第67話 平和なお散歩①
森の中を二頭の馬がパカパカと歩く。
春の陽光を浴びながらの朝の散歩だ。
(平和だな……一昨日の爆走とは大違いだ)
ロキに乗ったウィルジアはそんな感想を抱いていた。
昨日は仕事をやっつけて、自主的に屋敷の庭で素振りと筋トレをし、今日時間を作り出したウィルジアは約束通りリリカと森の散歩をしていた。
ロキは非常に穏やかな馬である。ウィルジアを喜んで乗せてくれ、リリカを乗せたアウレウスの横を静かに闊歩している。心なしか、アウレウスと仲良くなっている気がした。
きっとロキは、兄の無茶な調教に耐えられずストレスを抱えていたのだろう。そう思うとこの黒馬の気持ちがわかり、同情が込み上げてくる。
ウィルジアも兄のしごきが嫌で逃げ回った過去を持っている。
兄はこっちの気持ちにお構いなく己のやりたいことを押し付けてくるので、相性が悪いと最悪だった。
ウィルジアがロキの首筋を優しく撫でると、ブルルッと鳴いた。
「ウィルジア様、せっかくなのでお昼はどこか森の中で食べましょうか。私、昼食の準備してきたんです」
「リリカは準備がいいね」
「今日のお散歩、楽しみにしていたので!」
馬上で笑うリリカも可愛い。最近はずっとバタバタしていたので、こうしてリリカと二人でのんびりするのも久々だった。
突如現れたエドモンドのインパクトが強すぎて、何もかも兄に引っ張られていたのだが、本来のウィルジアはこうして穏やかな日々を過ごすのが好きである。
森の中は緑の匂いに満ちていた。
地面からは様々な草花が生え、針葉樹からは新芽が萌え出ている。常緑樹なので冬でも葉を枯らすことはないのだが、それでも春の針葉樹はより一層緑が濃かった。
「屋敷に住んで五年になるけど、僕、森の中を散歩したの初めてだ」
「森自体もウィルジア様の所有物なんですよね?」
「そうらしいね。全然興味なかったけど」
ウィルジアの名字ルクレールは、あたり一帯に広がるルクレールの森に由来している。ウィルジアが受け継いだのは正確には森と屋敷だったのだが、インドア派のウィルジアは森には全く頓着していなかった。
「いい所ですよ、もう少し行くと泉があるんです」
「熊、いない?」
「泉で見たことはないですね。もっと奥の川で魚を獲っている所ならば目撃したことがあるので、そこには近づかないようにしましょう」
所有者であるウィルジアよりも森の中に詳しいリリカがそんな説明をした。
ルクレールの森を熟知しているリリカに促されるままに黒馬を進めて行くと、やがて本当に泉にたどり着いた。
アウレウスとロキを木に繋ぎ、泉に近づいてみる。
こんこんと湧き出る水は澄み切っていて、奥底までもがはっきりと見通せた。
青い泉の中には石や倒木が沈んでおり、表面には風で飛ばされたのであろう若い葉が浮いている。
周囲には薄桃色の花びらをつけた低木が生えており、地面には柔らかな草が生えていた。泉の周りは樹木がまばらなため陽の光もよく降り注いでおり、暖かい。
「ウィルジア様、お昼にしましょう」
「うん」
リリカが薄手の敷物を広げて昼の準備をし、素早く脇によけた。
「準備が整いました、どうぞ」
ウィルジアは薄手の敷物に広がる料理と、木立のそばに立つリリカとを交互に見る。
「リリカのお昼は?」
「私はお屋敷に帰ってから頂きます」
リリカは実に使用人らしく、外であってもウィルジアの給仕を務めようとした。
が、ウィルジアは首を捻ってうーんと唸る。
「……せっかくだから一緒にどうかな」
「えっ」
「リリカだってお腹空いてるだろう?」
「ですが」
「たくさん用意してくれたみたいだし、半分こしても満腹になるよ。はい、リリカも座って」
「えっ、ええっ?」
ウィルジアは薄手の敷物の隅に座り、薄手の敷物の真ん中をリリカのために空けた。
リリカは眉をハの字に下げ、明らかに戸惑っている。
