第74話 リリカのお願い
リリカは厨房でそろそろ帰ってくるウィルジアのために夕食の準備をしつつ、暦を数えていた。
現在、夏初月の初め。
ということはもうすぐ、年に一度の欠かすことの出来ない大切な日を迎えることとなる。
「平民の万霊祭」と呼ばれるその日は、故人の魂を弔うための大切な一日で、この日は亡くなった人の魂が現世に降りてくると言われている。
降りてきた故人をもてなすために、皆仕事を休みにしてご馳走を作って迎え入れる準備をするのだ。
大切な人たちと亡くなった人のことを思いながら過ごす一日は、両親がいないリリカにとってとても重要な意味を持つ。生きている大切な人と、亡くなった大切な人が一堂に会する年に一度の大事な日。
リリカの大切な人というのはたくさんいる。
ヘレンおばあちゃんに、下町で暮らす近所の仲の良い人たち。
そこにお屋敷で働き始めた今、ウィルジアも加わっており、しかもその存在感はかなり大きかった。
リリカのご主人様は、優しくて頼りになって、そして最近はとてもかっこいい。
リリカのことを大切に思ってくれて、いつも気遣ってくれていて、些細なことでも「ありがとう」と言って笑ってくれる。ウィルジアのことを思い出すだけでリリカはドキドキするし胸がきゅうっとなる。
そんなウィルジアとともに万霊祭を迎えたいなと思うリリカであったが、無理なことも重々承知している。
「ウィルジア様は、王族で、公爵様で、私のご主人様で、尊い身の上の方だから……下町で行われる平民の万霊祭なんかに誘ったらダメよね……」
リリカはしゅんとした。
リリカとウィルジアの間を隔てる身分の差は果てしなく高く、深い。
乗り越えることは不可能だし、リリカは分をわきまえるべきである。
優しい主人を困らせるような発言は、控えなければ。
「……今日ウィルジア様が帰ってきたら、お休みが欲しいってことはお願いしよう」
わがままを言わないようにして過ごしているリリカだったが、外せない行事を前にして、屋敷で働き始めて初めて、私用のためにウィルジアに休暇をお願いしようと考えた。
そうこうしているうちにウィルジアが帰宅をする気配がして、リリカは屋敷の中から外へ出る。
すっかり乗馬に慣れたウィルジアが、ロキから降りたところだった。
以前のように馬車で送迎できなくなってしまったのは残念だが、ロキに乗るご主人様もカッコいいなぁと思いながら、リリカは出迎えてお辞儀をした。
「おかえりなさいませ、ウィルジア様」
「うん、ただいま。何か変わったことはなかった?」
「はい。今日もいつも通りの一日でございました」
「ならよかった」
ウィルジアに引かれてロキが馬小屋へ連れていかれる。ウィルジアが毛並みをブラシで梳くと、大人しくされるがままになっていた。その隙にリリカが飼い葉桶の中を飼葉で満たす。
馬の世話を終え、屋敷に向かって歩きながらウィルジアが額にじんわり浮かぶ汗を拭った。
「すっかり夏になったね、夜でも暑い」
「左様でございますね。湯浴みの準備をしますので、汗を流してさっぱりしてください」
「ありがとう。……ところでリリカは暑くないのかい?」
ウィルジアは、いつも通りの使用人服で佇むリリカを見て疑問を呈した。リリカは胸を張って言う。
「使用人たるもの、暑さ寒さを感じさせずいつでも涼やかな佇まいでいるべしと教えられておりますので」
「相変わらず、ものすごい教えだね」
「ご主人様を差し置いて、暑いだの寒いだの言っていられませんから!」
「いや、言ってもいいと思うけど。もっと人間らしく過ごそうよ。せめて夏の服を着よう」
リリカは己の感情よりも職務を優先すべしとの心意気を植え込まれて育っているので、ウィルジアの提案はなかなかに難しく、受け入れ難い。だが。
「……ウィルジア様がそうおっしゃるなら、努力してみます」
「うん」
「ですが、とりあえずウィルジア様の湯浴みとご夕食です。準備をいたしますので、お待ちください」
ウィルジアの湯浴みの準備をし、夕食の支度に取り掛かったリリカは、今ならばお願いを言い出しやすいのではないかと考えた。
そうして夕食の給仕を勤めたリリカは、食後のコーヒーを淹れたタイミングでウィルジアに思い切って話しかける。
「ウィルジア様、実はご相談があるのですが」
「何だろう」
