第70話 エドモンドとかわいい弟

 ウィルジアの騎士団本部通いが一ヶ月ほど続いたある日のこと、エドモンドはいつものように、上着を羽織ったままウィルジアとの手合わせに圧勝した。

 ガチボコにされたウィルジアは、喉元に模造刀を突きつけられて呻く。


「俺の勝ち」


 口角を上げて笑う兄は相変わらず悪魔のようだった。

 身を起こしたウィルジアは、地面の上に座り込んだまま兄を見上げて疑問を呈した。


「エド兄上、僕思ったんだけど、なんで毎日兄上が僕の手合わせの相手してるんだい?」


 エドモンドは国の第二王子であり、騎士団では中佐の地位にいる。

 忙しい身の上であるにも関わらず、それでも毎日律儀にウィルジアの相手をしてくれていた。

 圧倒的に弱いウィルジアなのだから、別にエドモンドがわざわざ手ほどきをする必要などどこにもないだろう。

 それこそ、新米の騎士にでも相手を任せればいいのではないだろうか。例え相手が新米騎士でも、ウィルジアには勝ち目など存在しない。十分いい訓練になる。

 そう思ってのセリフだったが、肩に模造刀を担いだエドモンドは美貌の顔立ちに心底不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。


「え、なんで? かわいー弟が頼ってきたんだから、おにーさまが相手するのが普通だろ。こんな美味しい役目、他の奴に任せるわけないじゃん」

「は……かわいい? 僕のことかわいいと思ってたの?」

「思ってたし今でも思ってるよ」


 耳を疑うような衝撃発言だった。兄は話を続ける。


「ウィルってさー、逃げるし弱いし泣くしすぐ諦めるし発言のほぼ全部が後ろ向きだけど、なぁんか構いたくなるんだよなー」

「…………」

「でも今は変わったな! ちょっと前向きになったよなお前。やっぱりあの使用人のおかげ? よかったなー」


 エドモンドは相変わらずの怪力でウィルジアの肩をばしばし叩きつつ、なおも言葉を続ける。


「小さい時は逃げてただけなのに、ウィルもやればできるなぁ! でも、あの使用人を守りたいならもっと修行しないとダメだぜ。なんてったって彼女、相当強いから」

「知ってるよ。熊倒せるらしいから」

「おー、すげえな。でもウィルは熊と戦おうとか思わないように。見つけたら即逃げること」

「兄上なら、『とにかくどんな相手にでも立ち向かえ』って言うのかと思ってた」

「あ? お前俺のことなんだと思ってんの? 敵わない相手に立ち向かえなんて、言うわけねえだろ。力量見極めて、勝てるやつにだけ挑めよ。よし、ちょうどいいから力の差をわかりやすく図で書いてやろう。強さ一覧表だ」


 エドモンドはそう言うと、模造剣を下ろして、地面にガリガリ何かを書き始めた。


「これが俺ね。そんでこれが、お前のところの使用人」


 エドモンドは自分の名前を書き、そこから一メートルほど離れたところに「ウィルの使用人」と書く。


「野生の熊がー、この辺りかな」


 リリカからさらに一メートルほど離れたところに「熊」と書いた。


「んでお前の立ち位置は、ここだ」


 エドモンドは剣をずるずる引きずって長い長い横線を引き、訓練場の端の端まで辿り着いてから、ウィルジアの方を向いて言う。

 あまりの距離にウィルジアは愕然とした。


「…………全然追いつけないじゃん」


 リリカにどころか熊にさえ。

 というかリリカと熊の間に横たわる線の長さから推察するに、リリカはおそらく余裕で熊を倒せるのだろう。

 ウィルジアはエドモンドの作り上げた強さ一覧表なるものを見下ろして、言葉を失った。剣を肩に担いだエドモンドが、カラカラと笑いながら戻ってくる。


「なっ? もしも森で熊に出会ったら、ロキに乗って全力で逃げるかあの使用人になんとかしてもらうこと!」

「ちなみに兄上は熊どうやって倒すの?」

「んなもの、右腕の一本あればどうにだってなる」

「素手?」

「素手でもいけるな」

「…………」


 おそらく誇張でもなんでもなく、エドモンドは熊を素手で倒せる。

 その事実に気が付いたウィルジアは、改めて兄の末恐ろしさと、ついでに兄にここまで認めさせたリリカの強さに身震いした。

 兄は手の中で剣を弄びながら、軽い調子で言葉を続ける。


「基本的にウィルは守られてればいいと思うけど、それにしたってちったぁ剣を使えるに越したことはねえよな。体力だってあった方がいいに決まってるし」

「そうだね……」

「そんなに凹むなって! 今から鍛えていけば、この差もちょっとずつ縮まるんだから!」

「うん」

「何かあったらおにーさまを頼れよ! いつでも力になるからさ!」

「ありがとう」


 地面に書かれた横線を眺めながら兄に礼を言いつつ、ウィルジアは心に誓った。

 せめてこの線が半分くらいの長さになるくらいまで、頑張ろうと。

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