「ご主人様とお食事をご一緒にするわけには……!」
「僕は気にしないけど。一緒に食べた方がこの後もゆっくりできるしいいんじゃないかな」
「ですが……」
「お昼も食べないで僕につきそうリリカと一緒にいても、気になってあんまり楽しめないよ。はい、真ん中どうぞ」
「えええ……さ、さすがにご主人様を差し置いて、真ん中には座れません」
「じゃあ、隅でもいいから座ってよ」
「……あうう」
リリカは立ったまま視線を右往左往させて迷っていたが、ウィルジアが敷物をぽんぽん叩いて促すのを見て、覚悟を決めたようだった。
「失礼します」と言って、敷物の本当にものすごく端っこに、申し訳なさそうにちょんと腰掛けた。二人で隅に座っているので、真ん中がガラ空きである。
しかし言い出しておいて何だが、これ以上距離を詰めるとかなりの近さになる。
ここから一センチたりとも動かないようにしよう、と心に決めたウィルジアはリリカが用意してくれた昼食に視線を移動させた。
リリカは外であっても食事の用意に手を抜かなかった。
普段ウィルジアに持たせる図書館用の昼食とは違い、本日はバスケットの中にかなり料理を詰め込んできていたらしい。
ぎっしり入った料理の数々は、ここは本当に外なのかと疑うほどのクオリティだった。
ウィルジアが昼食に感心していると、リリカがおずおずと声をかけてきた。
「あのう、このままお給仕してもいいでしょうか」
「今日はそんなにかしこまらないで、適当に二人で食べようよ」
「うぅ……」
給仕さえも許されないのが落ち着かないのか、リリカはエプロンをぎゅっと握って所在なさげに視線を彷徨わせる。
ウィルジアは薄いパンの中にハムとゆで卵、レタスが挟まった一品を手に取り、リリカに差し出した。
「はい、リリカ」
「えぇー、それはウィルジア様のですよ」
「いいから、僕はこっちを食べるから」
そう言ってウィルジアはもう一つパンを手に取った。こっちにはオイル漬けにした魚とアスパラガスが挟まっている。塩気がちょうど良い。
「これ美味しいね」
「お褒めに預かり、光栄です……」
「じゃ、リリカもどうぞ」
「うぅ」
リリカは自分で作った料理を受け取ると、迷った挙句にパクリとかじりついた。
「リリカと一緒にごはん食べるの、初めてだね」
「普通、使用人はご主人様と一緒に食事をしませんので」
「そういえばいつもどこで食べてるの? 自室?」
「いえ、厨房の隅にあるテーブルセットで頂いています」
「狭くないかい?」
「十分な広さです」
「そう。食堂で食べてもいいんだよ?」
「えっ、そんな恐れ多い!」
慌てるリリカを見て、ウィルジアはくすりと笑った。
なんだかいつものリリカと違い、ペースを乱されている姿はより一層可愛らしい。ハの字に眉を下げたリリカは、上目遣いにウィルジアの顔色を伺いつつ、おずおずと問いかけてくる。
「じょ、冗談ですよね?」
「あながちそうとも言い切れない」
「……ウィルジア様は、時々押しが強くなりますよね……」
そう言いながらサンドイッチを頬張るリリカを見て、嫌だったらごめん、と言おうとしたのだが、赤くなった顔にはまんざらでもなさそうな表情が浮かんでいたので、出そうとしていた言葉を飲み込み代わりに「うん」と言っておいた。
昼食を終えると急激な眠気がウィルジアを襲った。
暖かな日差しと、満腹になったことと、ここ数日の運動による疲労が押し寄せてきたのだろう。
後ろの木立に寄りかかると、全身の力が抜けた。もうダメだと思った。ウィルジアは昼食の後片付けをしてくれているリリカに、ぼんやりと話しかける。
「リリカ」
「はい」
「僕、ちょっと寝るから……しばらくしたら起こして……」
言い終えると同時に、瞼が閉じてスゥと眠りに落ちていった。
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