第63話 リリカ参上

 訓練場に剣がぶつかり合う音が響く。

 と言っても手合わせなどという上等なものではない。

 これは、一方的な蹂躙だ。


「あはははっ、ウィル、楽しいな!」

「どこが……っ!」

「ほら、横っ腹ががら空きだぞ!」

「うっ」


 エドモンドの握っている模造刀が容赦無くウィルジアの脇腹を殴打した。

 手加減しているのだろうが、それでも重い一撃にウィルジアの体が吹っ飛ぶ。

 訓練場の土で固めた地面に倒れたウィルジアに、肩に模造刀を担いだエドモンドが近づいてきて見下ろした。相変わらず悪魔のような男だった。


「もー終わりか?」


 すでに一時間近くウィルジアを叩きのめし続けているエドモンドは、赤い瞳に好戦的な色を浮かべながらそう問いかけてきた。疲れの色は見せず、むしろ生き生きとしている。肩に羽織った上着が微動だにしていないところから、全く本気を出していないのだろう。

 一方のウィルジアは図書館から騎士団までの全力疾走のちの素振り五百回を根性で終わらせてからのこの手合わせに、とっくに体力は限界を迎え、もはや気力だけで動いている状態だった。

 それでも兄を見上げると、剣を握り立ちあがろうとした。


「まだ、やれる……っ」

「おー、すげえじゃんウィル」


 息も絶え絶えに立ち上がったウィルジアを見て、エドモンドは舌なめずりをした。エドモンドとて忙しい立場だろうに、なぜウィルジアにいつまでも構っているのか不思議だが、そんなことは考えない様にした。付き合ってくれているのだから甘えるとしよう。

 立っているだけでふらふらなウィルジアがなんとか模造刀を構えた直後、訓練場の扉が開き、困惑した騎士がやって来る。


「中佐、入り口に若い使用人が来ておりまして、中佐とウィルジア様を今すぐ出せと騒いでいるのですが……」


 そう言われて初めてウィルジアは、誰にも何も言わずに騎士団の本部までやってきてしまったことに気がついた。

 おそらくリリカは、王立図書館で待っていても出てこないウィルジアに、何かあったと思って探して追いかけてきてくれたのだろう。


「しまった、リリカッ」

「リリカ?」


 模造刀を放り出し扉に向かって走り出したウィルジアの後を、エドモンドは悠々と歩いてついて来た。


「なー、ウィル。リリカって誰?」

「僕が雇ってる使用人」

「ふーん」


 エドモンドはどことなく楽しそうな声音で言いながらウィルジアの横に並び、歩きながら顔を覗き込んできた。


「ウィルが誰かのことで焦るなんて、珍しい。何? そのリリカって子、大事な人なの?」


 ウィルジアは明らかに面白がっているエドモンドの問いかけを無視し、前方を歩く騎士について行った。

 やがてたどり着いた、応接室と思われる一角。騎士が扉を開け、ウィルジアが中に入ると、案の定そこには心配そうな表情で座っているリリカがいた。

 ひとまずウィルジアは謝罪することにした。


「黙っていなくなってごめんリリカ」

「ウィルジア様、ご無事ですか……って、すごいボロボロじゃないですか!」


 リリカはウィルジアを見るなり駆け寄って、大きな瑠璃色の瞳を歪め、ウィルジアの体を検分し出した。


「お洋服が泥だらけですし、見えるところだけでも相当な擦り傷や打撲の跡が……! ウィルジア様、今すぐお屋敷に帰って湯浴みをし、手当てしましょう」


 リリカが有無を言わさずウィルジアを引っ張り、部屋を出て帰ろうとする。

 が、出入り口には兄が立ち塞がっていた。

 リリカは長身のエドモンドを臆せずに見上げると、丁寧ながらも意志の強い口調で訴えた。


「退いていただけないでしょうか」

「嫌だって言ったら?」


 エドモンドは扉に両手をついて通せんぼをすると、なぜか意味もなく意地の悪い質問をする。その内容にぴったりの、底意地の悪い笑みを浮かべていた。

 それでもリリカは怯まなかった。


「いくらウィルジア様のお兄様でも、私は容赦しませんよ。実力行使に出させていただきます」

「へー、面白そうだね。なら、そうしよう」


 エドモンドはそれだけ言うと、おもむろに動き出した。羽織っていた上着をバサリと落とし、右手を左腰に下げている剣に添えたかと思うと、ウィルジアの目には追えない速度で抜剣し、突然リリカに斬りかかった。模造刀ではない。真剣だ。

 ウィルジアの反応速度を遥かに上回る速度で繰り出された斬撃に、リリカは完璧に対応した。太ももに常時忍ばせているらしい短剣を抜き取ると、エドモンドの剣戟を防ぎ、弾き飛ばす。


