6部

第72話 リリカと夏の星

 リリカが五歳の時の話だ。

 おばあちゃんと暮らし始めて半年ほど経ったある夏の夜、リリカは刺繍糸を巻き取りながら、目の前で刺繍をしているおばあちゃんに尋ねた。


「ねえおばあちゃん。死んじゃった人ってどこに行くんだろうね」


 何気ない疑問だった。

 いなくなってしまった両親は、どこに行ってしまったんだろうと思ったのだ。

 おばあちゃんは刺繍をする手を止めずにリリカに答える。


「空へ」

「お空?」

「そう。人は死んだら空へと還る。それで星になって地上にいる人を見守ってくれる」

「ほんと?」

「ほんとさ。おばあちゃんが嘘をついたことがあるかい」


 リリカは少し考えて、それから首を横に振った。

 おばあちゃんはリリカに色々なことを教えてくれるが、そのどれもが正しい。

 おばちゃんの言う通りにすれば、美味しいパンが焼けるし、庭には綺麗に花が咲く。


「お貴族様の間ではこんな行事があるんだよ。……夏中月の十五日には、星になった人たちが降りてきて、一夜限り生きてる人に会いにきてくれる。と言っても魂だけの状態だから姿を見ることはできない。けれどもそこにいることは確かだから、ご馳走を振る舞っておもてなしをするのさ。魂だけの人たちが眩しくないように、シャンデリアに明かりは灯さない。テーブルに置いた蝋燭と、窓から差し込む月明かりのみで夜を過ごすんだ。静かで厳かで、神秘的な一夜の万霊祭だ」

「お貴族様だけ? 私たちのところには会いにきてくれないの?」


 するとおばあちゃんは、刺繍をする手を止めてリリカに笑いかけてくれた。


「もちろん会いにきてくれるとも。ただ、平民の万霊祭はひと月早いんだ。夏初月の十五日に星から魂になって地上に降りてきてくれる」

「なんで早いの?」

「夏中月に来たって、平民はお貴族様のために働いてるから、ゆっくり一緒にいられないだろう? だから気を遣ってひと月早く来てくれるんだよ」

「やっぱりおもてなしするの?」

「ああ、するよ。と言っても、お貴族様みたいに厳かにやるわけじゃない。一つの家で作れる料理なんて限られてるから、みんなで広場に持ち寄って、そこで遅くまで騒ぐのさ。平民の万霊祭はね、大切な人と過ごす大切な一日なんだよ。朝からみんなで準備をして、夜を迎えるんだ」

「へぇ」


 リリカは初めて聞くおばあちゃんからの話に、胸が躍った。


「じゃあ夏初月の十五日には、お父さんとお母さんもリリカに会いに来てくれるのかな」

「もちろんだ。ご馳走作って、広場でみんなでおもてなししようじゃないか」

「うん。おばあちゃん、何作るの?」

「リリカは何を作りたい?」


 聞かれてリリカはうーんと考える。

 そしてご馳走、と言われて真っ先に思いついた料理を口にした。


「あのね、じゃあ……ミートパイ」

「ミートパイ?」

「お誕生日にお母さんが作ってくれて、美味しかったから」


 リリカの五歳の誕生日にお母さんが作ってくれたミートパイは、とても美味しかった。サクサクのパイ生地の中にぎっしり詰まったジューシーなひき肉。一口食べて気に入ったリリカは「毎日食べたい!」とせがんだが、お母さんは笑いながら言った。


『ミートパイは贅沢な料理だから、年に一度の特別な日にしか食べられないのよ』

『じゃあ……来年も作ってくれる?』

『ええ。来年も再来年も、毎年作るわ』

『やったぁ! 約束だよ!』


 その約束は果たされる事なく、リリカの誕生日の数ヶ月後に父も母もこの世からいなくなってしまった。

 思い出してちょっと切なくなったリリカに、おばあちゃんが話しかける。


「良いねえ、ミートパイ。おばあちゃんも大好きさ。リリカも手伝っておくれよ」

「うん。……うん!」


 リリカは二回頷いた。

 両親が死んで、そこからおばあちゃんの家に住むようになって。

 日々は変わり、目まぐるしい毎日を過ごしている。

 おばあちゃんはリリカにとても優しい。リリカが自分でちゃんと生きていけるように、あれこれ教えてくれる。


「リリカの大切な人はね、おばあちゃん」

「おやおや、嬉しいことを言ってくれるね」

「おばあちゃん大好き」

「じゃあ、大好きなおばあちゃんの刺繍を手伝ってくれるかい。針に糸を通しておくれ、その黄色いのだよ」

「うん」


 リリカは言われた通り、黄色い刺繍糸を針に通しておばあちゃんに手渡す。


「今何を刺繍してるの?」

「星だよ。夏には夜空に星がたくさん輝いているが、その中でも一際大きな星が三つ、見えるんだ。その三つを刺繍している」


 リリカがおばあちゃんの手元を覗き込むと、確かにおばあちゃんはハンカチに三つ目の星を形作っているところだった。


「さぁ、できたよ。リリカにあげよう」

「わあ、ありがとう」


 ハンカチ自体はリリカが作ったものなのでかなり形が歪なのだが、おばあちゃんが施してくれた刺繍はとても綺麗で思わず見惚れてしまう。

 リリカはハンカチを手に、椅子をずるずると窓辺に引き寄せ、踏み台にしてからカーテンを開ける。それからハンカチと夜空とを見比べた。


「おばあちゃんが縫ってくれた星って、あの三つ?」

「そう、その三つだ」

「きれいだね。……お父さんとお母さん、どのあたりにいるのかなぁ」

「リリカはどこにいると思うかい」


 リリカは唇を尖らせて、一つの星を指差した。


「あれかな。やっぱりあれかも。あっちかなぁ」


 背伸びをして懸命に空を指差していると、父と母のことを思い出して、リリカはさっきよりもっと悲しくなった。

 リリカはうつむいて、今もらったばかりのハンカチを目頭に押し当てる。そうして涙を抑えて声を出さないように押し殺した。おばあちゃんに迷惑をかけたくなかった。おばあちゃんは、何の縁も無いリリカのことを引き取って家に住ませてくれて、優しくしてくれる。そんなおばあちゃんを困らせたくなくて、リリカは泣いているのをバレないように隠した。

 一人必死で涙をこらえるリリカの肩に、おばあちゃんの両手が優しく乗せられる。


「もう遅いから、そろそろ寝よう。明日の朝も早いよ」

「うん、わかった」


 目頭をゴシゴシとハンカチで擦った。


「今日はおばあちゃんと一緒に寝るかい」

「いいの?」

「たまにはいいさ」


 ハンカチから目を離し、後ろに立つおばあちゃんを見上げた。優しく微笑んでいた。


「おばあちゃん……ありがとう」

「なぁに。訳ないことだよ。さ、寝室に行くよ」

「うん」


 おばあちゃんに促され、リリカは椅子から降りる。おばあちゃんがカーテンを閉める前にもう一度だけちらりと外を見る。

 夏の夜空には星がきらきらと瞬いていて、それは確かに亡くなった人の魂の輝きにも見えた。

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