第64話 きゅん
屋敷に戻ると、湯浴みを済ませたウィルジアの傷の手当てをリリカがしてくれた。
リリカの手当ての手際は鮮やかである。
切り傷には軟膏を塗ってガーゼを当ててから包帯を巻き、打ち身には湿布を貼ってから包帯を巻く。
手慣れた様子で手当てをするリリカに身を任せながらも、先の一件を思い出してウィルジアは心底申し訳なくなってリリカに謝罪をした。
「めちゃくちゃな兄でごめん」
「いえ、挑発したのは私ですし、それにエドモンド様に殺気がないのはわかっていましたから。最後の一撃も寸止めするつもりだったと思いますよ」
「それにしたって、いきなり軍人に真剣で斬りかかられたらびっくりするだろう」
「訓練だと思えばどうということもありません」
リリカは本当になんとも思っていないようで、にこりと笑ってから手当てを続け、そしてウィルジアについた傷を見て気を揉んだ。
「それよりもウィルジア様が傷だらけな方が私は気になります。綺麗なお肌に跡が残ったら大変ですよ」
「別に跡が残っても気にしないけど」
「私がっ、気にします! 一体どうして騎士団の本部なんかにいらっしゃったんですか? もしかして攫われた挙句に、一方的にエドモンド様に叩きのめされてたんでしょうか」
「一方的に叩きのめされてたのは間違いじゃないけど、攫われたわけじゃない。僕の意志でついて行ったんだ」
「どうして……」
「……ちょっと、強くなりたいなと思って」
ウィルジアが本音の一端を吐露すると、リリカは心底不思議そうな表情でウィルジアを見上げてきた。
「なぜ歴史編纂家のウィルジア様が、強くなる必要があるんですか?」
「うーん、そう聞かれるとちょっと困るけど」
「あっ、もしかして、私が弱くて頼りないので、ご自身を鍛えることにされたとか……? 研鑽が足りなくて申し訳ありません」
ウィルジアがはぐらかすと、リリカが明後日の方向にウィルジアの行動と言葉を解釈し始めたので、思わず手当てしてくれていた手を掴んでしまった。突如手を握られたリリカは、びっくりして動きを止める。
「逆だよ」
「逆とは……」
「リリカが強すぎるから、僕も追いつかないとって思った」
「え……なぜ……」
戸惑うリリカの目を見つめたまま、ウィルジアは言った。
「だってこのまま守られっぱなしでいたら、格好悪いだろ」
「え……」
「僕だってリリカを守りたいんだ」
「…………」
リリカはウィルジアの言葉が予想外だったのか、硬直したまま動かなくなった。そのままみるみる顔が赤くなっていくのを見ていたら、自分はとんでもない発言をしてしまったのではないかと思い、慌てて握っていた手を放した。
「あっ、ごめん。なんか、迷惑だったら本当にごめん」
「いえ、迷惑ではないです。あの、びっくりしましたけど、むしろ、嬉しいというか……あの……」
赤面したリリカが上目遣いにウィルジアを見て、唇からか細い声が紡ぎ出された。
「……さ、さっき私の前に出てかばってくださったウィルジア様は、格好良かったですよ……?」
「…………!」
まさかのリリカの口から出た「格好いい」発言に、ウィルジアの顔まで赤くなる。
なんでリリカはこんなにも可愛いのだろうか。
行動も発言も全てウィルジアを捉えて離さないのだが、これは反則だろうとウィルジアは思った。
可愛い。可愛いの塊だ。
二人して見つめ合い、顔を赤くしていたが、先に空気に耐えきれずに動き出したのはリリカだった。
「き、傷の手当ての続きしますねっ!」
「う、うん、ありがとう」
微妙な空気が続く中、ぎこちなく動いて手当てを再開したリリカに、ウィルジアは黙ってなすがままになっていた。
◆◇◆
「では、お休みなさいませウィルジア様」
「おやすみリリカ」
寝室に消えるウィルジアを見送ったリリカは、残りの仕事を終わらせようとなんとか厨房まで行くと、脱力してはーっと息をついて両手で顔を覆った。
どうにか騎士団本部からウィルジアを奪還したリリカであったが、屋敷で手当て中にウィルジアが放った言葉を聞いて動揺せずにいられなかった。
守りたい、と言われた時、素直に嬉しかった。
いやその前に騎士団本部でエドモンドに短剣を弾き飛ばされ、丸腰になったリリカの前に立ちはだかったウィルジアを見た時も、嬉しかった。
あの時、かつてない頼もしさを発揮したウィルジアの背中を見上げたリリカは、思ってしまったのだ。
(ウィルジア様、格好いい……)
いつもの優しい雰囲気で柔らかく笑うご主人様の姿は微塵もなく、剣を突きつけられても臆せずに立っているウィルジアを見たリリカは端的に言ってーー
ーーきゅんとした。
「あううっ」
ついついその時のウィルジアの行動と発言を思い出してしまったリリカは、再び胸がときめいてしまって、顔を覆ったまま左右に首を振った。
(だめっだめよリリカ。主人にきゅんとするなんて、もってのほか! 邪念は捨ててお仕えしないと!)
リリカはおばあちゃんに口を酸っぱくして言われていた。
『使用人たるもの、私利私欲を捨てて滅私奉公の気持ちで全力でご主人様にお仕えすること』と。
主人にきゅんとするなど、もっての外である。
「しかも、ご主人様にお守り頂くなんて、本当はダメなんだからっ。私が体を張って前に立たないとダメなんだからっ!」
リリカは残りの仕事を放棄して、自分に言い聞かせる。
リリカは使用人として、主人の危機を守るためなら自分の命も投げ打つべしと言い聞かせられている。なのに逆に守られるとか、完全に使用人失格だ。喜んでいる場合ではない。
今回は相手がウィルジアの実の兄で、殺意がなかったから良かったものの、これが盗賊や暗殺者などだったらどうなるか。ウィルジアの胸元をバッサリ袈裟懸けに斬り捨てていたに違いない。
ウィルジアではなく、リリカがもっと強くならなければいけない。
ご主人様の見せた意外な一面がどれだけ格好良くっても、きゅんとしている場合ではないのだ。
……でも格好良かったなぁと思う。
今までのご主人様のことだって大好きで尊敬していたが、意外な一面を見てしまって、ますます好きになってしまった。そしてその好きは、今までの感情とはちょっと違う感じがした。
なんというかこう、どきどきする。
思い出すと頬が熱くなる。
「…………っ!!」
リリカは我に返るとエプロンの裾を握りしめて、ぷるぷるしながら再び自分に言い聞かせた。
「だめっ、だめって言ったらだめなんだから! 一体何を考えてるの! しっかりするのよリリカ!」
リリカは自分の両頬をバシンと張って意識を目覚めさせ、動揺する気持ちを気合いで抑え込みさっさと残った仕事を終わらせると、自分ももう湯浴みをして寝ようと私室へ向かった。
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