「へぇ」


 エドモンドの口角が吊り上がり、追加の一手が追い縋る。リリカは短剣を持っていない左手でウィルジアをかばった。


「ウィルジア様、お下がりください!」

「えっ、はっ!?」 

「危ないので!」


 突如戦場と化した応接間。

 エドモンドは相手が年頃の女の子であることにも、騎士ではなく一介の使用人であることにも全く構わず、嬉々として剣を振るい容赦のない攻撃を浴びせかける。その動きは先ほどのウィルジアとの手合わせとは比較にならないほどに苛烈で、速度もウィルジアの動体視力では追いきれないほどのものだった。

 そしてそんな兄の動きにリリカは完璧について行っていた。時には攻撃を避け、時には短剣で兄の長剣を受け止め、弾き飛ばし、反撃の機会を窺う。

 暴れ回る二人のせいで応接室に置いてある花瓶は割れ、ソファは壊れて中身を撒き散らし、テーブルは真っ二つに折れ、天井のシャンデリアは揺れて今にも落ちてきそうだった。


「中佐っ、おやめください!」


 案内してきた騎士が悲痛な声を上げても、全く止まる気配がない。

 しかしどれほどリリカが善戦しようとも、エドモンドは戦闘を生業にしている軍人だ。おまけに根っからの戦闘狂であり、生まれた時から剣を握って王宮内をうろついているような人間である。兄の攻撃の手はどんどんと強まり、リリカは徐々に劣勢となった。

 ジリジリと押されつつあるリリカを見てウィルジアはいてもたってもいられなくなった。

 いよいよリリカの持つ短剣がエドモンドの長剣に弾き飛ばされ、リリカが丸腰になった時、ウィルジアの体は自然に動いていた。

 とどめの一撃を繰り出そうと長剣を振り上げたエドモンドと、なすすべなくそれを見つめていたリリカの間にウィルジアは割って入り、リリカの前に立ち塞がる。

 果たして兄の剣先は、ウィルジアの胸元二ミリのところでピタリと動きを止めた。

 真剣を突きつけられたウィルジアは、兄を見据える。怒り心頭だった。

 ウィルジアが打ちのめされるのは別に構わない。今回は望んで手合わせしてもらっている面もあるし、どれだけボコボコにされようと文句を言うつもりはない。

 けど、リリカはダメだ。

 何の関係もない、ウィルジアのことを心配して来てくれたリリカにいきなり真剣で斬りかかるなど言語道断である。

 鬼畜の所業を平気で行う兄にウィルジアは怒りを込めて言った。


「リリカに怪我でもさせたら、ただじゃおかない。かすり傷一つでも許さない」

「ウィルジア様……」

「……へぇー、ふぅーん?」


 エドモンドは立ち塞がるウィルジアと、後ろにかばわれたリリカとを交互に見つめた後、剣を鞘に収めた。

 そうして先ほどの戦闘は一体なんだったのかと思うほどに屈託のない笑みを浮かべた。


「やぁー、成長したなぁウィル! お前が介入してくるなんて、俺は思ってもいなかった。おにーさまは嬉しいよ!」

「痛いっ、痛いって」


 相変わらず力加減がおかしい兄に肩を叩かれたウィルジアは呻いた。それからリリカに向かって首を伸ばしたので、ウィルジアは危険な兄からリリカを遠ざけようとかばう。


「もう何もしないって」

「初対面の女の子にいきなり斬りかかる人間の言うことなんて、信じられない」

「だってその子、明らかに只者じゃないだろ。俺相手に凄んだ時に発した雰囲気がさぁ、もう普通じゃなかったぜ。強そうな奴を見たら、女だろうが男だろうが手合わせしたくなるのが常識ってもんだろ?」

「生憎僕はそんな常識は持ち合わせていないよ」

「そう? つまんねぇの」


 これ以上常軌を逸した兄に構っていたら、何をされるかわかったものじゃない。


「リリカ、来てくれてありがとう。帰ろうか」

「はい」


 リリカは落ちた短刀を拾い上げると、スカートをまくり上げて太もものベルトに収納した。

 いちいちスカートをまくるのは目に毒なのでやめてほしいと思った。見ないように視線を逸らせたウィルジアは、兄と目が合う。兄は口角を吊り上げて、相変わらず笑っていた。


「な、なんだよ」

「ベーつーに? ウィルが青春してるようで何よりだなって思っただけ」


 ウィルジアはエドモンドの軽口に応じず、支度を整えたリリカを伴って部屋を出ようとしたところで声をかけられた。


「なぁ、ウィル。明日も来るだろ?」


 ウィルジアは振り向いて兄の顔を見る。あまり考えず、言葉が口をついて出た。


「仕事が終わってから、夕方に来るよ」

「上等。待ってるからな」


 そして手を振る兄と、部屋の惨状を前に呆然と立ち尽くす騎士を置き去りにして、騎士団本部の出入り口へと向かった。



 なおこの一件はすぐさま騎士団を取りまとめる団長に知られるところとなり、エドモンドは騎士団長にこっぴどく叱られた後、「部屋の片付けをしてこい!」と言われて破壊し尽くされた部屋の中を掃除する羽目になったのだが、それはリリカとウィルジアの知るところではなかった。

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