「夏初月にある万霊祭に、お休みをいただけないでしょうか」
ウィルジアはぴたりと動きを止めて、リリカの顔をじっと見つめた。
「万霊祭って、亡くなった人の魂が現世に降りてくるっていう日だよね」
「はい」
「ひと月早くないかい? 確か夏中月だと思ってたけど」
「あ、説明が足りずに申し訳ありません。公式な万霊祭と、平民の間で行われる万霊祭には日にちにずれがありまして、下町では夏初月の十五日に万霊祭が行われるんです。というのも、公式な万霊祭は上流階級の方々のために働く必要があって、平民は休めないので、ひと月早くに行われるんです」
「あぁ……なるほど、そういう理由があったんだ。全然知らなくてごめん。ご両親の魂が還って来るんだから、勿論いいよ」
「ありがとうございます!」
快諾してもらえたリリカは安堵し、ウィルジアに心からの礼を言う。
ウィルジアはふと首を傾げて問いかけてきた。
「ところで万霊祭は、死者の魂が降りてきて一緒に食事をする日だと思っていたんだけど、リリカはおばあさんと二人で当日を迎えるのかい?」
「それも上流階級の方々の習慣なので、平民はちょっと違うのです」
リリカは追加で説明をする。
「貴族の方々はお屋敷でご馳走を用意できますが、平民は色々な料理を作るのが金銭的にも家の設備的にも難しいので、ひと家庭につき一品ずつ料理を持ち寄って、皆で広場に集まるんです。なので当日は、朝から家で一番得意な料理を作ったり、広場を綺麗に掃除してから机や椅子を運んだりするので、何かと忙しいんですよ」
「へえ、そんなことになっているんだ。全然知らなかった」
それから何を思ったのか、ウィルジアはしばし考えたのちに、唐突にこんなことを言い出してきた。
「それって、僕も参加できないかな」
言われたことの内容が理解できず、しばし考えたのち、リリカは叫んだ。
「……えぇ!? ウィルジア様が!?」
「うん。リリカのご両親の魂がやって来るなら、僕もぜひ行きたい」
これは、ウィルジアにも一緒に参加して欲しいと密かに考えていたリリカの妄想だろうか、と訝しむ。
ウィルジアの方から行きたいと言ってくれるなんて、そんな都合のいい話があるのだろうか。リリカは内心の込み上げてくる嬉しさを隠しつつ、言う。
「ですが、王都の下町の一角で行われるので、ウィルジア様のように高貴な身の上のお方が来るような場所ではありませんよ」
「でもリリカの知り合いがたくさん来るんだろう?」
「はい。知り合いばかりです」
「おばあさんも来る?」
「はい」
「なら僕も、リリカの知り合いに会って挨拶をしたいから、行きたい」
「え、な、なぜ私の知り合いに会いたいんでしょうか」
「リリカにはいつもお世話になってるけど、僕はリリカのことあんまり知らないから……リリカについてもっと知りたいなって」
「…………!」
リリカのことを知りたいとか、知り合いに挨拶をしたいとか、そんなことを言われたらとても嬉しくなってしまう。
リリカが密かに喜びを噛み締めて黙っていると、ウィルジアは小首を傾げて控えめに問いかけてきた。
「ダメかな……やっぱり迷惑かな」
「い、いえ、あのっ。迷惑じゃないです。……嬉しいです」
「ほんと?」
「はい。万霊祭は私にとってとても大切な日で、できればウィルジア様も一緒にいてくれたらいいなぁって考えてたので……ウィルジア様の方からそうおっしゃっていただけて、本当にとても嬉しくて……なんだか夢みたいです」
ふわふわする気持ちで銀のトレーを胸元でぎゅっと抱えつつそう言えば、ウィルジアは照れたような顔を見せてくれた。
「そんなに喜んでもらえるなら、良かった。当日は僕も手伝うから」
「はい。よろしくお願いします……え? 手伝いですか?」
「うん。行くなら手伝いくらいしないとダメだろう。雑用くらいならできると思うから、なんでも言って」
「ウィルジア様に、雑用ですか?」
「机とか椅子くらいなら運べるよ」
「え、ええええ……?」
ウィルジアが来てくれるのは嬉しいのだが、雑用をさせるというのは大変申し訳ない。
どうしようと混乱するリリカをよそに、ウィルジアは「楽しみだなぁ」と言っていた。
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