第71話 リリカの凄さ

「ただいま……」

「おかえりなさいませ、ウィルジア様。なんだか疲れているようですが、どうされましたか?」

「いや、ちょっと……うん。なんでもない」


 屋敷に戻ったウィルジアは、本日の出来事を話そうとし、やっぱりやめた。

 代わりにウィルジアの上着を受け取って佇むリリカをまじまじ見つめた。

 ウィルジアの頭一つ分は背の低いリリカは瑠璃色の瞳で上目遣いにこちらを見上げてくる。こうやって改めて見てみると、やっぱりリリカはウィルジアよりも小さく、細身な、ごく普通の女の子にしか見えない。

 しかしリリカに「普通の」という枕詞が似合わないことをウィルジアはよく知っている。

 リリカは掃除洗濯料理を完璧にこなせるだけではなく、木を切り倒し、衣服を仕立て、馬を自在に乗りこなし、馬の世話もこなし、そして弓矢と短剣の腕前も抜群だった。

 どういう教育を受ければ、リリカのような人間が出来上がるのだろう。

 何も言わずにじーっと見つめ続けるウィルジアを不審に思ったのか、リリカが首を傾げながら尋ねてきた。


「ウィルジア様……?」

「あ、ごめん。湯浴みする」

「はい」


 リリカを見つめ続けていた視線を逸らし、浴室に向かう。

 衣服を脱いで脱衣所の全身鏡に映る自分の姿を確認すると、凄まじいほどの生傷がついていた。全てここ一ヶ月での兄との訓練によりついたものである。


「うわぁ」


 改めて見てみると、思わず声が出てしまうほどの傷跡だった。深手は負っていないものの、傷の数が尋常ではない。本日の兄との手合わせにより負傷した新たな傷を見たリリカが何というだろうか。

 しかし、悪いことばかりではない。

 鍛えまくっている成果が出て来たのか、腕や腹に筋肉がつきつつあり、以前に比べて貧弱さがなくなっていた。


「…………」


 ウィルジアは自分の腹回りをペタペタ触ってみる。前より固くなっていた。

 兄は腹筋が見事に割れていたなぁと思い出し、自分もあそこまでになれるのだろうかと考えた。

 まさか自分が、兄のようになりたいと少しでも思うなど、幼い時には想像も出来なかった。

 ウィルジアは兄弟の中で最もエドモンドと相入れなかったし、一生理解できない存在だろうと思っていた。何せ一秒たりともじっとしておらず、相手がどんな立場の人間だろうと強いと見れば手合わせを申し込み、考えるより先に手が出るような性格の持ち主だ。ウィルジアと真逆すぎる。

 ただ、大人になった今となっては、兄の言うことも一理あるなと思えるようになった。

 結局ウィルジアが弱いままでは、リリカを守ることなんて出来ない。

 多少の無茶は否めないものの、ウィルジアの鍛錬に律儀に付き合ってくれている兄は、案外面倒見がいいのかもしれない、とウィルジアは思えるようになった。


 湯浴みを済ませたウィルジアの体をリリカが手当てしてくれる。


「……はい、終わりました」

「ありがとう」

「なんだか最近、ウィルジア様のお手当てをするのが日課になってしまいましたね」


 手当ての道具を片付けながら唇を尖らせるリリカは、あまり本意ではなさそうだった。


「ご主人様がお怪我をするのは、見ていて心が痛みます」

「今までが脆弱すぎたんだと思う」

「文官のウィルジア様が武芸を嗜む必要性はどこにもありませんよ」

「うーん。僕もそう思っていたけど。前にも言ったけど、リリカを守りたいから強くなりたいんだ」


 服を着ながらウィルジアは、ふと疑問に思ったことを問いかけてみた。


「リリカは熊と戦う時、恐れとか感じないのかい?」

「初めの頃は怖かったんですけど、今はもうそういう感情はありません。いかにして倒すか、それのみを考えております」


 さながら戦場を駆ける歴戦の武人のような言葉に、ウィルジアはリリカを改めて頼もしく感じた。


「きっとリリカは、とてつもない修行を積んだんだろうね」

「ご主人様のために鷹でも熊でも暗殺者でも撃退できるように、たくさん研鑽いたしました。けど……エドモンド様に敵わず、まだまだだなと感じました」


 リリカは兄に押し負けた時のことを思い出したのか、悔しそうな顔をする。


「あの兄は規格外だから、勝とうなんて思わない方がいいと思う」

「いいえ、自ら勝負を挑んでおいて負けるなど、もってのほかです。もっともっと修行しなければと思いました」


 両拳を握りしめ、強くなることを誓うリリカ。もはや完全に使用人としての規格にはまっていないリリカを見てウィルジアはくすりと笑う。


「じゃあ僕も、エド兄上を倒せるくらい強くなれるように頑張るよ」


 熊を右腕一本で倒せると豪語する兄に勝てるようになるには、百年鍛錬したって無理なような気もするけれど。

 向上心あふれるリリカをみていると、「無理だ」と言う言葉を簡単に出すべきではないのだな、とウィルジアは感じるようになった。


「では今度、私と手合わせしますか、ウィルジア様?」

「それは遠慮しておく」


 リリカに万が一怪我でも負わせてしまったら、罪悪感で死にそうである。

 少し残念そうな顔をしたリリカが「左様でございますか」と言うのを聞きながら、「夕食にしよう」とウィルジアは立ち上がった。


+++

これにて5部はおしまいです。機会があればリリカとエドモンドが共闘する話なども書きたい。

次からは6部に入ります。

ついにウィルジアにキュンとしたリリカ。

二人の仲は縮まるのか、それともこのままなのか。

6部にご期待ください!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る