやってるのに?」

「ぐっ」


 そう言われてしまうとウィルジアには反論しづらかった。

 国の第二王子であり、騎士団で中佐の地位にいるエドモンドは本来忙しい身の上だ。なのにウィルジアの訓練に律儀に付き合ってくれているのだから、ウィルジアとて多少の義理は感じている。それがどれほど過酷で無茶苦茶な内容の訓練であろうとも、エドモンドが時間を割いて見てくれているのには変わりがない。

 何も言わないウィルジアに、エドモンドが言葉を重ねてかけた。


「別に悪いことじゃないと思うぜ。ウィルが誰か他の人間に興味を持ったっていう事実が、おにーさまとしてはこの上なく嬉しいからな! もしかして身分差とか気にしてんのか?」

「リリカは二百五十年前に滅んだ侯爵家の血を引いているから、身分差はないよ」


 咄嗟にそんな返事をすると、エドモンドは赤い瞳を見開いて少し驚いた顔をした。


「そんなことまで調べ済みなんだ?」

「調べたっていうか……たまたまその時代の文献の研究をしていたから気がついたっていうか」

「ふーん?」


 兄はニヤニヤ笑いを引っ込めることなくウィルジアを見つめ続けている。ウィルジアは居た堪れなくなって兄から視線を逸らした。


「それで?」

「……それでって?」


 兄の質問の意図がわからずに聞き返す。


「ウィルはあの使用人のことが好きで、身分差はない。だったら何に遠慮してんだよ」

「何って……」

「好きならもっと押してけばいいだろ。一緒に住んでんだろ? あの使用人だってウィルを好きそうだったし、何も問題ないじゃん」



 兄の言わんとすることがわかって、ウィルジアはブンブンと首を横に振った。


「リリカは僕が主人だから敬ってくれているだけだ。別に僕本人を好きだとか思っていないよ。僕なんかに好かれたって、迷惑なだけに決まってる」

「お前それ本気で言ってんの?」


 兄の声には呆れの色が混じっていた。


「騎士団に乗り込んで俺と切り結んでまでお前を取り返そうとしたんだぞ? 一片の好意もない、ただの主人だと思っている相手のためにそこまでするか?」

「リリカはそういう風に教え込まれて育っているから。この前も、ハリー兄上の子供が森で迷子になった時、真っ先に馬に乗って捜索に乗り出したし。相手が僕じゃなくたって主人のためならリリカはそうするよ」

「お前なぁ」


 ここでとうとうエドモンドは肩を落として盛大なため息をついた。ウィルジアとしては、何も間違ったことは言っていないのだから、そんな態度を取られるのは心外である。騎士団に現れたあの時のリリカは主人のピンチに駆けつけただけであって、別にウィルジア個人に特別な感情を抱いていないだろう。

 エドモンドはおもむろに顔を上げると、馬乗りのままウィルジアの両肩を掴んだ。相変わらず力加減がおかしいので、肩に指が食い込んで痛い。


「兄上、痛い」

「ウィル、謙虚さは美徳かもしれないが、お前のその自己肯定感の低さはどうかと思うぜ。もっと自分の欲望に素直になれよ」


 いつでも自分の欲望に素直な兄は、そんな励ましの言葉を送ってきた。


「剣術が苦手で、いつも俺から逃げ回っていたウィルが、こうして毎日俺のところに来て訓練してんだぞ? そうまでして守りたいと思っている相手なら、もっと貪欲に求めていこうぜ! いっそ押し倒しちまえ! 案外受け入れてもらえるかもしれないだろ!」


 王族とは思えない乱暴な提案である。ウィルジアの頬は引き攣った。


「そんなことしてリリカに嫌われたら、僕は立ち直れない」


 そもそもウィルジアが力任せにリリカを押し倒せるとも思えない。現時点で、リリカはウィルジアよりも力が強いだろう。返り討ちにされた挙句、ウィルジアを見下し「最低です! お仕事辞めさせていただきます!」と言いながら去っていくリリカが脳裏に浮かんだ。


「なんだよー、じゃあウィルはどうしたいわけ?」

「どうもこうも、今まで通りでいいよ」

「本当に?」

「…………」

「本当に今まで通りでいいのか? モタモタしてるうちに別のやつに取られても?」


 エドモンドの容赦ない質問の嵐に、ウィルジアはしどろもどろになった。


「リ、リリカが幸せになるなら……僕の元を去っても仕方ないかなって」

「じゃあ俺がもらう」

「!?」


 エドモンドの爆弾発言にウィルジアは目を見開き兄の顔を見た。兄は大層楽しそうに、悪魔のような笑みを浮かべている。


「お前がそんな風に思ってるなら、あの使用人、俺がもらう。戦場にも連れて行けそうだし、俺の隣に立つのにピッタリだ。いいだろ別に」

「ダメに決まってるだろ!」


 ほとんど何も考えず、ウィルジアは拒否した。


「大体、兄上のところに行ったってリリカが幸せになれる未来が見えない」

「俺は第二王子だし、顔だって良いし人気もあるぜ」

「そうかもしれないけど、ダメだ。兄上にリリカはあげられない」

「ふーん」


 兄の笑みがますます深まった。


「結局お前の中に、あの使用人を独占したい気持ちがあるんだろ。いい加減自分に正直になって、先に進めば? さ、今日の稽古は終わりだ」


 それだけ言うと、エドモンドはウィルジアの上から退いてくるりと背を向けてしまった。

 ウィルジアもようやく立ち上がると、エドモンドの後について騎士団本部を後にする。

 帰り際、エドモンドのセリフが脳裏にこびりついて離れなかった。

 自分の気持ちに蓋をして、気づかないふりをするのももう限界に近かった。少しずつ欲張りになっている自分が、時折溢れて不意に顔を出してしまう。

 例えば、守りたいと思ったこと。

 森の中でピクニックをした時、隣でごはんを一緒に食べて欲しいと思ったこと。

 リリカが笑顔を向ける相手がずっと自分であればいいと思っているし、恥ずかしそうに慌てる顔が可愛いなと思ってしまうし、元気にくるくる働く姿が眩しいなと思ってしまう。

 兄が言ったように、今すぐ押し倒してどうこうしたいというわけではなく、単純にウィルジアはリリカのことをもっと知りたいと思っていた。

 リリカは今まで、誰と関わり、どういう風に生きてきたのだろうか。

 自分以外の人と接するリリカは、どのような態度になるのだろうか。

 ウィルジアはリリカを、ウィルジアの生活の範囲内でしか知らない。

 それはどうしても「主人」と「使用人」という垣根を超えられず、リリカがウィルジアに見せる態度は仕事の範疇のものである。


(……もっと素のリリカを見てみたい。下町でのリリカの様子とか知りたい。それからリリカのおばあさんにも挨拶したいし、いつもリリカに世話になってるお礼も言いたい)


 そう思ってしまう程にウィルジアは重症で、兄が言う通りリリカを独占したい気持ちが根付いているのだろうなと、どこか冷静に考える自分がいるのだった。

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